第70話 ダークエルフと行く時空の旅(前篇)

 レイシャの誕生日会は即席パーティであったが、大いに盛り上がりを見せた。


「おおっ……」

「こりゃ凄いな!」


 まず目を見張るのは、テーブル上に並んだ美味しそうな食事の数々である。

 アーデライードの号令一下、惜しむことなく食糧庫パントリーを解放したことにより、ライカとカルラは実によく腕を揮って張り切った。何しろ食糧庫の中身は見たことのない食材ばかり。しかもそれらをふんだんに使えるとなれば、赤貧の村で育ったふたりにとっては願ってもないことであったからだ。


「サクラ姉さま、お皿運びをお願いです」

「あいよ、任せときな!」


 そんなふたりを手助けするサクラも、久しぶりに心から楽しそうな笑顔を見せていた。孤児であった自分の出自が少しだけ解明し、傷心から徐々に立ち直りつつあるようだ。

 いつだって前向きで小さなことは気にしない、元々あっけらかんとした性格の彼女だ。時が経つにつれて持ち前の明るさを取り戻すに違いなかった。


 こうした獣人たちの活躍以外に、突然降って湧いたような誕生日パーティの準備をここまで整えるには、各員一層の奮励努力がなくしては語れなかった。


 これは、騎士たちと台所で料理を行う、否、料理と闘う奮闘記である。


「へぇ、器用なもんだなぁ」

「普段は騎士でも、こういう時くらいは……ねっ」


 もちろん瑛斗は元より、ソフィアもキッチンへ立って腕を揮った。

 キャンプ料理が得意な瑛斗は、異世界の香草を使って肉を焼いた。ソフィアは意外にもお菓子作りが得意なようで、可愛らしいクッキーやドライフルーツで飾り立てたスポンジケーキなどを手際よく焼き上げた。

 そんな瑛斗の傍に寄り添って離れないレイシャは、二人が作った料理の味見役である。


「ん、おいしい」

「ああもう、ホントにレイシャちゃん可愛い……!」


 レイシャ好きなソフィアも満面の笑みでご満悦であった。


「おう、野菜はこんなもんでいいか?」


 ドラッセルが裏の畑から野菜を収穫して戻ってきた。

 荒れ果てた爺ちゃんの畑には、そのまま野生化して自生している野菜も数多い。ライカとカルラもメイド仕事の合間を縫って、裏庭で野菜を栽培しているようだ。


「そこに置いておいてくれれば、私が捌くよ」


 エアハルトはといえば、実にスマートな包丁捌きで野菜の皮を剥いていた。

 だが野菜の皮剥きといえば、黙々とした地味な作業である。何でも卒なくこなすエアハルトの本領発揮と言えなくもないが、いつもと同様にキッチンでも目立つことはない。

 それでも穏やかな表情を浮かべて軽快に作業するあたり、実に彼らしい。


「ところで、アードナー見なかった?」

「いや、畑の方にはいなかったぞ」

「それならさっき地下倉庫からワイン樽を持って……ああ」


 その言葉に瑛斗は悟った。いや、その場にいた全員が悟った。

 上階のリビングで待ち受けるハイエルフに「捕まったな」と。


「残念だが、騎士団長殿は名誉の戦死をなされた」

「いいヤツだったのに……」

「我々は彼の分まで、この戦場キッチンで戦おう!」


 公国の若き騎士たちが妙なノリを見せ、一致団結を誓う。

 その頃のアードナーといえば、ハイエルフと共にフルーツジュースでワインを割ったサングリアを片手に、戦死とは思えぬ程度に楽しそうであった。


 こうして様々な料理が完成すると、全員でキッチンから運び出して食卓を囲む。

 大いなるパーティで囲む食卓は、誰であろうと全員参加が当屋敷のルールである。サクラを始めとしてライカとカルラも当然、一緒のテーブルを囲んで食事を楽しむのだ。


 よってテーブル上は、大量に出揃った豪勢な料理の数々――と相成った。


「ちょっと作り過ぎたかな……?」

「いやぁ、これくらいなら食っちまうだろ」


 瑛斗の疑問を、ドラッセルが何事もない顔で否定した。確かに……この巨体の大食らいたちなら、易々と平らげてしまいそうな気がする。


「よし、それじゃ始めようか」


 瑛斗の掛け声で全員がテーブルに着いた。レイシャを誘ってテーブルの一番端である上席に着かせると、後ろから即席で用意した三角帽子をそっと被せた。

 あまりに愛らしい姿になったレイシャに、ソフィアが目を輝かせているのが目に入る。瑛斗は気を取り直して「うん」と喉の調子を整えると、声高らかに音頭を取った。


「せーの、誕生日おめでとう!」

「誕生日おめでとうーっ!!」


 そう全員で声を合わせ、皆で一斉に盛大な拍手を送る。

 異世界には当然クラッカーなどはないから、これが精一杯だ――そう思っていたら、アードナーが指笛を威勢よく鳴らす。ドラッセルが中身の空いた樽を太鼓のようにパカパカ叩く。人狼であるライカとカルラは遠吠えをし、アーデライードは精霊魔法を駆使して様々な色彩の花弁をド派手に撒き散らかした。なるほど。やり方によっては、色々出来るもんだと感心する。


 華々しく舞い散る花弁の中、レイシャはきょとんとした猫のような表情をして、大きな瞳を見開いた。どうやら思いも寄らぬ突然の出来事に、びっくりしているようである。


「ところで異世界……ええと、王弟公国にも誕生日の歌はあるのか?」

「ああ、当然あるぜ。オレらはエディンダム出身だから、そっちのだけどな」


 そう返したアードナーに、ドラッセルも答える。


「オレはオーディスよりずっと東岸の漁師町出身だが、あるぜ」

「それじゃみんなで、それぞれ誕生日の歌を歌おうか」


 瑛斗の提案に皆が頷き合うと、意外な人物が声を上げた。


「んふん、ハイエルフも誕生日の歌があるわよ」


 この申し出には、全員が揃って興味津々である。

 何しろ非常に希少な種族であり「森の貴婦人」とも称されるハイエルフ族の、しかも絶世の美少女であるアーデライードの歌声には、誰もが興味をそそられて当然だった。


「へぇ、それは是非聞いてみたいな、アデリィ」

「エイトにそう言われちゃ断れないわね……んふー、それじゃ聞かせてあげるわ!」


 アーデライードの見目麗しさは去ることながら、絶世の美声の持ち主でもある。

 そんなハイエルフの歌声で、レイシャの誕生日パーティは華やかに幕を開けた。



 陽が落ちて、辺りがすっかり暗くなったリッシェル邸の夕べ。

 今日の騎士たちは帰宅の途につくを諦めていた。幸いここは宿泊するに十分な部屋数が揃っている上、かつて爺ちゃんが引き入れた温泉まで備わっている。しかも檜造りの内風呂である。当邸にお立ち寄りの際には、是非お気兼ねなく逗留して頂きたい。


 日中に繰り広げられた宴席は実に華やかで、様々な催しが行われた。

 何しろエディンダム出身の騎士たちは、歌と踊りが大好きのようだ。エアハルトが隠し持っていたハーモニカの様な楽器を奏でると、誰もが即興で歌って躍り出す。

 ご機嫌な様子のアーデライードも同様で、舞踏ダンスなんて一体どこで覚えたのか。風の精霊たちを纏わせて、社交舞踏ソシアルダンスのような踊りをくるくると舞い踊っていた。絶世の美少女による華麗な舞である。当然のように誰もが目を奪われてしまった。

 普段は無表情なレイシャでさえ例外ではないようで、頬をほんのりと上気させて見とれている様子は、何よりも瑛斗の印象に残っている。


「おやすみなさいませ、ごしゅじんーっ」

「ああ、カルラとライカもおやすみ」


 さて本日一番に頑張ってくれたまだ幼いメイドたちは、早々に就寝させた。

 テーブル上に揃っていた料理の数々は軒並み片付いている。だがいくらメイドの職があるとはいえ、朝まで語り尽くしていそうなこの酔っ払いたちに付き合わせるのは酷であろう。そこは「酒のツマミ程度ならお任せあれさね」と、サクラが引き継ぎを買って出た。

 四人の騎士とハイエルフは止めどなく会話を楽しんでいるが、特にアーデライードとソフィアは親しげで、このまま部屋で女子会かパジャマパーティへ突入しそうな勢いだ。


 そっと宴席を離れた瑛斗が抱きかかえるのは、本日の主役であるレイシャだ。

 今日は色んな事が有り過ぎて疲れてしまったのだろう。こくりこくりと舟を漕ぎ始めた彼女を、早々にベッドまで運ぶことに決めたのだった。


「今日は大はしゃぎだったね、レイシャ」

「ん、んにゅ……」


 眠そうなレイシャが、眠い目を擦りながら返事する。

 普段物静かで多くを語らない彼女にしては、十分過ぎるほどによく会話し、よく動き回っていたように瑛斗の目に映る。思えば瑛斗たちと出会って初めての誕生日会だ。いくらレイシャとて、気持ちが昂らないはずがない。


「エート……」


 三角帽子を外して部屋のベッドへ寝かしつけると、レイシャが瑛斗の指を握ってきた。傍にいて欲しい時に決まってする仕草である。そこで瑛斗はベッドサイドに座り直す。


「エート、あのね、たのしかった」


 いつも無表情のレイシャが、少しもどかしそうな表情を見せた。

 随分上達したレイシャの共通語コモンだが、伝えたい言葉がなかなか伝えきれないでいるようだ。ここ最近は、そういう表情が増えてきたような気がする。


「そうだね、レイシャが凄く楽しそうだったの、分かるよ」

「ん……」


 レイシャが小さな手を伸ばす。それに応えて瑛斗は顔を寄せた。


「あのね……おうた……」

「歌?」


 そう言うとレイシャが、ハミングで旋律を奏で始めた。

 やがてそれは歌詞を伴い始める。瑛斗が聞いたことのない言語であった。それはエルフ語だろうか。とても小さな小さな声量であったが、とても美しい歌声である。

 思い返せばレイシャと出逢うきっかけは、白く深い朝霧に煙る幻想的な森の中で聞いた、彼女の美しい歌声であったことを思い出す。

 いつかまた聞かせて欲しい――そう約束をしていたが、こうも早く叶うとは。


「これはもしや……誕生日の歌だろうか」


 ふと瑛斗は、日中に皆で歌い合ったことを思い出した。

 ハイエルフの歌は聞くことが出来たが、レイシャの歌はまだ聞いていない。もしやこれはダークエルフに伝わる、誕生日歌バースデーソングではあるまいか。


 レイシャは「歌を歌える」ことを、他の者にはひたすらに隠す。

 そのことに特別な理由なんてない。ただレイシャにとって歌は、瑛斗と自分を結び付けた魔法よりも不思議な魔法――そして「とても綺麗な歌声だった」と褒めてくれた瑛斗と交わした初めての約束――だから歌は、誰よりも一番に瑛斗だけに聞かせたいのだ。


 レイシャが歌い終わって、長い静寂が訪れた。瑛斗はゆっくりと顔を上げる。


「とても綺麗で素敵な歌声だった」


 そんな瑛斗の感想は、レイシャの耳までは届いていなかった。何故ならば、幼いダークエルフは目を閉じて、微かな寝息と共にすっかり眠りに落ちていたからだ。

 疲れ切っていたけれど、どうしても歌だけは瑛斗に伝えたかったのだろう。そんな気持ちを察した瑛斗は、レイシャの茅の穂のように白く柔らかな髪を撫でる。


「さて、ささやかな贈り物だけれど」


 隙を見て書いておいた、バースデーカードを枕元へ置いた。

 単純ではあるが「お誕生日おめでとう」と、今日の日付を記入したものだ。当日に用意できなかった誕生日プレゼント代わりのつもりである。


「ありがとう、レイシャ……」


 するとどうしたことだろうか。突如レイシャを中心として突風が逆巻く。そして眩いほどの蒼白い光が彼女を包み隠すと、数々の魔法陣が現出し始めた。


「なっ、なんだ……!」


 普段は冷静な瑛斗も、突然の出来事に狼狽する。

 驚きのあまり、それ以上の声を上げることができなかった。


 空気の流れは不可思議で、逆巻く風であろうと無音。

 瞳を焼くほどの光に見えて、目で捉えることが可能だった。


 やがて瑛斗の目の前でレイシャの姿は消えて――代わりに何者かが姿を現した。


 白銀プラチナの如く輝くは腰まで届く長髪、繻子織サテンのように滑らかな褐色の肌、エルフ族最大の特徴である長く尖った耳を持つ彼女は、ダークエルフであろうか。胸元の大きく肌蹴はだけた衣装は、婀娜あだめく二つの膨らみを大胆に強調する。

 麗しき美の極光オーラは、鮮烈な輝きを全身から放たれて、国色天香と称して過言ではない。これこそ絵にも描けぬような、神々に祝福されし類稀なる美貌である。


「だ、誰だ……?」


 身構える瑛斗に対し、見知らぬダークエルフは大粒の涙をぽろぽろと流し始めた。恍惚として細く開かれた両眼からは、次から次へと光の雫が零れ落ちる。


「ああ……エイトさま……」


 色香漂う薄化粧に染めた様な頬、艶やかな口唇より甘く切ない吐息をゆっくりと洩らすと、その美しさに思わず目を奪われてしまいそうになった。


「まだ余が、私が分からないか?」


 その言葉に瑛斗が容姿をよくよく見れば、首には「黒き精霊の腕輪」があった。


「まさか……キミはレイシャなのか?」


 瑛斗の言葉に、彼女はこくりと頷いて見せた。


「そうだ……私は三百年後のレイシャだ……」


 胸元から取り出して指に挟んで見せたのは、たった今渡したばかりのバースデーカード。年季によるものだろうか。それとも日に焼けたのか。それは文字が薄くなっていた。


 だが――紛うことなく、瑛斗の渡したバースデーカードであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る