71.トリナクリアの落日

「ここも、全滅、っすね」


 こんな地獄、さっさとすればとばかり思ってた。

 でも行きはよいよい(ちっともよくはなかった)帰りは怖い。今まで攻略してきた拠点が、後詰め部隊の墓地になっているのを眺めるツアー。


「もしくは生き残りはすでに、私たちみたいに引きあげたのか」

「どっちにしろ、死にに来て、何も得られず、帰ってった、と」

「得られないだけならどれほどいいか」

「違いねっす」

「とにかく、物資の墓荒らしでもしようか」


 気は引けるけど仕方ない。彼らが捨てていった資材があれば、正直助かるのだから。

 いかに超人めいた『おねえさん』でも体のベースは所詮人間。食べ物がなければ飢えるし、条件揃えば病気にもなる。怪我だってするし戦死もする。


「ま、案外、ヘタなレーションより、現地メシの方が、イケるんすけどね」


 ルチーアが緩慢な手つきで獲物を掘り出す。そのままノールック放り投げで雑嚢ざつのうへ。

 すいませんね、えーと、ネームタグ、ウィーン=ストーンさん。あなたのザック漁らせてもらってます。


「そりゃ悪魔は人間を堕落させるのがお決まりでしょー? 魔界にゃ美食があるさ」


 だからこそ補給が途絶えたあとも、敵拠点さえ落とせば食いつなげてたワケで。でもこれからは逆走、狩りよりマズいレーションの方が入手は確実。

 ま、日本人とイタリア人。ご飯にうるさい民族基準だから、世界基準での是非は分からない。

 それに安全性に疑問が残るグッチョのタマゴよりかは、喉に詰まるの擬人化の方がいい(人じゃないなコレ)。生水も怖いし。






「あらかた回収した?」


 持ってける数にも限界があるし。状態がいいのを選り抜いたところで、ルチーアにも確認を取る。


「はい」


 彼女もパンパンになった雑嚢を掲げてみせる。私も雑嚢背負って、道の先と空を眺める。


「よし。じゃ、先を急ごうか。このペースなら、今日中にはハーゼまで着くでしょ」

「ねえさん」

「ん?」


 静かだけど、はっきりした主張が宿る声。振り返ると、同じだけのものが宿る視線。


「ハーゼの先、ミシュとの中間。大きめのキャンプが、あったはずです。そこまで」

「……そっか」


 早くなる分にはかまわない。キリキリ早歩きすることになるけど、一分一秒が彼女の命になる。そう考えれば急ぐべきですらある。



 ただ、到着したのは予想どおりハーゼまでだった。






「ルチーア! 見える!? ほら、あれ!」


 翌日の昼頃。遠く視界に映りはじめたのは


「ミ、ミシュ……だ」


 ポイント『ミシュ』。私たちが魔界に来て最初に攻略した町。つまり、


「分かる!? もうすぐ出口だよ! 人間界が近いんだ!」

「や、やった。ここまで来たんだ……」

「そうだよルチーア! あと一息だ! たどり着いたんだ!」

「はは……」


 ここまで来ると心底安心して、お互い膝から崩れそうなのを支え合って道を進んだ。






 崩れたままの家。私たちが破壊し尽くしたままの瓦礫の山。さすがに火は消えてるけど、あちこちに焼け跡の残る風景。

 あぁ、今でも鮮明に思い出せる。ここはミシュ。始まりの場所。

 ここから地獄が始まったと思うと、腹の底から憎しみが湧く。

 でもこの光景がパリの火に思えるなら。少しだけ、少しだけ許せる気がしないでもない。


「ねぇルチーア」

「はい」

「そんな何年もいたワケじゃないけどさ。でも長かった。本当に長かった。長くて苦しい戦いだった」

「はい」


 なんだ。素っ気ないな。ここは盛り上がるところだぞ。


「でもそれもあと少しで終わるんだ」

「……」


 ねぇ。返事しなよ。

 おい。なんで一人だけ立ち止まってんだよ。結構距離が開いたぞ。置いてっちゃうぞ。早くついてこいよ。


「私たち、人間界に戻ってもさ。敵前逃亡バレるから、ノコノコ軍には戻れないじゃん? だったらさ、どこに行こうか。何しようか。まずはシチリアにでも帰る? それともシャンゼリゼ」

「……それは、ねえさんが決めることっす」


 何それ。そんな言い方しないでよ。

 アンタそんなタイプじゃないでしょ。暇になったらすぐ「みんなでサッカーしよう」とか自己主張して振り回すタイプでしょ。

 それがなんで、急にそんな自分が



「ルチーア!」

「私は、行けませんから」



「ルチーア……」


 分かっていた。それくらい分かっていた。


「すいません。ちょっとまえから、少しダルくって」


 気づいてたよ。妙に息継ぎが多い、途切れた話し方で気づいてたよ。


「それで、マズいなーなんて、思ってて。でもケッコー、言い出すのに勇気がいって、言えなくて。だからせめて、はっきりするまえに、急ぎたかった、んすけど」


 そんなの、急いでもハーゼまでしか着かないような歩調で丸分かりなんだよ。

 全部分かってるんだよ。だから言うな。私に



「ルチーア!」

「熱があるんです。私も、あの病気です」



 待って。分かった。分かったから座らないで。

 そうだ、まず話をしよう。話せばなんとかなるかもしれない。まず瓦礫に背中預けるのをやめよう。やめようよ。


「そ、そっか。歩くのもしんどいか。分かった。じゃあ私がオンブしたげるからさ。それで行こう」

「そういう問題じゃ、ないんすよ」

「そんなワケあるか! 置いてかないぞ!!」

「ねえさんも、分かるでしょ? こんな治し方も分からない、魔界の病気。人の住む、世界に、持ち込んじゃいけない、って。大変なことに、なるって」


 そんな目で見ないでよ。そんなキレイな目で私を見ないでよ。もっとすがってよ。私がムリヤリでも引っ張っていけるような、生きるための目をしてよ。


「だから、アタシは、ここまでっす。この先は、ねえさん一人で」

「なんだよ! ここまで来といて急になんだべさ! 散々私にあの子たち置いてけって言って、最後はアンタが私を置いていくんかい!? そんなのってないべさ! 勝手すぎるしょや!!」

「許してくださいよ。ねえさんを、最後まで見送った。みんなはそれで、許してくれる。あとは、ねえさんが、許して、くれるだけです。死ぬ時は、全てに許されて、キレイに」

「そんなこと言うなよ! 身勝手にキレーとかほざいてんじゃないんだわ!!」

「ねえさんも、人間界戻る時は、消毒忘れずに。人前に出れる、キレーさで、女子だから」


 笑うなよ。そんな顔で笑うなよ。泣いてんじゃないの。カッコつけんなよ。


「ほら、行って」


 私より年下が、つらいクセにいきがってんじゃないよ。


「……行かない」

「ねえさん」

「行くワケないでしょ」

「ねえさん! それじゃあアタシら、なんのために」

「分かってるよ!」


 弱々しい彼女の目が、少し見開かれる。



「でも、他の子とおんなじようにさ。アンタは私が埋めてやらないと。行くまえに、最後にそれだけは、やらないといけないでしょ」



「あぁ……、そっ、すねぇ……」


 開かれた目は、心地よさそうに細まった。






 二日後。


「ねえさん」

「はぁい」

「シャンゼリゼで待ってます」


 私は魔界をあとにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る