第77話 暗号の謎と鍵付き書物の旅

「よっし、それじゃここからはあたしの出番だね!」


 そう言って腕捲りしたサクラは、一通り砦の壁を調べると叩いて音を確認する。

 音の違いや手に伝わる感触により、他の場所との違いを見抜くいわゆる『打検』である。それにより音の違いを見極めた彼女は、ツールナイフを差し込んで慎重に煉瓦を外す。


「ここはあたしに任せて……伊達に盗賊はやってないよ」

「気を付けろよ、サクラ」

「あ、でも今は盗賊とかしてないからさ」

「いいからサクラ、集中して!」

「大丈夫さね、何かあっても獣人は頑丈だからね」


 そういう問題ではないのだが、とにかく集中して欲しい。

 ただしガサツそうでサクラの器用度デキシティリティは異常に高い。無駄口を叩きながらも、サクラはなんだかんだで慎重に罠を解除する。


「けれど仲間に渡す物でも、罠を仕掛けるもんなんだな」

「罠を仕掛けるなんてのは彼女くらいなもんだけど、これは教導書通りだよ。オレたち騎士だったら、盾でガッと囲んだ上で、棒をドッと突っ込んで解除するからな」


 ドラッセルの擬音の多さからして、ガサツな解除手法は設置者も承知の上なのだろう。


「へぇ……簡易的だけどよくできた罠だなぁ。で、二本目と七本目を切る……」


 サクラは数本の糸をナイフで慎重に切断しているようだ。やがて煉瓦を引き抜いた穴の中へ手を差し入れると、最初に小袋の付いた細長い筒を取り出して瑛斗へ手渡した。


「なんだこれ?」

「まずこれは毒粉ね。覗き込んで手を突っ込んだ、マヌケの目を潰すヤツ」


 缶ジュースでも渡す様に、あっさりと恐ろしいものを手渡されてしまった。


「コラッ、エイトに変なモン渡すんじゃないわよっ!」

「うえぇ、ごめんよ姐さん。それでこっちが本命だよ」


 ハイエルフに引っ叩かれながら、ウェアフォックスが何かを取り出した。

 現れたそれは油紙に包まれた、書物のようなものである。表紙には鍵が掛かっていた。


「レイシャ」

「ん……『アンロック』」


 魔法で鍵を開錠し、アーデライードが書物を開く。背の低い彼女の後ろから、皆で中を覗き込めば、そこには意味不明な文字と記号の羅列があるだけであった。

 固唾を呑んで見守っていたソフィアとドラッセルから、思わず溜息が漏れた。


「もしかして、暗号化されている文字かしら?」

「これは……ちょっと手掛かりになりそうにないな」


 そう落胆する二人の騎士を余所に、ハイエルフが素っ頓狂な声を上げた。


「あら、これ……私、読めるわよ」

「えっ?」

「はぁ?」

「だって、前に読んで知ってるもの!」

「なんだってぇ!?」


 驚嘆する一同を余所に、アーデライードはきっぱりと言って退けた。事も無げにそう言う彼女は、言語と文字のエキスパートである。だがいくら言語と文字のエキスパートとはいえ、暗号化された文章まで読み解くとなると、これはもう驚く他にない。


「正確には、材料が揃った……というべきかしら」

「どういう意味だ、アデリィ?」

「もうちょっとヒントがいるけど、うん、解けるわねこれ」


 瑛斗の問いに答えることなく、そうひとりでひと頻り頷いた彼女は「まだ秘密」と言って煙に巻くと、さっさと自分のポシェットへと収めてしまった。


「ま、完全に解明した暁には、ちゃんと教えてあげるから待ってなさいな」


 得意げにポンポンと自分のポシェットを叩いてそう言った。

 だがそんなこと言われても困るのが瑛斗である。何しろこの書物は、エルヴィーラが命を賭して残した何かの重要な証拠であり、大事な代物に違いないのだから。


「ううーん、ソフィア、ドラッセル、暫く預からせて貰っていいか?」

「ええ、それは構わないのだけれど……」

「ま、オレたちが持っていても、何の役にも立たないからな」

「じゃあ、俺が責任をもってこの書物を預かるから、どうか任せてくれ」


 騎士たちの了解を得ると、瑛斗は振り向きざまアーデライードの瞳をじっと見つめた。気まぐれで勝手気ままなハイエルフにも、その約束を守らせるためである。


「も、もっちろん! とと、時が来たら、かかかか、必ずだわ!」


 思いも寄らぬ不意打ちで瑛斗に見つめられたハイエルフは、耳の先まで赤くしてどぎまぎしつつも、はぐらかすことなくしっかりと約束をしてくれたのだった。



 古い砦を離れ、更に一時間。

 エルヴィーラの行方を求めて、深い森の中を先へ進んでいた時のことだ。


「遺体が見つかった」


 サクラが伝えた第一報に、ドラッセルとソフィアに緊張と動揺が走る。精霊と魔力を感じたようで、ハイエルフとダークエルフが馬車を飛び降りて現場まで駆け出した。


「あ、エイトは見ない方がいいわよ」


 すぐ後ろを追い駆けていた瑛斗を、アーデライードが手前で制す。

 立ち止まった周囲を見渡せば、折れた太い枝や魔法の矢マジックミサイルで抉られた幹。目に見えて生々しい戦闘による傷跡が各所に残されていた。


「エルヴィーラは、ここで敵に追い付かれたんだ」


 そう感じさせる激しい戦闘が、ここで行われたのはどうやら間違いなさそうだ。


「遺体は何処かしら?」


 アーデライードが訊ねたすぐ近くには、ライカとカルラが棒立ちに立っていた。匂いを嗅ぐのが嫌なのだろう。鼻を押さえて、恐る恐るその場に立ち尽くしている。

 人狼の少女たちが遠巻きにして指をさしたその場所へアーデライードが踏み込むと、憶する様子もなくレイシャがその後へと続く。


「ふたりともよくやってくれたね、お疲れ様」


 そこで瑛斗は人狼の少女たちを手招きすると、頭を撫でて労をねぎらった。彼女たちは人狼であるが故か、頭を撫でられることをとても好むからだ。


「随分と腐乱が進んでしまっているけれど、これは……」


 アーデライードは口元へハンカチを当てながら近寄ると、冷たい瞳で死体を検分する。


「どうやらダークエルフの遺体のようね……敵の精霊使いシャーマンかしら?」


 緊迫して次の言葉を待っていた一同は、ホッと胸をなでおろした。

 きっとエルヴィーラの魔法が、追っ手を返り討ちにしたのだろう。魔法による攻撃を胸に受け、それが致命傷となったのだとアーデライードは語る。


 ダークエルフといえば、獣人族を救出した際にも三人組のダークエルフと遭遇エンカウントしたことを思い出す。あの時はレイシャが空中で炸裂させた地獄の業火ヘルフレイムの爆風により、敢え無く彼ら全員が気絶の憂き目に遭っている。

 もしかしてあの時の仲間の一人だろうか――そんな考えが、瑛斗の脳裏に浮かぶ。


「見て! ここに足を滑らせた痕がある!」


 森の奥からサクラが叫んだ。獣人族の直感だろうか。土壁の急斜面に這いつくばって、他に手掛かりはないか、ひとり森の中を捜索していたのだ。

 その声にライカとカルラがすぐさま駆け付けると、地に伏せて匂いを確かめる。


「……恐らく、エルヴィーラさんです」


 心苦しそうな表情を浮かべるライカは、そこに彼女の匂いを嗅ぎ取ったのだろう。

 足を滑らせたその先の谷底からは、山深い森の奥から渓流の水音が聞こえてくる。断崖絶壁とまでは言えぬものの、切り立った土壁はそこまで滑り落ちるに十分だった。


「ここまでか……」


 川辺近くまでロープで降りてみたものの、エルヴィーラ匂いは――ここで途切れていた。もしも推測通りに渓谷へと落水したとすれば、これ以上追うことは難しそうだ。


「あとはひとつひとつ潰していくしかないな」


 そう言いながらドラッセルが、下流域の簡易的な地図を確認する。


「ここから川下の村や集落は、少なくとも四つある」

「では明日からは、その村々を訊ねて探してみましょう」


 ソフィアがそう提案すると、パンッと手を叩いて遮る者があった。


「はいっ、それじゃ今日はここまで!」


 アーデライードが身勝手に、あっさりと捜索打ち切りを宣言してしまったのだ。まるでタイミングを気遣わない身内の粗相に、瑛斗としては頭が痛い限りである。


「すまないが、みんな……」


 しかし瑛斗とて、心から申し訳なさそうに重い口を開く他に手段はない。

 明日は月曜日――瑛斗は学校がある。なので飛竜の笛を吹けば、この周辺に待機しているドルガンらの飛竜ワイバーンが迎えに飛んでくる手筈になっている。


「実は、来週から二週間くらい異世界こっちへ来られないんだ」

「そりゃまた、どうしてだ?」

「それは……その、やむを得ない理由があるんだ」


 それは、夏休み前の末期テストが控えているから――とは、とても言えない。


 平日は日々の鍛練と勉強を欠かさない瑛斗とはいえ、末期テストの直前と試験期間中は異世界へ出掛けるわけにはいかなかった。テストで赤点を取ろうものなら、両親に異世界行きを禁止されてしまう。それは瑛斗にとって死活問題であるからだ。


「ま、いいじゃない!」


 言葉を濁してまごまごしている瑛斗を見かねて、アーデライードが口を挟む。口達者なハイエルフが、気を利かせて助け船を出したのだ。たぶん。


「ああ、ここまでやってくれたんだ。感謝しかない」

「私たちだけじゃ、ここまで辿り着きさえしなかったでしょうし」


 ドラッセルとソフィアも同意する。


「暫くは人海戦術だな。集落をひとつひとつ当たるしかない」


 ライカとカルラも勢いよくその言葉に続く。


「お任せください、です!」

「ご主人が戻るまでに、私たちがみつけちゃうかもね!」


「うん、俺は俺で自分のことに集中できるよう、頑張るよ」


 気になるエルヴィーラ捜索の続きは、二週間後――

 瑛斗にとっては難関の、一学期の末期テスト後まで持ち越しとなった。

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