第72話 天空から始める捜索の旅(前篇)

 レイシャの誕生日パーティから明けて、翌週の土曜日。

 そして今では雲の上であり――風を切って飛行する旅の途中である。

 先週打ち合わせたエルヴィーラ捜索を開始するため、瑛斗ら一行はゴールデンウィークの旅に引き続き、ドワーフたちの駆る飛龍ワイバーンの背に跨っていた。リッシェル邸から彼女の消息が途絶えた公国府・ヴェルヴェド近郊へと移動するためだ。

 メンバーは、アーデライード、レイシャらエルフたち。そしてワイバーンを駆る六英雄のドルガン、戦士長のボルバルらドワーフたちだ。


「エイトよ! またお前と旅ができるとは『ヒッピー』だぞ!」

「それをいうなら『ハッピー』よ、ドルガン」

「そうか。共通語コモンの横文字は、ちと難しいぞ、ワッハハ!」


 六英雄のドルガンは間違えを気にする素振りもなく、大口を開けて愉快そうに笑う。

 頑迷で気難しい性格のドワーフ族であるドルガンも、前回の空の旅を経て瑛斗を気に入ったようですっかり打ち解けている。


 今回も二頭のワイバーンに分乗する形でチームを分けている。

 先頭を切って飛ぶのは、騎手のドルガン、瑛斗、アーデライードの新・六英雄チーム。そして大量の荷物を運ぶのは、騎手のボルバルとレイシャら荷物運搬チームである。


「レイシャ、にもつじゃないし」


 と、十歳になったばかりのダークエルフは、白い革製の猫耳帽子にドルガンの防風グラスを身に着けて、不本意そうにほっぺを膨らませていた。

 ちなみにチーム名を付けたのはアーデライードで、瑛斗に命名権ネーミングライツはない。


「そうね、荷物というより小包くらいのサイズかしらね」


 などとワザとらしい口調で煽るのは、大人げないハイエルフである。

 ただし偏ったチーム編成へ振り分けたのには、それなりの理由があった。なにしろ今回の旅は大人数であることに加え、長丁場の外出を想定して大量の資材を用意している。

 そのため運搬するワイバーンの負担を軽減するよう、軽量のレイシャを運搬担当のボルバルに託したのだ。だがアーデライードの胸の内には当然、レイシャをお荷物扱いする意味が相当含まれているに相違ない。


「ところでエイト、姿勢がちょっと固いわよ!」

「えっ、そうかな……」


 リッシェルを遠く離れた雲の上で、気流を浴びながらアーデライードが叫んだ。


「でも空の旅が怖いってわけじゃないんでしょう?」


 アーデライードに指摘された通り、実のところ瑛斗はちょっと緊張していた。

 何せ前方には憧れの「闘将ドルガン」、後方には麗しの「聖なる森グラスベルの大賢者」と、六英雄に挟まれる形となっているのだ。しかもドワーフとハイエルフという異種族のふたりである。異世界といえばまさにこの種族といわんばかりの面子に加え、龍種ドラゴンの背に跨って秘境の大空を飛ぶとなれば、これで胸が躍らないはずがない。

 その緊張感と胸の昂ぶりが混ぜ合わせになって、瑛斗の身体を固くしていた。そこをすぐ後ろの鞍に跨っているアーデライードに指摘されたというわけだ。


「ワイバーンに騎乗する時はね。下半身は竜をグッと挟み込むように力を籠めるけど、それ以外は緊張を緩めるように乗らないと。そうじゃないと体力が持たないわよ」

「うん、分かった」


 アーデライードから指導を受けていると、騎手のドルガンが口を挟む。


「ほっほぅ! アデルもたまには、良いことを言う」

「何よ、私はいつだって良いことを言うわよ」

「ではお前さんも、違う意味・・・・で緊張を解いたらどうじゃ?」

「な、なな、なんですって!」


 いつだって澄まし顔のハイエルフが、珍しく慌てて叫ぶ。

 それもそのはず。アーデライードはアーデライードで別の緊張をしていたからだ。何故ならば、すぐ目の前には瑛斗の背中があって、少し手を伸ばせば抱き着くことだってできるのだから。ゴトーに似過ぎたその背中には、つい緊張せずにはいられない。


「ホレ、お前さんのお陰で、飛龍にまで緊張が伝わっとるわい」


 ドルガンの笑い声に合わせてワイバーンが唸るように啼いた。飼い主によく懐いているだけあって、まるで察したかのようにいいタイミングだ。

 これだから『古い友』というものは……と、つい愚痴らずにはいられない。


「どうかしたの、アデリィ?」

「ど、どうもしないわよっ」


 そりゃー、私だってさ。横から突風がびゅーっと吹こうものなら「きゃーっ」とかいって、どさくさに紛れて抱き着いちゃうとか、考えなくもなかったけど。ちょっとだけ。


「でもそんなの、できるわけないじゃない」


 やっぱり無理。恥ずかしい。恥ずかしすぎる。それに……あー、痛い。痛いわ。斜め後ろ四十五度あたりから突き刺さる、ちびっこだーえるの視線が痛い。


「……って、ひっ、ふぎゃーっ?!」


 なんて気を抜いていたら、ドルガンがワザとらしく飛龍を急降下させた。


「おうスマンの、アデル! 突風のようじゃ!」


 ひどい! 変な声出た!! 変な声出た!!

 悪かったわねっ! 可愛らしい「きゃーっ」じゃなくて!

 そんなの早々、都合よく出ないわよっ!


「ああ、驚いた! アデリィ大丈夫だった?」

「う、ええ……」


 瑛斗はドルガンに仕込まれたドッキリに乗っかって、興奮で顔を紅潮させて心配してくれてる。そんなところがとても素直ないい子だし、すごく可愛い。

 そして私は、違う意味で顔を赤くしていることだろう……何故ならば、しっかりと策略に引っ掛かった私は、ちゃっかり瑛斗の背中にしがみ付いてしまったのだから。


 わざとじゃないし! わざとじゃないし! 不可抗力もいいところだし!

 ドルガンの悪戯に引っ掛かった私も大概だけど、全ッ然、感謝なんかしてないし!


 でもちょっとだけ……ありがと。


 もうこうなれば折角だからと、ちびだーえるの視線なんて遠い空の彼方へ放り投げて、暫くの間だけしがみ付いていようと決心する、純情な感情のハイエルフであった。



 リッシェル邸から山間の街・テトラトルテを超え、第一の休憩地点へと入った。

 ここは巨大火山・オーディス山を中心に、ぐるりと取り巻くように並ぶ高い山の一つで、この山もかつては火山であったのだと云い伝えられている。

 この山頂を最初の休憩地点と定め、一行は休息と軽食を摂ることに決めていたのだ。


「ふむ、どうだエイトよ。この道のりは?」

「目的地の発見が容易で二時間弱の行程ですから、丁度いいと思います」


 ドルガンに問われた瑛斗は、率直な感想を述べた。


「よし。それではここを『ノービステリア』の第一候補とするか!」

「族長、ここは『サービスエリア』です」

「そうか。共通語コモンの横文字は、ちと難しいぞ!」


 今回、瑛斗の旅を手伝うドルガンたちには、もうひとつの目的があった。

 それは北のドワーフ族が暮らすグレイステール山脈から、エーデルシュタイン公国の南東に位置するオーディス山までを繋ぐエアラインの整備である。

 以前瑛斗が提案していた空路の調査も兼ねて、ドルガンが申し出てくれたのだ。


「毎度毎度、地図とにらめっこしつつ行き先を定めながら進むよりも、ある程度は事前に空路を定めて置いた方が、確かに効率のよさが段違いじゃったわい」

「鉱山街・ラフタからリッシェルまでの、空路整備はどうですか?」

「うむ、そちらは既に決まっておってな。今頃は別動隊が、エディンダム王国首都への空路も定めておるところじゃわい! ウワッハハハ!」


 ドルガンが自慢の長い髭を撫でつけながら、豪快に笑う。

 飛龍ワイバーンを使った空の旅は、長距離を移動するため騎手の集中力や体力の維持、また乗騎であるワイバーンの健康管理が重要な鍵を握る。そのためには休憩場所の確保、行く先の気象状況の確認など、時折地上へ降り立って休憩を取りながらの旅になる。


『サービスエリアがあればいいんだけどね』


 前回の空の旅の途上、ふと呟いた瑛斗のアイディアが採用され、先月から北のドワーフ族らの手によって、着々と空路の整備が成されているのだった。

 そんな空路の制定は今後、異世界の戦局を大きく左右しかねない。また国家間の流通は元より最速の移動手段になると共に、重要な機密となるかも知れぬとのことだ。


「エイトのお陰で『エコパイン』の整備は、着々と進んでおるぞ」

「それは『エアライン』です、族長」

「おう、そうか! まぁええわい、気にせんでええぞ!」


 実直なボルバルは、ドルガンの間違えをいちいち丁寧に訂正する。


「それより、今回も旅の送り迎えをありがとうございます」


 礼儀正しい瑛斗は何度も口にしているが、改めてドルガンへ礼を述べる。

 数少ないワイバーンとドワーフ族らの人手を、むやみに割くわけにはいかない。飛龍による空の旅は、異世界を行き来する瑛斗のためだけの特別な処置だからだ。


「なぁに、気にするな。それにエイトにゃ頼まれモンもあったしな!」

「す、すみません……」

「ワッハハ! ワシに使いっ走りを頼むなど、剛毅なもんじゃわい!」


 そう言って楽しそうに笑うドルガンに、瑛斗はひたすら恐縮するしかない。


「……頼まれモノ?」


 そんな会話をガッチリと聞きつけた耳聡いハイエルフが、休憩の際にと瑛斗が用意した軽食を食べる手を止めて眉根を顰めた。

 最近は旅を重ねるごとに、自分の知らない秘密が増えていっている気がする。


「どれもこれも、いったい何の話かしら……」


 確かに先週の午後は、リッシェル邸でドルガンと会っていたようだけど――興味がなかったので、特段会話に参加することなく放って置いたことをアーデライードは思い出す。

 とゆーか、あの時は瑛斗のファーストキスがどうのこうのと、ひと悶着があったせいで、不貞腐れハイエルフは、ぶんむくれたまんま独り自室へ籠っていたのだった。だから自室の窓から瑛斗とドルガンの会合を垣間見たに過ぎない。

 そうこうしているうちにレイシャの件は、どうしても話せない事情があるとかで誤魔化されてしまったけれど、その問題も未解決のままなのよね……と思い出してしまった。


「何とかして、エイトの背中、痛く感じないかな」


 などと呪いつつ、アーデライードは空の上でのレイシャと同様に、瑛斗の背中へ向けて鋭い視線を突き刺し続けるのであった。

 そんな気持ちを知ってか知らずか、思いがけず瑛斗がこっちを向いた。


「ところでアデリィ。サクラたちはもう目的地に着いているかな」

「ん……そうねぇ。余裕を見て三日前に出立したから、まず問題ないと思うわよ」


 サクラたち獣人族は、先行して馬車でヴェルヴェド入りしているはずだった。

 今日の午後には、直接現場で落ち合う手筈になっている。


「あれ、もしかしてお口に合わなかったか?」


 アーデライードの微妙な表情に気づいた瑛斗が、気遣って声を掛けてきた。こんなところばかり繊細に気が回る癖に、女心の機微が分からないのがちょっと癪に障る。

 ぶーたれた表情を誤魔化すように、お年頃のハイエルフは話題を逸らす。


「まさか。エイトのお弁当は美味しいわよ」

「レイシャのエート、おいしい」


 ハムとチーズのサンドイッチをパクつきながらそれだけは断言すると、妙なことを呟いたレイシャからは、ぞんざいな様子で水筒をひったくって喉を潤す。

 これら食材と水筒は、優秀なメイドたちを三日間失ったエルフたちが、ちゃんと食事できているか心配で、瑛斗が自宅から持ち込んだものである。


「ねぇ二人とも、ちゃんとご飯食べてた?」

「ん、レイシャ、パスタゆでた」


 そういって小さなダークエルフが挙手をして胸を張る。どうやら十歳になって、初めての料理に挑戦したようだ。これで少しは自信がついて貫禄が出たか。


「そうね……おかげで二日間はパスタだったわ」


 おっと、ここでアーデライードのイチャモンが入った。そっと目を逸らしたレイシャの表情を伺うに、どうやら茹でる量を間違えたようだ。

 茹でるうちに増えていくパスタに驚いたレイシャが、沸騰する鍋を前にして何もできずに右往左往する姿が目に浮かぶようである。


「山のような鍋いっぱいのパスタを前にして、私は声を失ったわね」

「そうだよなぁ。パスタって茹でる量を間違えると、すごく増えるんだよなぁ……」

「ん、ん! んんーっ!」


 瑛斗へ密告したアーデライードに、レイシャが口を尖らせる。そんな無言の抗議虚しく、しかし今度は何故かハイエルフが胸を張った。


「そんな! だーえるのミスをカバーすべく! 私はソースを作り続けたの!」


 鼻高々なアーデライードは、どうやら五種類のパスタソースを作ったらしい。


「トマトソースに、バジルソースを作ったわ!」

「あとは、ぐのないソースと、しょうゆと、とうがらし……」


 うっへりした表情のレイシャが、ハイエルフのレシピを暴露した。

 あ、作ってなかった。どうやら各種ソースを混ぜただけのようである。


「と、唐辛子は、ペペロンチーノっていう立派な料理よ!」


 そう云い張るところを見るに図星のようである。みるみるうちにレイシャの顔が、無表情を通り越した虚無な表情になってゆく。ダークエルフの心を殺す料理とは、これ如何に。

 長い冒険者生活を経たアーデライードは、料理ができないはずはないのだが、心の底から面倒臭がりのせいで、まともに作っているところを見たことがない。


「なんじゃ! 今度はエイトに手料理のひとつでも食わせてやれい!」


 口を挟んだドルガンにそう言われて、アーデライードは、はたと気が付いた。

 そうだった。瑛斗は何でもできるし、自分から率先して行動するせいでうっかりしていた。瑛斗に作ってもらうんじゃあなくって、作ってあげるって手があった。

 そりゃあ、瑛斗の手作り料理は何を食べても美味しいわ。美味しいけれど、そういうアプローチもあったのではなかろうか。

 数々のロマンス小説や、神話の世界で語られる伝説には、手料理で意中の相手の胃袋を掴むべしって謳われているし。そうだった。実際に使わない手はなかった。


「ふむ、手料理……」

「ふむ……」


 顎を摘まんで考え込んでいると、自分と同じような声が聞こえた。隣を覗き込めば、同じポーズで難しそうな顔をしているダークエルフの姿があった。

 あ、同じことを考えているわね、このちびすけだーえるめ。この旅の間には、私との絶対的な戦力差……じゃなくて、経験値の差を思い知るがいいわ。

 そう心に決めると心から悪い顔をする、大人げなさ過ぎるハイエルフであった。

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