第73話 天空から始める捜索の旅(後篇)

  束の間の休憩時間を終え、公国府・ヴェルヴェドへ向けて再び空の人となった。

 眼下に広がるは、広大な異世界の大地。ほんの四半世紀程前まで、未知なる暗黒大陸とまで呼ばれ恐れられた、オーディスベルト地方の大地が広がっている。

 目指すオーディス火山は、リッシェル邸の二階から眺めるよりも、明らかに大きさを増してきて、その巨大さと雄大をまざまざと見せつける様にそびえ立つ。


 飛竜ワイバーンによる空の旅を楽しむ間、会話するに十分な時間はたっぷりと残されている。

 そこで瑛斗は、これまでに幾度か重ねた空の旅の中で感じていたことを、思い切ってアーデライードへ訊ねてみることにした。


「ところでさ、アデリィ」

「ん、なーに?」

「このオーディスベルト地方ってさ……もしかして、あのオーディス火山を中心とした巨大なカルデラの中じゃないのか?」


 瑛斗の質問を聞いた途端、アーデライードは猫の様な瞳を真ん丸に見開いた。


「エイト……どうしてそう思うのよ?」

「最初にそう気付いたのは、初めて飛竜ワイバーンで訪れた時だったかな」


 驚いた顔をしたハイエルフに対して、瑛斗はゆっくりと思い出しつつ答えた。

 初めて飛竜の背に跨って、異世界の大空を飛びたったあの日――瑛斗は上空から眺めたこの広大な地形を、目を閉じれば思い出せるほど鮮明に脳裏へ焼き付けていた。そうしてゴールデンウィークの旅を経る間に得た経験は、何一つ見逃すことのないよう、様々な特徴や状況を注意深くつぶさに観察するようにしている。


「例えば、地形とか土の質、植生、豊富な水量、温泉……」


 何しろ異世界へはデジタルカメラなど、異世界の文明にそぐわない時代錯誤遺物オーパーツになりそうな現代機器は、できるだけ持ち込まないよう自分に課している。

 だからこそ自分の記憶が大切になる。その分はしっかりと脳裏へ焼き付けよう。異世界を訪れる前からそう心に決めていた、自分への課題の様なものだった。


「それと――あの外輪山、かな」


 そう言って瑛斗は、飛竜の右手側に連なる山脈を指さした。


「あの山々は川下りの西側と山登りの東側で、景色が全然違っていたよね。外側は比較的緩やかで、内側が急崖きゅうがいなのは、カルデラ縁――外輪山の特徴の一つだ」


 川下りの船旅では、アドゥ川支脈東岸から連綿と連なる山々を西側から眺めた。翻って馬車の旅ではこの山脈の東側、急峻な山岳地帯をずっと旅してきている。

 そこで瑛斗はこの山々を、オーディス火山の外輪山ではないかと予想したのだ。


「地形は元より気付いたきっかけは、それだけじゃないんだ」

「そんなにヒントになるものなんてあったかしら?」

「それは――土さ」


 アーデライードの表情は「つちぃ?」という口の形のまま固まった。


「……よくそんなところを見てるわね」

「まぁね、爺ちゃんは農家だったからね」


 半ば呆れ顔のハイエルフに対して、瑛斗はこともなげに答える。


 ゴールデンウィークの旅の間、瑛斗は機会がある毎に、数多く土を手にとって触れてみている。その際、黒ボク土と呼ばれる火山灰土は、この地の各所に存在した。

 多量の火山灰土を主とする土壌は、風成層によって成された関東ローム層などの場合もあるが、カルデラおよび中央火口丘群の周辺部に見られる特徴のひとつである。

 そんな火山灰土の中でも「黒ボク土」と呼ばれている黒い土は、火山灰土に強い植物が腐植し、黒色の集積となって遺ったものだ。名前の由来はその名の通り黒く、その上を歩くとボクボクとしているところから付けられている。


「この土は爺ちゃんから教えてもらってたから、馴染み深いんだ」


 日本列島は世界有数の火山国だ。それにより火山灰土壌は、国土の約十六パーセントにも及ぶという。またこれらは、耕地の四分の一を占めている。

 ただし灰のように柔らかく耕作はしやすいが、農業には不向きとされている。いくら容易く耕せども、黒ボク土に多く含まれている活性アルミニウムが作物を育てるリン酸と結びつき、リン酸欠乏症から根が障害を受けて作物の育たない土であるからだ。だから日本の農業は、この「黒ボク土」との戦いの歴史でもあるといえる。


「だからいつも、想像してしまうんだ」


 このオーディスベルトが秘境であった時代――黒ボク土地帯を見た農家である爺ちゃんは、きっとこう言ったのではないだろうか。


『だから、産業はホレ、俺は農家だ。まぁ……何とかする』


 爺ちゃんの「何とかする」は、駄目な時でもとにかく口にする口癖の一つだ。

 もうひとつ「俺は何もしとらん」と並ぶくらい良く呟いていたっけ。


 この黒ボク土という土質は、稲作はおろか畑作にも向いていない。

 よってオーディスベルトにおける産業の中心は、古い村や街であればあるほど、林業と養蚕によって都市づくりを整備しているように見受けられた。

 例えば林業の街・テトラトルテであったり、山奥の養蚕村・テルタ村などだ。


 だが、その西方の山脈を隔てて産業の在り方、農業に対する景色は一変する。

 川下りの船旅の途では、外輪山手前に広がる平野部に、まだ青々とした麦畑が五月の風に揺れて広がっていたのを瑛斗はよく覚えている。こちらはアドゥ川から流れ込む肥沃な土を利して、広大な農耕用地を整備したのだろう。


「あとは運命の森を始めとする、湧水群の豊富さを見て感じたんだよ」


 瑛斗の推測する外輪山内の東側は、カルデラの内側でありエキドナ地方や運命の森を含む。ここは高地にも拘らず、そこかしこで豊富な水源に溢れていた。

 それだけではない。エキドナ別邸にあった潤沢な温泉資源は、そこだけに限らずあちこちに湧き出しているようで、その最たるは、瑛斗らが拠点とするリッシェル邸までも浴室へは温泉が引かれている点にある。


「これほどまで豊富な湧水に温泉地といえば、日本のとある地名を思い出すんだ」

「それって、なんていうところなの?」

「日本の南西にある九州地方、熊本は――阿蘇ってところさ」


 そこで瑛斗が思い出したのは、日本有数の巨大なカルデラを持つ阿蘇だった。

 小学生の頃に熊本の親戚宅を訪問した際、夏休みの自由研究であれこれと勉強していた特徴とこのオーディスベルトが、非常に似通っていることに気付いたのだ。


「南阿蘇には様々な湧水群があってね。湧き水巡りなんかもできるんだ」


 湧水とは自噴水ともいい、地下水が地表より高くまで湧き上がる状態を指す。

 阿蘇地方でこの現象は、カルデラ内の火山群に降った雨水が地下深くに浸透し、圧力の高い地下水となるために起こる。空洞の多い溶岩層は、貯水能力が非常に高い。大地に降り注いだ雨水は、火砕流堆積物を天然のフィルターとして、ミネラルを数多く含んだ良質な伏流水となる。そうして火山岩層の上で長い年月を磨き込まれ、名水とまで称される天然水となって地上へ湧き上がるのだ。


 そんな阿蘇といえば、世界有数の巨大カルデラで有名だ。


 大きさだけでいえば、世界的に見て最大級であるとは言い難い。特筆すべきは、そのカルデラ内に農地を開墾し、多くの人口を抱える街を形成している点にある。

 もしかしたら爺ちゃんは、オーディスベルトを開墾する際――阿蘇地方をモデルに異世界を開拓していたのではないだろうか――などと想像してしまう。


「もしかしてそれ、ゴトーから聞いていたの?」

「いや、そこまでは聞いてないよ」


 アーデライードの問いに、瑛斗は笑って答えた。


「地形と、土と水……それらを目にして思いついたんだ」

「よくもまぁ……たった五日間の旅で、そんなこと」

「爺ちゃんも父さんも、旅行の時にはこういう話ばかりするのさ」


 事も無げに話す瑛斗に対して、アーデライードは開いた口が塞がらなかった。

 こういう話を聞くにつれゴトーの一族は、どれだけ瑛斗に勇者としての英才教育を施してきたのか。そう考えると、空恐ろしく感じなくもない。いや、勇者見習いを預かる身としては、むしろありがたいことだけど。

 これは逆に、瑛斗が勇者としての素質を持っているわけではなくて、等しく目標として勇者を目指しているからこそ、こう結果そうなったと考えるべきなのか。どうなのか。ううん、それは誰にもわからない。

 ただひとつ、アーデライードが思うこと――それはやはり瑛斗こそ、生まれながらにして勇者になるべくして異世界へ来訪した男だ――と、そう信じる所以でもある。


「他にもさ、もしかしたらヴェルワール港のある湾は、巨大カルデラ湖が決壊してできた湾なんじゃないかとか……そんなことを色々と思い至っちゃってさ」

「どうしてそんなところまで思い至っちゃうのよ」


 嬉々として語る瑛斗に、アーデライードは心の底から呆れた声を出す。

 瑛斗としても、そう言われると答えに窮してしまう。ただ単に異世界が大好き過ぎて、ついつい妄想に耽ってしまうから――などとは、ちょっと答えにくい。


「ええと、学校で習うんだよ」

「呆れた……あなたの通う学校って、一体なんなの?」

「ふ、普通の学校だよ」


 この回答は瑛斗が答えに窮した時に誤魔化す為の、常套句になりつつある気がする。


「エイトの世界では、普通の学校でなんてことを教えてしまうの!」


 何気なく言ったつもりの瑛斗の答えに、アーデライードは大仰に手を広げた。

 そして、天高く舞う飛龍の背の上で伸びやかに両手を広げ、天空の向かい風を全身に浴びながら、大きな声で叫ぶ。


「普通だったら大地はあまりに巨大過ぎて、その答えに辿り着く人なんていないわ!」


 そうだ――アーデライードのその真下には、広大な異世界の大地が広がっている。

 かつてこの世界を支配した魔王は、もう君臨していないけれど――魔法と冒険と、未知の神秘が、数多くの幻想世界が、無限に眠る夢の大地だ。

 飛竜は雄々しき翼を広げ、風を切り、雲を突き破って虚空を駆ける。その果てしなき蒼穹のただ中を、瑛斗たちは今まさに駆け抜けているのだ。


「ちなみにエイト、よく覚えておいてね」


 気持ちよく叫んだハイエルフは、口角を目一杯上げて満足げな笑顔で告げた。


「それ、世界に存在する『七つの魔境』の一つだから」

「七つの魔境?」

「そう……この地が『暗黒大陸』と謳われる所以よ!」


 かつて「災厄を呼ぶ」と、その名を口にするも憚られた不浄の地――オーディスベルト。

 標高八千メートル超のオーディス火山を中心に、直径約三百キロの超弩級カルデラを含む暗黒大陸・オーディスベルト地方こそ、世紀の魔境そのものであった。


「冒険を重ねるうち、きっとまた耳にすることになるから――覚えていて」


 アーデライードがそう告げると、飛竜ワイバーンは徐々に下降を開始した。

 その魔境の中心である、巨大カルデラを作り出したオーディス火山の麓へと、飛竜を降り立たせるためである。

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