第61話 エルフたちと行く奇妙な縁の旅(後篇)

 五月最後の週末。乗馬訓練を兼ねた遠乗りの二日目。

 テトラトルテの街に宿泊した瑛斗ら一行は、朝霧に白くけぶる山間の街並を抜け、郊外にあるサクラの棲む小屋を目指す。

 早朝の街中はしんと静まり返っており、石畳を戛々かつかつと響く馬の蹄すら迷惑じゃないかと心配になる。祭りの準備で慌ただしかった昨夜の喧騒がまるで嘘のようだ。いや本来はこの静寂こそが、山間にあるテトラトルテの本当の姿かも知れない。


 街道から北へ街を離れ、目印の石橋から脇道へ逸れて郊外の森を進む。

 小川に沿って辿る小道は、街中よりも明らかに気温が低い。見るからに冷たそうな川面から吹く風の所為だろう。高原の森を行く旅景色は春を過ぎてなお寒く、もう暫くの間は長袖の上着が手放せそうにない。

 程なくしてサクラの小屋を再訪すると、彼女らは外で瑛斗たちを待っていた。身に纏う旅装束を見るに、すっかり準備を整えて出迎えてくれたようだ。


「すまないね、エイト……馬車まで借りて貰っちまって」

「いいさ、君たちへの支度金ってことでさ」


 昨夜の内に街で馬車を借りたのは、サクラたち引っ越し荷物の運搬用である。

 その際ついでに騎士団屯所へ寄って、サクラの身柄を預かる旨を報告した。するとたまたま屯所に駐在していたドラッセルに「盗人の身柄を被害者が預かるってのは……ま、それもエイトらしいか」などと、心の底から不思議そうな顔をされてしまった。

 だがそれもさもありなんというものだろう。なにせ――


「コソ泥のあたしを気遣うなんざ、エイトも奇特さねぇ」

「まぁ、袖擦り合うのも多生の縁、さ」


 なにせ財布を掏った本人にすら呆れられるくらいだ。チルダの金貨を巡ってすったもんだの顛末となれば、ことわざの意味は違えども、ついそう言いたくなる瑛斗である。


 働き者の人狼たちがせっせと麻袋や木箱を運び出す。サクラたちの荷物はそう多くなかった。元々質素で簡素な暮らし振りの彼女たちである。幾つかの麻袋に衣服を、木箱へ食器類を詰め込めば、それで全て事足りたようだ。それでもライカは、なかなか諦め切れなかった手作り保存食の数々を持ち出せると、とても喜んでいた。

 馬車へ荷物を積み終えた人狼たちは、最後に自分たちも一緒になって荷台へと収まると、姉妹の様に二人並んで浮かれた声を瑛斗たちへ掛けた。


「さ、準備はいいわよ!」

「あの……何時でも出発できるです」


 初めて遠出をする人狼たちは、今回の引っ越しが楽しみで仕方ないようだ。荷台とはいえ、馬車に乗れることすら興味津々のようだった。

 普段は引っ込み思案で物静かなライカですら、この日ばかりは頬を紅潮させていた。きっとはしゃぐカルラに触発されたのだろう。好奇心旺盛でぐいぐい引っ張るタイプのカルラとは、どうやらいいコンビのようである。

 荷台を忙しなく見渡していたカルラが、自分たちの物ではない見慣れぬ袋に気が付いた。


「んんっ、これはなにかしら?」

「あー、それはアンタたちの服よ」


 アーデライードが荷台を覗き込みながら、ライカとカルラにそう告げた。


「えっ……えっ?」

「わ、私たちの……服!?」

「そうよ。その服装じゃメイド仕事なんてできないでしょ?」


 昨夜の内に馬車を借りようと街を散策していた時、アーデライードが何やらあれこれ買い込んでいたが、どうやらそういうことだったらしい。

 そういえばレイシャの時も――と、リッシェルの街で随分と気合を入れていたのを思い出す。久々にショッピング大好き、お洒落元帥ハイエルフの本領発揮である。


「うわぁっ、アデル姉ありがとうっ!!」

「ありがとうございますっ、アデル姉さま!」

「ア、アデル姉さま?」


 思わぬ呼ばれ方されたアーデライードが、素っ頓狂な声を上げる。


「はいっ、私たちのお姉さまですっ!」

「アデル姉さま、大好きっ!」


 同族同士の絆が強い人狼たちだ。彼女たち独自の尊敬を込めた呼び方なのだろう。

 嬉しそうに服の入った袋を抱き締める人狼少女たちの純粋な眼差しを前にして、アーデライードは珍しく面喰らったようである。

 だが満更でもない様子でにんまりと微笑むと、隣に立つレイシャを横目にジロッと睨む。


「どうよ。アンタもあれっくらい可愛げを持ちなさいな」

「ん、なんだ? あーでれ」

「……チッ」


 まるで可愛げのないだーえるの反応に、ハイエルフはお行儀悪く舌を打つ。

 一方では、馬車の準備を整えつつ妹分たちの様子を眺めていたサクラが、がっくりと肩を落として嘆いていた。


「ううっ、甲斐性のない姉貴分で申し訳ないねぇ……」

「まぁ、こればかりは仕方ないさ」


 隣にいた瑛斗は苦笑いしつつ、サクラの肩をポンポンと叩き慰める。

 何しろサクラの気持ちはよく分かる。それは自分もレイシャの時に、甲斐性のない父親気分を十分に味わったのだから。


 引っ越し準備を整えた一行は、愛馬を駆る瑛斗を先頭に復路の街道をゆく。

 今回は瑛斗の乗馬技術スキル習得を兼ねた旅である。よって特段定めた目的はない。幾度かに渡る経験と訓練で、瑛斗は通常の乗馬ならば十分に習得したといえるだろう。となれば残る旅の目的は、テトラトルテで買い込んだ昼食ランチをどこで食べるか。それが目下の予定である。

 すっかり乗馬慣れした瑛斗は、先頭をアーデライードに任せるとサクラの操る馬車へと馬を寄せ、並走しながら話し掛けてみた。


「サクラはさ、リッシェルのどの辺で過ごしていたんだ?」

「そうさね……それがさっぱり手掛かりがなくてね」


 これまでも暇を見つけては、心当たりのあるリッシェル近郊の森を旅して見たものの、幼い日々を過ごした思い出の屋敷を、見つけることが叶わなかったのだという。


「お屋敷? 姉さま、お屋敷に棲んでいたのです?」

「ああ、何故かでっかい屋敷に棲んでてね……広い庭をよく走り回ったもんさね」


 荷台のライカに話し掛けられたサクラが、振り向きざまにそう答えた。


「でっかい屋敷……それならすぐに見つかりそうだけどな」

「いや、それがいくら探してみても見つからないのさ」


 獣人族ライカンスロープであるサクラは、臭いを辿るばかりでなく非常に優れた方向感覚を持つ。その彼女の能力を以てしても、幼い日々を過ごした思い出の屋敷をいまだ見つけられなかったのだという。


「それは不思議な話だな」

「でもま、その頃は四歳か五歳……とにかくチビすけだったからさ」


 幼い頃の記憶じゃ曖昧で当然さね――そう言ってサクラは苦笑いした。普通の人間ならば、それだけの情報で見つけ出すには難を極めよう。


「ところでサクラはさ、故郷を探し出してどうするつもりなんだ?」

「いや、ただ……それだけ。ただそれだけでいいのさね」


 遠くから見つめて、それだけ――それがサクラの望みであるという。


「母さまと過ごしたその屋敷をさ。一目見たいって、ただそれだけさ」


 屋敷にはきっと、もう知らない誰かが住んでいることだろう。そう分かってはいても、母との淡い思い出に再び触れてみたい。そんな幼心に残る思慕や感傷が、サクラの中に残滓しているのかも知れない。

 だがそれは瑛斗とて同じことだ。爺ちゃんの痕跡を辿ってみたい。爺ちゃんの歩いた異世界を旅してみたい。そんな動機をひとつ持つ。だからこそ気持ちが少しだけ分かった。



 昼食時――青空と草原の広がる小高い丘を見つけた。

 周囲を広く見渡せるそこは、季節ごとに移動して放牧する牧草地であろうか。今はその季節ではないようで家畜の姿はなく、ただ草原が広がるばかりである。


「ふーん、わりと清潔そうなところじゃない」


 とは、この丘を見つけ出した高位精霊使いシャーマンロードの弁である。

 彼女曰く、精霊たちの働きが活発でよく風が通り、土が肥え、水の淀みもない。よって家畜の落し物なども、冬の間に姿を消しているようだという。やや潔癖症のきらいがあるハイエルフがそう言うのだから、ここは休息を取るに適した場所であると言えそうだ。


「さて、と。それじゃ準備しようか」


 瑛斗は早速バックパックからレジャーシートを広げて、テトラトルテの街で購入しておいた昼食ランチの準備を整える。レジャーシートの他にコッフェルやバーナーは現実世界えいとのせかいから持ち込んだものだが、これらはアーデライードのリクエストである。文明の利器を異世界には持ち込まない――というマイルールを設けている瑛斗だったが、重宝するしあるのなら使わないと、というのが彼女の言い分だった。


「だって異世界こっち魔法物品マジックアイテムと似たようなもんでしょ?」

「うーん、ちょっと違うと思うけどな」

「要は見つからなきゃいいのよ。うちらだけで使う分には、問題なんてないない」


 そういって手をプラプラさせる、お気楽ハイエルフである。

 無駄口を叩くアーデライードを余所に、瑛斗は手際よくちゃっちゃと昼食の準備を整える。水筒に入れておいたマメと根野菜のスープをコッフェルに開けて温め直し、その間に塩トマトやハムを切り分けて紙皿に移す。温め終わったスープを火から降ろすと、パンを軽く炙ってからバターを塗って具材を挟み込む。これでハムサンドとスープの完成である。この手慣れた様子に目を丸くして眺めていたのが、人狼の少女二人であった。


「ふえぇ、エイトさんはお料理も凄いお上手です……」

「ねぇねぇ、これって魔法物品マジックアイテムなの?」


 姉妹のように顔が似ている二人だが、目の付け所はそれぞれ別のようだ。

 料理好きなライカは瑛斗の手際の良さに。好奇心旺盛なカルラは瑛斗の持ってきたシングルガスバーナーに。それぞれがそれぞれ気を取られているようだった。

 その間、いつも纏わり付いてくるレイシャが妙に大人しいと思えば――


「あっあっ、あの、ちょ、勘弁しておくれよ……!」

「……ずるい」


 レイシャは何故かサクラの膝の上に居た。そうしてサクラの胸に実った大きくて丸い二つの膨らみを自分の頭に乗せ、曲芸をするアシカのようにぽよんぽよんと弄んでいる。

 レイシャとサクラのじゃれ合いは、どこかほのぼのとして微笑ましい。

 ただその様子を端から眺めるハイエルフの、目つきが鋭くて怖のは何故だろう。その辺りの察しは悪い、朴念仁の瑛斗である。その時はただ「ダークエルフに獣人族ライカンスロープ、それにハイエルフと旅をするなんて、ずっと夢見てた冒険譚の一節みたいだなぁ」なんてことをワクワクしながら考えるばかりで、胸の大きさなどに着眼する彼ではない。

 早速の初仕事、と腕まくりしたライカとカルラに手伝われ、人数分の食事をいつもより早く用意できた。昼食の準備を楽しみながら、ピクニック気分になる瑛斗であった。


 さて一行が、昼食をすっかり終えた後のこと。


「これで遊ばないか?」


 瑛斗がバックパックから何やら円盤状の物を取り出して見せると、ダークエルフと人狼たちの、大きくて幼い瞳が一斉にこちらを向いた。


「これは、なに?」

「これはフリスビーといってさ。投げ合って遊ぶんだ」


 フリスビーとは登録商標で、正式名称をフライングディスクと呼ぶ。

 円盤状のこのディスクは、鋭く回転を増す程に揚力が発生するように設計されており、互いに相手へ投げ合って遊ぶ遊具、もしくは競技であるといえるものだ。

 瑛斗はもちろんこれを遊具として異世界へ持ち込んでいる。暇を見つけて一緒に遊べば、運動嫌いなアーデライードはともかく、レイシャが喜ぶだろうと思ってのことだった。


 レイシャは元より、幼い人狼たちも食い付きが早い。瑛斗が取り出したそれを食い入るような眼差しで興味津々に見つめていた。瑛斗が思った通り、年少組にはこの手の遊び道具への好奇心が強いようだ。


「これはどうやって遊ぶ物なの?」

「それじゃやって見せるよ……よっと」


 おもむろに立ち上がった瑛斗が円盤フリスビーを軽く投げて見せると、青い空へ向かって思いの外に高く遠くへ飛んでいった。


「わっ、何これ!?」

「すごい、すごいですぅ!!」


 だが瑛斗が投げるとほぼ同時に、物凄いスピードで駆けだした者たちがいた。いわずもがな、人狼の少女・ライカとカルラである。

 獣人族の血が騒いだのであろうか。二人は素晴らしい速力で円盤へ追い縋ると、類稀な跳躍力で跳び上がって、難なく円盤を空中キャッチしてしまった。


「とった! とったわ!!」

「う、うーっ……」


 瑛斗の一投目を見事にキャッチしたのは、普段から快活なカルラであった。普段は大人しいライカだが、珍しく悔しそうな表情を見せている。

 どうやら二人は、この遊びの要領とコツをすっかり理解したようだった。


「ねぇ、これをどうすればいいのー!?」

「それじゃ試しに、こっちへ投げ返してみてはくれないか」

「いくわよーっ! えーい!!」


 初めて投げたカルラの円盤は空高く、思いも寄らぬ方向へと飛んでいく。どうやら投げるよりもキャッチする方がずっと彼女たちに向いているようだ。

 そんなノーコントロールの円盤を、見事キャッチしたのは――


「ふらい」


 古代語魔法ハイエンシェントを小さな声で呟いて、強烈なスピードで空へ飛び上がったレイシャであった。小さなダークエルフの思わぬキャッチ方法に、こんなやり方も異世界なら可能なんだと気付いた瑛斗は、喜びのあまり思わず膝を叩いた。


「上手い! 上手いよ、レイシャ!」

「……えへん」

「それじゃそこから投げてみてよ!」

「ん……っ」


 瑛斗の指示に、見よう見真似でレイシャの投じた円盤は、ライカとカルラのいる微妙な間へと、すぅっと吸い込まれるように飛んでいく。運動神経のいいレイシャの、初めてとは思えぬ見事なコントロールだった。


「よしっ、また取ったわ!」


 そんな円盤をキャッチしたのは、またしてもカルラだった。これには普段、引っ込み思案のライカにしては珍しく、彼女の闘争心に火が付いたようだ。


「……もうっ、次は本気で行くですっ!」

「あっ、それなら私も本気で行くわよっ!」


 ライカとカルラは何を思ったか、唐突に服を脱ぎ捨て始めた。

 瑛斗が声を上げる暇もなく瞬く間に白い裸体を晒すと、パンツまですっかり脱いでしまった。そうして生まれたままの姿になると、まんまるのおしりからぴょこんと尻尾が生え、獣の姿へとその身を変じ始めた。


「そうか、獣人化か!」


 獣人化メイクオーバーは、獣人族の持つ能力の一つである。二人の場合は、巨大な狼の姿へと体型を変じることが出来る。その場合の身体能力は、人間の姿よりも数倍は大きく上回ることになるだろう。

 瑛斗の目を気にもせず全裸になるを厭わないのは、きっと二人ともまだ幼い証左だ。それくらい子供であるが故、恥よりも勝負の方へと純粋に気を取られているのだろう。そんな二人の様子を見たサクラは「後で言って聞かすよ」と苦笑いしつつ、照れくさそうにぽりぽりと頬を掻く。

 さて置き瑛斗は「よし」とひとつ頷くと、三人の年少組に向かって叫んだ。


「それじゃルールを変えよう。レイシャは俺と反対側へ回ってくれ。そして俺とレイシャで交互に円盤を投げるから、カルラとライカは順番に円盤を取るんだ。取った円盤は、それぞれ俺たちへ順番に届けてくれ。それでいいか?」

「ん、わかった」


 そう返事をしたレイシャは空を飛んで瑛斗の指示したポジションへ付き、人狼の少女たちは、瑛斗へ向かいそれぞれ遠吠えを返した。これで準備は完了。瑛斗とレイシャは円盤の投げ手となり、ライカとカルラはそれを順番にキャッチする受け手となる。まずは競い合うよりも、このゲームに慣れる方がきっと皆が楽しめるだろう。

 そんな中、アーデライードは自分勝手に読書を始め、サクラはおっかなびっくりバーナーを弄りつつ、お茶の準備をし始めている。年長組は自分の時間を楽しむと決めたようだ。

 瑛斗たちはそんな午後のひとときを、大いに身体を動かして小一時間ほど遊んだ。



 そろそろ夕暮れに差し掛かかろうという頃。

 今日一日ずっと五月晴れだった太陽が西の地平線へと沈む前に、瑛斗たち一行はリッシェル邸の森は玄関口へと辿り着くことが出来た。

 円盤を夢中で追い駆けて遊び疲れた人狼の少女たちは、揺れる馬車の荷台を揺り籠にしてすっかり眠りこけている。まるで姉妹の様に頬を寄せ合って眠る少女たちは、互いが互いを抱き合って見るからに愛らしい。

 馬車を操縦するサクラが、時折背中の二人へ振り返り、優しい微笑を浮かべていた。

 日々暮らすに精一杯の貧しい生活をしていた彼女たちだ。目一杯はしゃいで遊ぶ姿を見られたのは、サクラにとって何よりであったに違いない。


「さ、これでよし……と。先へ進もう」


 瑛斗が森の入口にあるポストへ馬を寄せ、その頭屋根を三回木槌で叩く。その様子を見たサクラが、不思議そうな顔で目を丸くする。


「家へ辿り着くまでに、幾つかの作法があるんだ」


 リッシェル邸の森は、魔術と精霊と聖護による迷いの森である。

 六英雄たちの手によって、見知らぬ者が間違って屋敷まで入り込まぬよう、様々な結界と工夫が幾重にも張り巡らされているのだ。その道順と作法を間違えれば、この森から意志を以て出て行こうとしない限り、永遠に迷い続ける羽目に遭う。


「へええっ、そいつは凄い……魔術かい?」

「魔術とか精霊とか、えっと、そういうものさ」


 サクラにそう訊ねられても、魔術師キャスターではない瑛斗には、上手に答えられない。こういう時に限ってアーデライードらは、馬車の後方で楽をしようとしている。

 だが瑛斗のザックリとし過ぎた説明でも、サクラは納得をしたらしく引き下がってくれた。彼女とて詳細な説明を受けたところで、理解できる代物ではないからであろう。

 そうして幾つかのポイントをサクラに説明しながら、瑛斗ら一行は森の中を進む。するとサクラが、傍らで馬を並べる瑛斗へぽつりと呟いた。


「あれ、なんだか似ているなぁ……」

「似てるって、何にだ?」

「いやね、あたしがちびの頃に住んでた屋敷の森さね」


 当初はリッシェル邸へと至るまでの作法を面白がって聞いていたサクラだったが、馬車を進めるにつれ、段々とどこか困惑したような不安そうな表情へと変わっていった。

 聞けばこの森は、かつて母と共に通ったことのある小路に似ているのだという。


「この先の右手にはちょっと開けた草っぱらがあってね。そこに大きなニレの木が……」


 サクラの言う通りに右側が開けると、果たして草原に立つ楡の木が見えてきた。それを目にしたサクラが、確信めいた表情で瑛斗を見返す。様子を察した瑛斗はひとつ頷くと、屋敷へ向けて馬の歩をやや速めた。

 涙脆いサクラは不安そうな表情から、今にも泣き出しそうな顔に変わっていた。無理もない。ずっと探し求めていた自分の故郷のルーツが、今にも紐解かれるやも知れないのだ。

 やがて迷いの森を抜け、屋敷の手前にある草原へ出ると――


「ああ、そうだ……そうだよ! スミレの花咲くあの庭だよ、ああっ……!」


 サクラはついに、声を上げて泣き出してしまった。

 質実剛健にして質素で小さなリッシェル邸は、どっしりとした煉瓦積みの外壁に程よい程度に蔦が絡まり、いつもと変わらぬ重厚な佇まいを醸し出している。そんな目の前の屋敷は、まさしくサクラが幼少期を過ごした屋敷であったようだ。


「んむゅ……姉さま?」

「んん、着いたのかしら?」


 サクラのしゃくり上げるような泣き声に、小さな人狼の少女たちが目を覚ます。

 だがサクラはそんな二人に振り向きもせず馬車を跳び下りると、屋敷へ向けて一目散に走り出していた。すぐさま瑛斗がその後を追いかける。


「一番左の、左の奥の部屋だったんだ……!」

「……わかった。俺らに気にせず行ってみろ」


 瑛斗が玄関の鍵を開けると、サクラが邸内へ飛び込んだ。

 そこは見覚えのある、赤を基調とした絨毯が敷き詰められたロビーラウンジ。樫の木で作られた調度品類。あの頃よりも少し古ぼけているけれど、それらは見間違えがない程によく見知った物だった。

 階段を駆け上がり、転がる様に二階へと飛び込む。二階の廊下を曲がって一番奥の部屋へ。その扉を開くと――


「ああ、ああああ……っ」


 サクラの声は、もう上手く言葉にならなかった。

 白いカーテンに、前面に開かれた明るい陽の差し込む窓。その窓辺に置かれたベッドからは、仄かに残る母の面影が霞んで見えた。鼻のよく利く獣人族の、本能と感性が告げている。まごうこと無くこの場所は、夢にまで見た母と過ごした部屋である、と。

 五歳の頃まで過ごしていたこの場所へ、どうしてもここへ来られなかった理由は、迷いの森の結界のせい。そうと気付けど、サクラにとって最早どうでもいいことだ。

 ふらふらと夢遊病の様に部屋の隅へと足を進めると、そこには柱に掘った傷。無数に横へ刻まれた印と、そこに残された文字。


「サクラ……」


 見間違いのない、母の残した文字がそこにはあった。

 日々伸びゆくサクラの成長を遺した、柱の傷である。


「やっぱりあたしは、ここに居たんだ……」


 ようやく追いついた瑛斗が目にしたは、柱にすがり号泣するサクラの後姿であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る