72.彼もまた選ぶ時
語り終える頃には、ナカソラコも落ち着きを取り戻していた。こういう時にすんとしているのも、あまりいいこととは言えないが。
「だから今の私は、絶賛敵前逃亡中の脱走兵なんだ」
今はタオルを敷いた椅子に座って、静かにオレへ語りかける。その声の向こうに、何人もの命を感じる。
「分かるでしょ? もう私は軍関係の施設にホイホイ近づくワケにゃいかないの」
「だから調整にも来ない、と?」
彼女は答えもせず頷きもせず。ただ笑う。
「通らない。通らないぞナカくん。そんなのは筋違いだ。君の妹たちは、最期まで君のことを思っていたはずだ。魔界に残っても死ななかったろうとは言え、だからこそ今ここにいる」
オマエがあの子たちのことを口にするな、と怒鳴られるかとも思ったが。彼女は静かに私を見つめていた。
よくは、ないな。ブラック企業で、辞めるのが決まった人ほど明るくなるのと同じだ。一つの意思を固めた彼女には、誰が何を言っても揺るがない芯があるのだろう。
だからといって、ここで「はいそうですか。さようなら」とはいかない。
「その君が、命を失う可能性もある道を自ら選ぶ。それは違うだろう」
説得のために耳障りのいい言葉を並べているんじゃない。本心からそう思っているのだ。内容だって間違いでも的外れでもないはずだ。
だがナカソラコは首を振る。
「だけどそれより大事なことがある」
「大事なこと?」
「そう。大事なこと」
落ち着きはらってマグカップを手に取る少女。少女のはずだ。もちろんただの少女でなくしてしまったのは我々だが、それ以上。
今、自分は何と対峙しているのか。だんだん分からなくなる。
「みんなシャンゼリゼで待ってる。みんなが私に託したのはね、きっと自由なんだ。英雄的な喜びを語っても、望んでは来なかった戦場。命より先に青春や自由を奪われて。その奥深くでみんなが最後に私を逃したのは、戦争から逃すためなんだ」
日本人特有の、虹彩まで真っ黒な瞳。その色が濃く見えるのは、戦場がそうさせたのか。仲間の死がそうさせたのか。
その色が深く見えるのは、闇なのか悟りなのか。
「だからもう、戦争には行かない。自由だ。自由なんだ。調整がどうとか、それで具合が悪くなって死ぬかもしれないとか。それよりうえで輝く、自由がここにあるんだ」
それが、それが自由を語る目なのだろうか。自由はもっと、女神が掲げる火のような、輝きと熱を持っているのではないのか。
「私は行くよ。見つけて、つかんで。きっとそれが土産話にもなる。だからここにはもう来ない。ここは戦争の世界だから。あなたに会うこともない。本当は一度だって寄る気はなかったけどね。お世話になったから、さよならだけ言いに来たよ」
あぁ、ロラ。君の言ったことが痛いくらい分かるよ。
大人は何をしていた?
戦争だから。君が適合者だったから。アレだからコレだから。
そんなことばかり口にして、こんな少女たちに苦しみを全て押し付けて。それを仕方ない仕方ないで外野から勝手に済ませて。
愚かなどという範疇か?
オレは何をしていた?
その事実から常に目を背けて。いい年して直視できず、正しさではなく都合の良さから繰り出す正論で自分を慰めて。
自己嫌悪すらひたってみたり否定してみたりで勝手に罰を受けた気になって。『自分は罪を自覚して受け入れています』って顔して。
ねじ狂う自分を指摘されても今になるまで気づかなくて。
情けないなどという範疇か?
それすらも全部分かっていたんだろう? 受け止められなかったんだろう?
だからその象徴であるナカソラコのお付きをして甲斐甲斐しくして。彼女が悪意なく接する姿に救われようとしていたんだろう? メンタルケアなど、してもらっていたのは自分の方だったのだろう?
そんなだから、大事な時には側にいなくて。
ロラ、あの時君はオレを殴るべきだった。キツい一発をくれるべきだった。
君が妙な手心を加えるから、愚かなオレは目が覚めるまでこんなにかかってしまった。
今、目の前に少女がいる。目に見えないところで血涙を流す少女がいる。
オレが償ったつもりでいて、何もしてこなかった結果がある。
それを一人で背負い込んでくれて、こんなにもなってしまった少女がいる。
本当の償いは、ここからじゃないのか。
償いが、本当の償いができるのはこれがラストチャンスじゃないのか。
「じゃあね、オオドリイ。口封じはしないでおいてやるから、誰にも言うなよ? 二度と私の前に現れんなよ?」
マグカップを空にしたナカソラコは、椅子から立ってオレの横を通り抜けようとする。
「待て」
「あんだよ」
彼女の足が真隣りで止まる。
口封じはしないが、邪魔するならそれに準ずる目には。
そんなオーラが、戦闘素人のオレでも分かる。
「支度をするから少しだけ待ってくれ。なぁに、すぐ終わる」
「はぁ? なんの支度? 軍に通報するってこと?」
「違う」
たしかスーツケースはベッドの下だ。出張も多いからクローゼットに入れていない。
「オレもついていく。なぁに、男子の荷物は女子ほど多くない。そう待たせはせんよ」
「はぁ!? 意味分かんない! とりあえずキモっ!」
ひどい。だが気は変わらんよ。
詰めるのは着替えと貴重品だけあればいいか。足りないものがあったら、その都度買えばいい。化粧品買い揃えるような手間はない。
「なんでアンタみたいなオッサンが女子の一人旅についてこようとするワケ!? この世で一番死んでほしいよ」
「あまりにもひどすぎる。だが、やはり調整はした方がいいし、誰か専門家がついているべきだ。そのうえで研究所に来ないというのなら、オレがついていくしかないだろう」
「いやいやいやいやいや」
ナカソラコの顔は困惑とドン引きのハイブリッドと言ったところ。
「正気かテメェ? 私脱走兵、絶賛逃亡中。それについていくとか」
「安心しろ。まえにも言ったが、オレは元々出世コースから外れている」
「知らねーよ。勝手に腐れてろよ。それに話聞いてた? 私はねぇ、もう戦争には関わらないの。そのための旅なの。そこにアンタがついてくるぅ? 私を戦争に引き摺り込んだ諸悪の根源が? 戦争の象徴が? 50年出家して出直しな」
よしよし、いいぞ。その言葉遣いがナカソラコだ。あのまま、それこそ出家解脱した目だと困ったが、これならまだチャンスがある。
「それならむしろ連れて行け。その方が修行になる」
「勝手にインドまで経典取りに行ってろ」
「そう言うな。オレにとっても、これが最後のチャンスなんだ。人間のクズなりに、せめて人間の末席で死ぬための」
「うぬぼれんな餓鬼畜生」
「なんとでも言え。準備はできたぞ。脱走兵なら無闇に見つかりたくはないだろう? 朝になるまえに行くぞ。どこへ行くんだ?」
「知るかボケ!」
「そうか。じゃあとりあえず空港行って考えるか」
「コイツ頭おかしくなったんか? 元々とは言えさ」
腕力で勝てずとも根負けさせることはできる。
君が必死なようにオレも必死なんだ。
新たな抗議が来ないうちにゴリ押しで。呆れて止まった彼女の代わりに、オレが部屋のドアを開けると、
「!!」
「……」
「ロラ……」
彼女が腕組み立っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます