第12話 ハイエルフの憂鬱な旅(番外篇)

 雨。


 まるで旅の終わりを待っていたかのような、春雨。

 真白く煙るグラスベルの森に、しとしとと静かに降り注ぐ。


 ハイエルフ特有の長い耳を立て、精霊の囁きを聞いてみる。

 どうやらここ数日は、こんな天気が続くらしい。


 アーデライードは「やれやれ」と声に出して呟いた。

 瑛斗と離れてまだ三日目。なのに寂しさばかりが募る一方だ。


「エイトとの旅が、楽し過ぎたのよね……」


 ベッドの上で寝転がり、独り言ちる。

 次に逢うまでの中五日間が、こんなにも長く待ち遠しく感じるなんて。


 長命なハイエルフの宿命か。時間の経過など気にするに値しない。

 今までは幾ら引き篭もろうが、何も気にならなかった。

 時間なんて無限に湧き出すもの。その程度でしかなかったから。

 だが今は。半年前に彼と出逢ってからは、その気持ちが一変した。


 勇者ゴトーとの永き旅を終えた後。

 数十年の間は、殆どの時間を言語研究に没頭して過ごした。

 一説には「寿命がない」とまで言われるエルフ族である。

 時間に追われる、貴重な時間が、といった概念がまるで薄い。

 研究で無駄に時間をかけようとも、読書だけをして過ごそうとも。

 一日ぐうたら寝て終わることすらまるで平気だった。

 だから時間の経過なんて、暫く忘れていた概念ものなのだ。


 それが今は、一日一日が長く愛おしく感じられる。

 ゴトーと旅したあの日々も、こんな気分だったと思い出す。


 瑛斗と過ごすときだけは、どうかゆっくりと流れますように。

 きっと大切に、大事に過ごしますから。


 そんな気分にさせてくれる、この毎日、この時間、この一瞬。

 だから人は、日々を大切に生きるのだろう。



 遠く遠く、山の向こう側で響く春雷を聞き、ふと我に返った。

 読んでいたデスク上の『コージエン』を閉じる。

 食事も摂らず、すっかり引き籠って熱中していた。

 朝の光で目覚めてからずっとそのまま。飲まず食わず。

 丸一日、読書をして部屋に引き籠っていたのだ。


 『コージエン』は、瑛斗から受け取った異世界の辞典だ。

 旅から帰った直後に、瑛斗からお礼交じりに渡された。


 「お待たせしたね。旅の間、ありがとう」


 だがアーデライードとしては「こちらこそ有難う御座います」だ。


 この異世界の辞典にあるものは、単なる読み応えだけではない。

 見知らぬ世界。興味深い内容。新しい知識。

 それらが、山脈の様にてんこ盛りなのだ。

 内容と価値に於いて、森向こうのグレイステール山脈よりも高い。

 あくまでも自分基準ではあるけれど。


 ベッドの上に寝転がると、ぼんやりと天井を見つめてみる。

 梁の木目を数えながら、ひとつひとつ瑛斗との旅を思い出す。

 長い間、忘れていたけれど、色々あるのが旅なのよね。

 踏破した道のり、様々な街並み。戦いや、冒険や、人との出会い。

 思い出のひとつひとつが、落ち葉の様に深く高く積み重なる。

 やがてそれが一つになって、宝石のように輝きだすのだ。


 そこで、ふとあることに気が付いた。


 ……アレをすっかり忘れてた。瑛斗が置いて行った、アレ。

 何を考えているのかよく分からない、ダークエルフの子供。


 三階には瑛斗の長期滞在者用の部屋キープルームを借りてある。

 基本的に異世界の物質は、瑛斗の現実世界へ持ち出せない。

 だから異世界の衣服や冒険の道具一式は、全てをこの部屋に置いておく。

 エイトがいない間は使われることのない、ポカンと空いた部屋。

 ここに、あのダークエルフのちびすけを住まわせているのだ。


 あの子、ちゃんとご飯を食べてるのかしら?

 お金は持たせてあるけれど、使い方が分かるかどうかも怪しい。

 別に放っておいてもいいけれど。

 そのままにして病気にでもなられちゃ、瑛斗に申し開きできない。

 ……面倒臭い。けれど放っても置けない。

 重たい気持ちを引きずって、様子を見に行くことにした。


 のろのろと三階まで降りる。瑛斗の部屋の前。

 ドアノブを握ると、しっかり鍵がかかっていた。

 扉をノックしてみる。何も返事がない。

 再びノックしてみる。何も返事がない。


「ねぇ、いるんでしょ? 開けなさいな!」


 それでもやはり、何も返事がない。

 指をタクトのように振い、風の精霊を使役する

 部屋の中、様子を伺ってみると、風を感じた。

 水中へ沈むように深く探ると、ベッドから小さな小さな風。

 この風は呼吸。息を潜めるような、呼吸の風。

 きっとベッドの中で丸くなって、縮こまっているのだろう。


「食事は摂ったのでしょうね?」


 仕方なしに扉越しから尋ねてみても、返事はなかった。

 これだから子供は嫌いだ。

 何の成果も得られずに、私は瑛斗の部屋を後にした。



「ねぇ、アレックス。あの子にちゃんとごはん与えてる?」


 ここは『悠久の蒼森亭』二階酒場のカウンター。慌ただしい夕食時が終わり、店内には落ち着いた雰囲気が漂い始めている。

 アーデライードに「アレックス」と呼ばれた男は、グラスに琥珀色の酒を注ぎながらバーカウンター越しに振り向いた。


「与えてる? ……ってあのさ、犬や猫じゃねぇんだからさ」


 アレックス・モルガンは『悠久の蒼森亭』で酒場の主人マスターを務める男である。

彼とは良い飲み仲間で、瑛斗が異世界こっちへ来ていない日は、毎日のように寝酒の相手をしてもらっている友人だ。

 今も秘蔵のグラスを取り出して、お互いの晩酌を楽しむ時間だった。


「毎日ここでちゃんと食事を与える様にって伝えてあるでしょ?」

「来るには来てるよ。なんていうか、客のいない時間帯を狙った様にさ」


 レイシャは食事のために毎日来てはいるようだ。

 但しそれは、一日一回。

 アレックスは無精髭を弄りながら、レイシャの様子を語った。


「あの子はさ、こう、硬貨の入った袋を出してさ、じっとこっちを見るんだよ。仕方がないんで、硬貨を一枚だけ貰ってちょっと待たせるんだ。そんでもって料理の皿とパンを出すだろ? 目を離した隙に居なくなってる。毎日これの繰り返し」


 皿は翌朝、ちゃんとカウンターに置いてあるそうだ。


「ホントに犬か猫のようじゃない……」

「や、俺も心配だからさ。パンは大目に。あと水筒も一緒に置くようにしている」


 それを聞いたアーデライードは、腰のポシェットから財布袋を取り出した。


「ごめんなさいね。お幾らになるかしら?」

「いや、構わんよ。微々たるもんさ」


 子供料金は設定していないんでね、とアレックスは丁重に断った。その後で「アデルの飲み代に比べたら断然安い」と皮肉を付け加えるのを忘れない。

 アーデライードはアレックスの無駄口をさらりと受け流すと、深い溜息をついた。


「私、あの子の気持ち、分かんない」

「でも、例のお孫さんの言うことは聞くんだろ?」


 例のお孫さん、とは、ゴトーの孫である瑛斗のことだ。


「……まぁね」

「だったらアデルにもできることさ」


 アレックスは珍しい紙巻煙草を指に挟んだまま、グラスを傾ける。

 アーデライード特製ロックアイスが、かろんと音を立てた。


「そうかしら」

「そうさ。なにせ君の隣にはずっと、いいお手本が居たんだろ?」


 不貞腐れていたアーデライードは、思わず相好を崩す。


「なによそれ。まるでゴトーが私の扱い上手だったみたいじゃない」

「そう聞いてるけど?」


 お互い真顔で見詰め合ったが、耐え切れなくなって噴き出した。


「それは六英雄の息子としてのアドバイス?」

「ハハハ、俺はダメさ。なにせお手本がダメだった」

「否定しないでおくわね」

「こいつは手厳しい」


 そう言って二人はグラスを合わせ「キンッ」と小気味よい音を鳴らせた。



 夜更けて朝までは未だ永く。床に就けど目は冴えて。

 ふくろうの声を遠くに聞きながら、アーデライードは考える。


 私たちエルフ族っていうのは――

 ええ、私はハイエルフだけれど――少しアンバランスなのだと思う。

 それは私が人間と居過ぎているから、気付いたのかも知れない。

 人間と接していないハイエルフは、きっと気付いていないだけ。

 大人と子供の境界を、明確に線引きできない曖昧さ。

 相当な歳月をかけて相応の知識量を得ているくせに、気持ちは子供。

 大人になっても良い年なのに、人と比べて大人になりきれない。

 逆に言うならば、人間は早く大人になりすぎる。

 もっとゆっくりと大人になればいいのに。

 早く大人になるのは、早く歳を取り過ぎるからじゃないだろうか。

 人は何故そんなに早く歳をとって、そんなに早く死んでしまうのだろう。

 置いて行かれてしまう私の身にもなって欲しい。

 ずっと一緒に居たくても居られないなんて、理不尽過ぎるじゃない。

 同じ時間を共有できれば、私は。私はもっと――

 いいえ、それだけでいいのに。それはいつも思うこと。



「ねぇ、いるんでしょ? 開けなさいな!」


 一夜明けて、翌日の朝。

 昨日と同じ。三階の瑛斗の部屋の前。

 扉をノックしてみる。何も返事がない。

 ドアノブを握ると、やはり鍵がかかっていた。

 再びノックしてみる。何も返事がない。

 仕方がない。最後の手段に出ることにするか。


「レイシャ、折角エイトが来てるのに! いいの?」


 部屋の奥からばたばたと慌てる足音が聞こえた。

 ドアが開かれると、ダークエルフの子供が飛び出してきた。

 アーデライードと目が合うと、その子は目を見開いた。


「残念。嘘よ」


 レイシャが扉を閉めようとしたところを、片手でガッチリと抑える。

 非力なレイシャでは、それ以上どうすることもできなかった。


「ちょっとだけ話を聞きなさいな」


 レイシャが部屋の中へと逃げぬよう、ひょいと廊下へ摘み出す。


「私はね、エイトにアンタの面倒をみるように言われてるの」


 本当は特に言われていない。そう言った方が効果があると思っただけだ。

 両手を腰に据え、説教をするようなポーズで諭す。レイシャは棒立ちのまま、大人しく言うことを聞いている――いや、聞いているように見える。

 何せレイシャの表情はまるで変わらない。相変わらずの無表情で、反省しているのか、不満があるのか、まるで読み取ることができなかった。

 仕方なしにしゃがんで目線を合わせてみた。瑛斗がよくやっている仕草だ。


「言われた約束を守れないのはね、絶対に嫌なのよ。分かるでしょう?」


 レイシャは表情一つ、眉一つ動かすことはない。思わず精霊の動きまでも探ってみたが、それでもレイシャの感情を知ることができなかった。


「ねぇ、何か少しは喋りなさいよ。それじゃちっとも分からない」


 それでもレイシャは、全く声を発しない。

 アーデライードは苛つく気持ちを必死に抑えながら、粘り強く問いかける。


「わかってるの? わかってないの? ねぇ……どっちなの?」


 どちらの問いにも答えることなく、レイシャは終ぞ下を俯いたまま。


「……いいわ。好きになさいな」


 レイシャは扉を静かに閉じた。アーデライードは深い溜息をついた。



 ぼーっと自室の天井を眺める。

 窓の外は、退屈な春の長雨。

 気持ちが鬱屈してしまうから、眺めるのはもう止めた。

 アーデライードには、何か引っかかっていることがある。

 モヤモヤと霧が掛かっているような、そんな気分。

 レイシャを見ていてずっと、気になって仕方がなかったこと。


「大人とか子供は関係ないよ。自分だって子供の時はあったじゃないか」


 瑛斗はそう言って笑っていたっけ。

 それでは自分が子供の頃って、どうだったのだろうか。

 ハイエルフにとって子供の頃なんて遠い昔。

 子供の頃の事なんて、すっかり思い出すことなんてない。


 でも――


 あの人と一緒にいた時は、別。

 あの頃のことならば、鮮明に思い出せる。

 ゴトーを待ちながら、じっと過ごしていた日々。

 部屋の中に引き籠り、ずっとひとりで本を読んでいるような子だった。

 誰とも遊ばず、騒ぐこともない。大人しい子供。

 周囲からは「手間のかからない良い子」だと褒められたこともあったっけ。

 でもそれは違う。ただ単に臆病なだけ。

 臆病で外が怖い。誰とも喋りたくない。何処へも行きたくない。

 そんなことばかり考えていた。


 ぼんやりと天井を眺めつつ、よくよく我が身を振り返ってみれば。

 あの人にとって、自分はかなり手間のかかる子だったに違いない。

 そんな子供にあの人は、粘り強く付き合ってくれていたのだろう。


「……あ、なんかわかっちゃった」


 起き上って膝を抱え、窓に映る自分の顔を眺めてみる。

 レイシャを見ていて、何か嫌になる気持ち。

 モヤモヤとしていた気分は、たぶんこれ。


 レイシャは昔の自分によく似ているんだ。


 自分と同じ、鏡写しみたいな反応に、嫌気していたんだと気が付いた。

 ハッキリとものを言えず、うじうじとしていたあの頃。

 外へ一歩、何時まで経っても踏み出すことができやしない。

 寂しくて、怖くて、そんな臆病な自分が嫌いで。

 閉鎖的なハイエルフの森の中で、縮こまって生きていた、自分。

 そこから勇気を持って、外へ踏み出すまでの、自分。

 よくよく思い出せば、第一歩の決断だってゴトーがいたからだ。

 ゴトーに手を引いてもらって、やっとできたことだったのに。


 多分レイシャも同じ。瑛斗の手を離せない。

 何もかも失って、寂しくて、怖くて、仕方がないんだ。


 グラスベルの森の中。瑛斗をじっと待つ二人。

 春雨は、優しく窓に降りかかる。

 じっと瑛斗を待ちわびて、お互いに寂しさを募らせるのだった。



 土曜日の朝。今日は瑛斗がやって来る日。

 長く続いた春雨が止み、久々の晴天に濡れた草木が頭をもたげ始めた頃。

 朝日降り注ぐ『悠久の蒼森亭』の最上階。アーデライードの専用客室キープルーム

 その窓辺で頬杖をついて外を眺めていると、こちらへ歩いてくる人影が見えた。

 瑛斗だ――いつもの異世界の軽装姿に、大きな包みを二つ持っているのが見える。

 それと同時に飛び出してゆく、小さな影がひとつ。


「あっ、あのったら!」


 レイシャだ。きっと瑛斗を待ちきれず、ずっと外で待っていたのだろう。

 子狐のような素早さで駆け寄ると、瑛斗の周りをうろうろと纏わりついた。


「あっ、あっ……ああーっ!」


 部屋中にアーデライードの悲鳴が響く。纏わり付かれて歩き辛そうにしていた瑛斗が、片手でヒョイとレイシャを持ち上げたのだ。

 抱っこだ。レイシャは彼の首に手を回し、ぎゅーっと抱き着いている。


 ずるいずるいずるい! 私だってしたことないのに!

 ああもうって、何よそれ! 私だってしたことないのにって、何よ?!

 そんなのしたいなんて、してってしたいって……なんなのよ!?

 ううあ、もういい!


 急いでクローゼットの扉を開くと、レビテーション・ブーツに履き替える。

 部屋からテラスへ飛び出して、そのまま宙へと身を躍らせた。

 だいたい三階辺りまでは自由落下。そこから先は空中浮揚レビテーションの効果でゆっくりと降りてゆく。

 そうして瑛斗の元へ駆け寄ると、彼は目を丸くして言った。


「凄いな、アデリィ。君がそんな風に降りてくるのを初めて見たよ」


 驚いた顔の瑛斗を見て、アーデライードは「しまった」と思った。

 まるで瑛斗に逢いたくて、慌てていたみたいじゃない!

 子供みたいな自分の行動に、思わず赤面してしまう。

 これではレイシャのことを注意するなんてできやしない。


「もしかして今のも、精霊語魔法の一つなのか?」

「……どちらかと言えば、あなたが仕掛けた魔法だわ」

「えっ? どういう意味?」

「なんでもない」


 そう言い残して、アーデライードはくるりと背を向ける。

 すたすたと『悠久の蒼森亭』の入口へと向かって行ってしまった。

 残された瑛斗は、仕方なくレイシャに尋ねてみた。


「あれって、どういう意味なんだろうな?」

「レイシャと、おなじ」

「えっ? なにが?」

「エート、にぶい……」


 まさか幼い少女にそう言われてしまうとは。

 それでもキョトンとしていた自分に気付き、瑛斗は思わず苦笑した。



 アーデライードの後を追って、瑛斗は『悠久の蒼森亭』二階のテラスへ足を運ぶ。

 果たして彼女は、お気に入りの場所にいた。


「アデリィ、どうしたの?」


 話しかけてみたが返答がない。頬杖をついてそっぽを向いたまま。

 怒っている素振りでもないので、暫く様子を見ることにした。

 仕方なしに同じテーブルへ着くと、続いて隣に腰かけたレイシャへ問いかけてみる。


「レイシャ、何か変わりはなかった?」

「特段何もなかったわね」

「いい子にしてた?」

「私はいい子にしてたわよ」

「ごはんはちゃんと食べてる?」

「お酒も飲んでるわね」

「ああうん、アデリィはよく分かった」


 聞いているのか、いないのか。いちいち絡んでくる気まぐれハイエルフを軽くいなすと、瑛斗はレイシャの目をじっと覗き込んだ。

 すると非常にゆっくりとレイシャが目を逸らし始めた。小さな変化だが、瑛斗にはそれで十分だった。


「ねぇ、レイシャ。俺はずっとこっちにいられないけどね。次にレイシャに逢う時まで、ちゃんと元気でいて欲しいと願ってるんだ」


 レイシャの瞳がひゅんと動いて瑛斗の瞳を見つめ返した。


「それだけ」


 瑛斗がそう言ってにっこり微笑むと、レイシャはこくりと頷いた。

 その様子を横目で見ていたアーデライードは、人差し指を口唇に当てて「ほぅ」と感嘆の溜息を小さく洩らした。

 あれだけ何の感情ひとつ動かさないダークエルフの子供が、明確な意思表示を示すのだ。しかも瑛斗は何も命じていないし、問い質すようなこともしていない。

 耳元へ顔を近づけて、こっそりと瑛斗に聞いてみる。


「アンタね、それっていったいどういう技よ?」

「え? 技ってなにが?」

「どうやって意思疎通できているんだか」

「そうだな。爺ちゃんがこんな感じだったなって、やってるだけさ」


 言われてみれば、と自分が子供の頃の、ゴトーのことを思い返す。

 確かにあの人は叱ったり命令を言い付けたりしなかった。瑛斗よりもっと朴訥な調子で「心配している」とだけ伝えられた気がする。

 当時はあまり共通語コモンを話せなかったから明確ではないけれど。


「ん、そうか……昔は言葉なんかいらなかったんだ」

「どうしたの? 爺ちゃんのことを思い出してる?」


 思ったよりもずっと単純で簡単な事なのだろう。それを自分よりもずっと年下の瑛斗から教えられてしまった。その上、当の瑛斗といえば昔話の方に興味津々のご様子。ちょっとだけ不満が募った。


「ん、よく分かったわ。エイトは女泣かせの幼女殺しキラー

「へっ? 急に変な事言うなよ、アデリィ」


 ジトッとした目で悪態をつく。


「エート、よーじょ、きらー?」

「レッ、レイシャまで真似しなくっていいって!」


 瑛斗にはこれくらいの仕打ち、許容して貰いたいものである。


「あっ、ああ、そうだ。渡すものがあるんだよ」


 その場を取り繕うかのように、瑛斗が大きな包みを二つ、テーブルへ置いた。

 ひとつをレイシャの方へと押しやって、包みを開く。


「レイシャは何も持ってないからね。従妹いとこのお古とか色々と貰ってきた」


 皆で立ち上がって、袋の中身を広げてみる。すると中からは、可愛らしい洋服や、積み木のおもちゃ、絵本などがざくざくと出てきた。

 レイシャはその中からクマのぬいぐるみを見つけると、ぎゅっと抱きしめた。


「あれ、それが気に入ったのか?」


 レイシャは少し上気した顔で、こくりと頷いた。


「そうか。気に入って貰えたみたいでよかった」


 ああ、今ならレイシャの気持ちが分かる。アーデライードはそう思った。

 無表情なレイシャだが、心の中は嬉しさで溢れていると。翻って自分はきっと、明らかに不満そうな表情を浮かべているだろう。

 まだ幼い少女と自分を比べてしまってはダメだと分かってはいるが、瑛斗から貰ったプレゼントを抱いて満足そうなレイシャを見ていると、どこかモヤモヤとしてしまう。


「それでね、こっちの包みはね、アデリィ」


 瑛斗はもう一つの包みを「気に入ってもらえるか分からないんだけどね」と前置きをしながら、アーデライードの方へと押しやった。


「えっ? えっ? これ、私が開けてもいいの?」

「もちろんだよ。旅のお礼に、ね」


 想いも寄らぬプレゼントに、アーデライードの心はぴょんぴょんと飛び跳ねた。

 大きな塊は触るとふわふわと軟らかく、中身はまるで想像つかない。踊る心を懸命に抑えつけながら、アーデライードは包みのリボンを解いた。


「わわ、なにこれ?! ……かわいい!」


 瑛斗がアデリィに持ってきたものは、ペンギン型の抱き枕だった。


「ずんぐりとしたこれは何? 鳥なの??」


 瑛斗は笑いながら「そうだね、鳥だよ」と答えた。


「この生き物はね、俺の世界で『アデリーペンギン』っていうんだ」

「アデリィペンギン! 私と同じ名前!」

「そう。だからこれを店頭で見かけて、ずっと気になってたんだよ」


 嬉しい! 嬉しい! 瑛斗からのプレゼント!

 可愛い! 可愛い! 私と同じ名前の異世界の動物!


 もう嬉しさを隠すことなんてできやしない。

 様々な精霊たちが飛び回ってしまうのもお構いなしで、心の底から喜んだ。

 するとその様子を見ていた瑛斗が、声を出して笑った。


「二人とも、そうしていると姉妹みたいだね」


 瑛斗に言われて隣を見ると、何時の間にかクマのぬいぐるみを抱くレイシャがいた。

 そして私は、大きなペンギンのぬいぐるみを抱いている。

 レイシャと目が合った。相変わらず何を考えているか分からない瞳。

 無表情で、無愛想で、全然喋ろうとしない、へんな子。

 瑛斗から教えられても、この子を理解するなんて、まだまだできそうもない。

 けれど今は――確実に分かっていることが一つだけある。


 それはね……


 今の気持ちは二人とも、きっとおんなじだってこと!

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