第36話 獣人族救出作戦の旅(中篇)
リザードマン。
全身を鱗状の皮膚に覆われた爬虫類のような姿を持ち、主に水辺や沼地、もしくは砂漠といった乾いた地にも生息域を持つ、幾多の種が存在する
上位種である前文明的な生活を営むノーブル・リザードマンといった種であれば、リザード語を通じての会話、もしくは
ただし今、瑛斗の前に立ちはだかるこの種族は下位種。
剣や防具などの道具は使用できるが、人間よりも知能は低い。主に南部の沼地に生息し、攻撃的かつ残忍な性格で知られているリザードマンである。
「とっとと倒しちゃっていいわよ」
というアーデライードの許可を得て、瑛斗は手加減無しで退治することに決めた。
馬車にはまだ人質の獣人たちが解放されずに残っている。サクラのためにも馬車からは引き離しておいた方がよさそうだ。瑛斗はリザードマンのショートソードによる初撃を難なく躱すと、おびき出すように誘導し、場所を変えることとした。
初手を合わせた感触では、ゴブリンよりも力は強いがオークよりは弱い。オークよりは素早いがゴブリン程ではない、といったところか。また、連携を取り合い周囲を取り囲もうとするところから、集団戦に長けた種族と言えるのだろう。
油断さえしなければ、十分相手に足りると思しき手ごたえである。
瑛斗は息を吹き出して口元を真一文字に引き締めると、改めて剣を構え直した。
一方、敵ダークエルフの元へ向かったレイシャは、森の中は樹上に居た。何の苦も感じさせない身軽さで、太く育った木々の枝を駆け巡る。
そんなレイシャを知覚上で追うことができる者は、この場にただ一人。森の麗人とも称されるハイエルフ・アーデライードである。
広大な感知範囲を誇る彼女は、樹木の精霊や風の精霊、その他様々な精霊を使役して、フィールド全ての動向を逐一察知する。森を自在に駆け回るレイシャの行動も、精霊の動きひとつで追いかけることが可能なのだ。
そうして木々の間を駆け巡っていたレイシャがふと、ダークエルフたちの頭上近くで足を止めた。そして息を潜めて気配を殺す。まずは敵の様子を窺うことにしたようだ。
「フン、何者だ! そこにいるのは分かっているぞ!」
ところがレイシャの思惑はたちまち崩されて、ダークエルフの一人が猛々しく声を上げた。男が叫んだその言語は『エルフ語』である。
彼がレイシャの居場所に感付いた理由。それは敵意を探知する
どうやらレイシャの気配は消すことができたが、相手に対する敵意までは消すことができなかったようだ。
男の声に答える様に、レイシャはいつもの無表情で幹の陰からスッと姿を見せた。ともすれば、ぼんやりとした表情で。いや、いつにも増して呆けた顔をしていた。
やる気なさ気な態度と可愛らしい顔立ちに、敵ですら思わず気が抜けそうになる。
「なんだ……我らが同族か」
その言葉を聞いたレイシャが「ふぅ」と溜息をついた。
呆れた様な態度と表情は、実につまらなさそうである。
「えねるぎー・ぼると」
「なぁっ!?」
「……チィッ! カウンターマジック!」
急激に盛り上がる
その効力でレイシャの
「くっ……貴様、何をする!」
「たおす」
彼らの操る『エルフ語』を理解しているのか、いないのか。レイシャは構わず『
「なっ、『たおす』だとッ?! おのれッ、同族殺しを厭わぬ気か!」
「お……おおっ? 我が同志よ、ちょっと待て!」
「むっ、小娘のその瞳……まさか、赤い瞳!?」
半開きの眠たそうなレイシャの瞳の色に、男の仲間が気付いたようだ。
レイシャがますます眉を
「もしや『暗黒神の寵児』!?」
「なんと……あの業火の中で生きていたとは……!」
聞き慣れぬ不穏な言葉を男たちは口々に叫ぶ。そんな同志たちを中央のリーダーらしきダークエルフが制した。
「いや……生きていたならば、むしろこれは好機……」
そう呟いて邪悪な笑みを浮かべると、レイシャへ向けて手を差し伸べる。
「フフフ! 来い、我が同族よ。その力は我らが神の為、存分に揮うがいい!」
「……えねるぎー・ぼると」
敵のダークエルフたちは「うわぁ!?」とみっともなく叫んで無様に身を捩りつつ、レイシャの「エネルギー・ボルト」をギリギリで躱すことができた。
「なっ、何をする!!」
「あっ、危ないだろう?!」
「
ダークエルフ・リーダーの問いかけに、またも溜息を一つ突いたレイシャは、仕方なさそうな顔をしてへの字口をゆっくりと開いた。
「……貴公の提案に、我が魂は微塵も動かじ」
いつもの幼女然とした可愛らしい声は変わらない。しかし発せられるその言語は、今では失われて久しき古式ゆかしい『エルフ語』である。
朗々とレイシャの口から発せられるこの言語は、意外にも厳か且つ流暢だった。
「なっ、何を言うか。我らはひとつにして双並び無き……」
「我が
レイシャはそれだけを言い残すと、呪文の詠唱を開始した。
「ふぁいあ・ぼーる」
以前、レイシャが見せた極大の火球を放つ
「フッ、愚かな童女め……」
レイシャの「ファイア・ボール」に対抗すべく、リーダー格のダークエルフも同様の呪文詠唱を開始する。だがその詠唱は、驚愕の表情と共に詠唱半ばにして凍りついた。
鉱山街・ラフタで入手した
「あんど・ふぁいあ・ぼーる」
無尽蔵とも思しき
託されたエリノア著作の『黒革の手帳』を元に、日々の研鑚を怠らぬ賜物だ。
ダークエルフ達が驚愕の表情で悲鳴ともつかぬ声で叫ぶ。これは『エルフ語』を知らぬ者でも分かる。驚きと共に吐き出された言葉は、紛れもなく「バカな!」である。
瞬時にレイシャの頭上で火勢を倍増させた火球――それは
堪らずダークエルフの一人が逃げ出すと、雪崩を打ったように全員が森の奥へと走り出す。何事もなかったかのようにその様子を眺めたレイシャは、樹上から不意に身を投げた。
否、投げたかと思えばふわりと浮き出して、空を飛んで猛追を開始したのだ。
「うわあぁぁっ、魔法の詠唱中に他の魔法も詠唱するだとぉけきゃぁぁーっ?!」
恐怖と驚愕に打ち震え過ぎて叫んだ語尾は、最早言葉となっていなかった。
彼が振り向いたその先――そこには
だが彼らの分析そのものは、正確に言えば間違いである。レイシャは木々の間を飛び回るために、既に
「いけ」
極大の火球が爆炎を渦巻かせながら、レイシャの揮う
「ぎゃあぁああぁぁあぁぁぁーッッ!!」
この悲鳴の主は紛れもなくダークエルフたちである。静寂の山中は森の奥深く、恐怖に慄く悲鳴が響き渡った。
アーデライードはその様子を、離れた場所から鋭い目付きでつぶさに観察していた。
「ふぅん……中級クラスの
呟いたアーデライードの声が、掻き消える程の絶叫と轟音が森に響く。
立ち上がる爆炎と響き渡る爆発音は、きっと瑛斗らの元にも届いたはずだ。
「ま、運が良かったと思いなさいな」
アーデライードがのんびりとレイシャの
「なかなかいい攻撃じゃない、レイシャ」
アーデライードが珍しく褒める。爆風で吹き飛ばし気絶させる方法は、先程瑛斗が敵騎士へ対しておこなった攻撃を真似た手法に違いなかった。
「くやしい」
だが当のレイシャといえば、表情はさほど変わらずもどうやら悔しいようだ。
「もっとうまく、できるとおもた」
レイシャの言う失敗とは、射程範囲内に敵を入れるまでに存在を気付かれてしまったこと。それにより、赤い瞳であることまでも知られてしまったことを指す。
とはいえレイシャはこの戦闘序盤で、敵の戦意を大きく挫いた攻撃となった。森の中の様子を探れば、人狼たちと戦っている
「あら、よくできた方じゃないかしら」
「ん、エートに、ほめられるか?」
「褒められるんじゃない? 残念だけど」
こういう時でも負けず嫌いのハイエルフは一言余計に多い。だが当のレイシャは気にも留めぬようで、無表情ながら嬉しそうである。なんか悔しい。
「ただし有効なのは今回の戦況だからよ。通常は自分の
「ん、わかった」
アーデライード先生は不愉快な弟子に対しても、
濛々と立ち上がる爆炎を、遥か遠目に眺めたサクラは「あたし、よく命があったなぁ……」と、茫然と立ちすくみながら改めて思う。
だがぼんやりとしてばかりはいられぬ。ハッとしたように駆け出すと、サクラは再び檻の鍵を開けて人狼たちを解放する作業に戻るのだった。
森の中から立ち上がる爆炎を見て、決着がひとつ着いたことを瑛斗は悟った。
件の爆炎を間近で見たことがある瑛斗には、レイシャの「ファイア・ボール」であるとすぐに気付いた。それに彼女にはアーデライードがついて行ったはずだ。ならばまず間違いなく勝利しただろう。なれば自分もそれに続かねばなるまい。
リザードマンと幾度かの牽制を交えつつ対決した結果、瑛斗の身の丈ほどある
慎重居士の瑛斗にしては珍しく「一気に決着を付けよう」――そう意を決した。
まずはリザードマン達との距離をじっくりと測りつつ、一足飛びで間合いを詰める。そして先頭のリザードマンの懐に飛び込むや否や、車の構えから真一文字に振り抜いて胴を引き裂いた。その切っ先を休ませることなく次撃へと転じると、二匹目のリザードマンを右袈裟に切り捨てる。止まることのない流れるような三撃目は、最後のリザードマンの頭上を捉え、上段切りに打ち下ろす。
流れるような連続攻撃。アーデライードと磨きに磨いた研鑚の仕業である。
見事、瑛斗が思い描く形で、一気に三匹のリザードマンとの勝負を片付けた。それを横目で見ていたアードナーが「うおおっ!」と思わず感嘆の声を上げる。
「おい、エイト! なんだその技は!?」
「え、技? 技なんてもんじゃないよ、これ」
「はぁ?! いや、そりゃもう必殺技だろ?!」
妙な無駄口を叩き始めたアードナーには余裕がある。
それもその筈で、敵の騎士たちは既に半数近くにまで数を減らしていた。ある者は腕を押さえ、ある者は腹を抱えて悶絶す。そうして行動不能に陥れていたのだ。
獣人少女らの戦況も恐らくは優勢であろう。さすがに
このアードナーの油断が、隙を窺っていた第十四騎士団部隊長の口を開かせた。
「ランドルフ、何をしている! お前の出番だ、ランドルフ!!」
部隊長が悲鳴にも似た声を上げると、森の奥からのっそりと一人の男が現れた。
ランドルフと呼ばれたこの男。精悍な顔立ちにドラッセルに匹敵する長身。彼の
「おい、こんな状況になってから俺を呼ぶ意味が分かっているんだろうな?」
「く、くそっ! 倍払う、倍の報酬額を支払うッ!」
「倍じゃ効かん。金貨十二枚だ」
「くっ……わ、わかった、支払おう……」
どうやら報奨金をケチったおかげで、倍以上の金を失うことになったようだ。
そうして項垂れた部隊長に代わって、その男はアードナーの前へと歩み出た。身形は如何にも傭兵といった風体である。
その男が手にするは、瑛斗の持つ
「
「
その姿を見たエアハルトに続いてアードナーが叫ぶ。耳に触れる限りには、ご丁寧な事にどうにも物騒にしか聞こえない通り名まで付いている。
その他の騎士まで全て押しのけて進み出たランドルフは、一言も口を開くことなくアードナーへ向け大剣を一閃させた。
ギイィィーン!
激突する剣戟の音が、暗闇の森に響き渡る。
猛然と振りかぶられたランドルフの豪剣を、アードナーは自らの剣をぴたりと合わせて弾き返す。返す剣で一撃見舞うも、ランドルフは紙一重のところで躱したのだ。
互いに初撃を交えて後、距離を取ったアードナーが「フーッ」と息を吐き出した。
「こりゃあいい……あのランドルフとやり合えるとは、またとない機会だ」
「…………」
問いかけに答えず無言を貫くランドルフを、アードナーが鋭い視線で睨め付ける。
「その余裕、無くしてやるぜ……突き殺すッ!」
そう叫ぶと一瞬の間を置かず、アードナーが飛び込んだ。片手一本突きである。
これは瑛斗も見たことがあった。テトラトルテの路地裏で、サクラへ打ち込んでみせた突き技だ。船上はおろか、サクラへ突き入れたスピードをも上回る踏み込む。
だが、ランドルフには当たらない。大剣を利して剣の腹を盾にして捌いた。
それを見た瑛斗は、思わず「巧い」と呟いた。
大剣を盾としつつも死角は作らず。且つアードナーの剣からは目を離さない。かなり技量の高い手練れた剣捌きと言えよう。
それでもアードナーは攻撃の手を休めない。ランドルフの強力無比な重い
スピードに乗った若武者の突き技を、傭兵は大剣を巧みに操り悉く躱す。
双方剣を交える度に、互いの剣が仄明るい光を放ち始めた。アードナーの持つ「ファイアソード」が魔法剣であるならば、このランドルフという男が持つ
一合、二合と剣を重ね合う二人の決闘は、周囲の目線を奪うような激戦であった。
「あらあら、結構な使い手が混じっているじゃない!」
そう呑気な声で口にしたのは、アーデライードである。このハイエルフ、先程まで森の奥へ行っていたクセに、相変わらず神出鬼没である。すぐ傍にはレイシャもいた。
アーデライードは形の良い顎にガラス細工のような指を当てて、この戦いを天秤に掛けるのような視線でじっくりと観察した。
ランドルフというこの男、かなり熟練している。
ふぅん……これは丁度いいわね、と彼女は思った。
「アンタたち、ちょっとお待ちなさいな!」
アーデライードが指を鳴らすと、アードナーとランドルフ、双方の間に光の精霊「ウィル・オ・ウィスプ」が弾けて眩い光を放つ。
激闘相まみえる二人の間へ割って入って、類稀なる熱戦に無粋な水を差すと、
「アードナー以下、雑兵共はお下がんなさい! いけっ、エイト!」
瑛斗は、なにやらどこかの鉄人ロボットみたいなご指名を受けてしまった。
アーデライードの台詞を聞いたアードナーが「なにぃ?」と不満そうな顔でこちらを睨んだが、言ったのは瑛斗ではない。その点は勘違いしないで欲しい。
そんなアードナーを意に介さぬハイエルフが「ほら、アレ」と指差す先には、いつの間にか部隊長と副部隊長の二人以上を相手に回したエアハルトが苦戦していた。
それもその筈。アードナーが先程まで剣を交えていた敵が全て、エアハルトへ向かっていたのだ。昔から尻拭いをさせられている、とぼやいていたエアハルトの苦労が目に見えてよく分かる姿である。
アードナーへ歩み寄った瑛斗は、ちょっぴり背伸びをして長身な彼の肩をポンと叩く。
「うちの師匠のご指名なんだ、悪いな」
「……チィッ」
アードナーは舌打ちしつつも、とっておきの見せ場を譲ってくれたようだ。ランドルフへキッとひと睨みしてから、エアハルトの戦闘へ加勢に入る。
こうして瑛斗とランドルフ。豪剣を手にした二人の男が相対することとなった。
「よし、行くぞ!」
「……こい」
それは瑛斗にとって異世界では初めて真っ向勝負を挑む対人戦である。また自分と似たような巨大剣を操る者との初激突でもあった。
戦いの火蓋は号砲の如き、豪剣同士を撃ち合わせた初撃の轟音を持って放たれた。
瑛斗とランドルフ、激しい一騎打ちがここに展開されたのである。
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