5.『おねえさん』とすき焼き
「親御さんスゴイのねぇ〜。おねえさんビックリしちゃった」
たしかに他所より広くて家具も立派な室内を、ぐるりと見回すおねえさん。
「だからなんでいるんだよ!」
「『おねえさん』は少年少女の憧れだからね。君たちが『会いたい』と思ったら、いつでもどこでも現れるんだよ」
「それもう妖怪だろ! そもそもオレは会いたいなんて思ってない!」
「ケント。恩人に向かって何を言うんだ。とにかく手を洗ってきて、おまえも席に着きなさい」
おねえさんの向かいに座る父さんは、珍しく新聞
ていうか! 見知らぬ女が椅子に座ってる状況に平然と馴染んでるんじゃないよ!
「なんでいらっしゃるかって、父さんがお呼びしたんだ」
「えっ」
「ケントの命の恩人なのよ? お礼しないとダメに決まってるじゃない」
キッチンから母さんが、瓶ビールをお盆に載せてきた。ハイジャックがニュースになった時点で帰ってきてたらしい。
「本来ならこちらから菓子折り持ってお伺いするところだが、『狭い家だから遠慮します』とおっしゃってな。それでご足労願ったわけだ」
「商店街のタバコ屋の二階なの〜。四畳半」
僕の部屋より狭いぞ。一応断るだけの良識はあるのか。サバンナの野生動物に社会性を見た気分だ。
「タバコ屋って、少年少女の憧れがそんなとこ住んでていいのかよ」
「少年少女が会いたい時に、会いに来れる場所じゃないとね」
「そっちから現れるんじゃなかったのかよ。ていうかタバコ屋とか、一番会いに行きづらい場所だろ」
「何言ってんの。お父さんに『マイセン買ってこい。お釣りは小遣いにしていいから』とか言われて、300円握り締めてやってくるもんでしょお? で、あの小っちゃい窓口で手渡ししてもらって、ドギマギしながらおねえさんと会話を試みようと」
「いつの時代の話だよ」
「あれ〜? おかしいな?」
「そもそも、大体はおばあさんが店番してなかったかしら?」
「あれれ〜?」
首をメトロノームみたいに傾げるおねえさん。
「雑な設定だな」
「お黙りねぇ! 小理屈コネる坊やだね、さっさと手洗いうがい済ませてきな! 手のひら手の甲指一本ずつ隙間も忘れずにそして手首!」
「うるさいな」
その後僕は部屋に閉じ籠って彼女が去るのを待つ作戦に出た。が、結局父さんが許さなかった。
何より、おねえさんが夕食まで居座ったので意味がなかった。
「いやー、オイシイです〜。普段コンビニのホットスナックばっかり食べてるので」
「あらー、いけませんよ。バランスよく食べないと」
「女性もお若いと、ウチの若手みたいな食事なさるんですな」
「まさか! 他の子はもうちょっとオシャレに食べてると思いますよ。奥さまはそうでしたよね?」
「そちらにつきましては、現状お答えできませんわ」
「
「はっはっはっ! 耳が痛いですな!」
「……」
テーブルの中央でグツグツとすき焼きが煮える。昼間の歓迎でもビール飲んでたし今も飲んでるから、オトナたちはテンションが妙にハイな感じ。
苦手な空気だ。オトナだけで和気アイアイとしてるのが、じゃない。
割下から泡が出ては割れるのを、無心で眺め続けるしかない。鍋の中、デカい顔した肉に追いやられた端っこでクタクタになっている春菊の気分だ。
「いやしかし、まだ大学生でしたか?」
「え? あー、ま、ね。そうですね」
「それがハイジャック犯七人を鎮圧とは、素晴らしいことだ」
「や、運がよかったんでしょう」
あの時は自信満々な感じだったくせに、なんか妙に濁すおねえさん。オトナの前では意外に大人しい感じだ。なんか、処世術って感じで気に入らないな。
「あれが運で片付くかよ」
「なんか言ったかな、男の子?」
「別に」
隣に座っているおねえさんが肘でグイグイ押してくる。
きっと僕が何考えてるか分かったうえで、追及しない意思表示なんだ。普通そんなエスパーあり得なくても、この人ならそんな気がする。
対する父さんは普通の人間なんだろう。
「いやー、本当に素晴らしい。ぜひ警察官におなりなさい。機動隊やSATにあなたみたいな人がいれば、市民の方も安泰で暮らせるというものだ。公安もいい。とにかく我々に必要な人材だ」
「ちょっとあなた、こういう場なんですから」
母さんが宥めても父さんは止まらない。こんなお酒でグラグラ来るタイプじゃないと思ってたけど。
「いいかケント。おまえもこの人を見習わなければならん。おまえが助けてもらったように、正しい正義感と勇気で市民を守る男になるんだ」
「この人が僕を助けたのに、正義感は関係ないだろ」
「ん? なんだ?」
「何も」
小声で呟けば、鍋の煮える音もあって父さんには聞こえない。
正しい正義感ってなんだよ。具体的には? 定義は? 『正』が二度も出てきてクドいんだよ。意味分かんないよ。
そもそもおねえさんが僕を助けられたのは、正義感じゃなくて実力があったからだ。それがなかったら殺されて終わりだし、まず挑もうとも思わない。
相手の背が高いくらいで試合に負けてるような僕には、そんなものはない。
「ごちそうさま」
「なんだ、もう食べないのか」
「まだお肉いっぱいあるわよ?」
「いいよ、お腹いっぱいなんだ。お客さんにたくさん食わせてやりなよ」
「うむ」
息苦しい。鍋の蒸気かなんかのせいだ。とにかく、一秒でも早くリビングを出たくて。
席を立とうとテーブルに手をついた時、おねえさんの腕に小指がかすった。
「あっ」
反射的に目が合う。彼女は
「お腹空いたら戻っておいで」
ただ、小さく笑った。
あぁ、やっぱり、僕は子どもっぽいな。
二階の部屋に籠ったはいいけど、ベッドに仰向けになるしかすることがない。マンガも動画も、なんだか見る気にならない。
白い天井を眺めていると、そこへ書き連ねるようにゴチャゴチャ浮かんでくる。
きっと、『違い』を感じたんだろう。
父さんも、おねえさんも。オトナは相手や状況であんなにも態度が、いや、考え方とか人間そのものが切り替えられる。
僕はそれを上手に受け止められなかった。せっかくの食卓で、父さんの言葉を黙って流せなかった。「そうだね、がんばるよ」なんて空気を壊さない自分を使い分けられなくて、そのまま逃げ出した。
それが刺さってるんだろう。父さんやおねえさんじゃなくて、自分自身が刺さってるんだろう。
逆にどうして、大人はあんなに、自由に自分を変えられるんだ。
やっぱりオトナは分からない。
なり方が分からない。
どれくらい時間が経ったかは分からない。半分意識があってないようなものだったし。
コンコン、と部屋のドアを叩く音で僕は我に帰った。
「お〜とこ〜のこ〜」
聞こえてきたのはおねえさんの声。ドアノブがガチャガチャ言わないから、部屋に入ろうとしてるわけじゃないらしい。
そのまま彼女はドア越しに続ける。部屋に踏み込まない、珍しく遠慮がちな距離で。
「おねえさんそろそろ帰るんだけど、そのまえにちょっと散歩行かない? 夜のそぞろ歩き」
だけど遠慮なく引っ張り出そうとはする明るさで。
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