75.おねえさんと『おねえさん』

 何も言葉が出てこない。けど、何か言わなきゃ。何か否定する言葉を。

 信じたくない、もそうだけど、一番は違う。


 こんなにも悲しそうな顔をする二人。

 そんな事実はなかったって、言ってあげなきゃいけないと思ったんだ。


「ウソだろ?」


 僕からすれば必死の思いで捻り出した、届いてほしい言葉。

 だけどおねえさんは首を振る。


「ホントだよ。男の子、このまえヒョウブ、ん。オオドリイのこと『ムカデジジイ』って怒鳴ったでしょ?」


 そんなことあった気もするけど、それがなんだっていうんだよ。


「じゃあコイツが生物工学の道に進んだキッカケ知ってるワケだ」


 あの日の会話が頭の中に蘇る。博士が工学を目指したのは


「『ナウシカ』の空飛ぶムカデ……」


 アレに憧れたから。おねえさんは正解というように笑う。


「そう、『ナウシカ』。『ナウシカ』いつの映画だと思ってるの。ヒョウブが本当におじいちゃんだと、進路決める年に上映間に合ってないでしょ」

「あ、あぁ、たしかに」


 急に軽い感じへ戻すもんだから、頭がちょっと追い付かない。イチコもポカーンとしてしまっている。なんならそれが狙いかもしれない。

 ダメだ、ゆるい空気に流されたらダメだ。このままにされて、イヤな話だからって都合よく忘れさせられるのはダメだ。

 せっかく二人が勇気を出して話してくれたこと。受け止めずに流れるのは絶対にダメだ。


 でもどうしようもないかも。衝撃が多すぎてまったく頭が回らない。

 そこに現れる助け舟が。



『その話を聞いているかぎりだと、私のこの異常な回復力はキサマの細胞か?』

「メロ!」



 隣の部屋からフラフラと現れた親友。


「起き上がって大丈夫なのか!?」

『問題ない。痛みもなくてな。ただヤラれた時の感触が生々しく残って、気持ち悪いだけだ』


 翻訳機の不調か声も少しノイズが入るというか、少しザラッとしているというか。本人の体調と関係ないだろうけど具合が悪そうだ。


「気持ち悪いならおとなしく寝ときなよ」

『そうはいかない。私を生かすためとはいえ。その脅威的な細胞を移植したのかさせなければならないからな』


 忠告を無視して座るメロ。ちょうど僕とおねえさんとで三角形を作る位置。苦しくてもなおというか、むしろ苦しいからか鋭い目付き。

 対するおねえさんと博士は、腕組み首を傾げて俯く。


「うーん、それがねぇ」

「分からんのだ」

『分からんだと!?』


 おねえさんが人差し指を立てる。


「まず絶対に、私たちが意図的に移植した覚えはない」

『ないのか』

「ない。となると考えられるのは、何かの拍子で偶然細胞が取り込まれてしまったケースだ」

「私の髪の毛とか食べた?」

『イカスミパスタをウマイと思ったことのない私が?』


 どういう否定材料なんだよソレ。普通に食べるワケないでいいだろ。

 しかしそうなると、


「だとすると、やっぱり経路が不明なんだよなぁ」


 考え込む二人。それはいいとして、助け舟だと思っていたメロのせいで余計ゆるくなってないか?

 そこにようやく魂が帰ってきたイチコが口を挟む。


「そもそも違うんやないの? だっておねえさんのお話聞いてたら、なんや細胞が他の人の体に入ったら反転? とにかく変わってしもうて、それで再生力とかなくなるんやろ? それで、その、他の『おねえさん』が戦死、したり」

「たしかにそれもそうか」


 納得の意見だが、研究者はちょっと違う様子。


「ううむ。そうかもしれないが、メロくんの場合はナカくんと共同生活を始めた時点では負傷していた。撃墜されてな。その後もすぐに悪魔と戦って負傷したり、今回のような重傷を負ったり。もし負傷している段階で体内にオリジナルの細胞を取り込んだのなら。デチューンしたものと違って生存指向の強い細胞だ。宿主が死んで共倒れするくらいなら、一体化して超回復を図るかもしれない」

「でもさオオドリイ。アンタ私に『デチューンしないと宿主の体を破壊する』とか説明してたよね? それだったら宿主が壊れないように超回復するんじゃないの?」


 研究者ではないがエキスパートからの鋭い指摘。博士も頷く。


「そもそも君の体がザガン捕獲以前から長保ちしていたからな。壊れた彼女も細胞を取り換えなければ、最終的にそういう結果を示したかもしれない。検証の数が少ないまま結論を出してしまった」


 博士の言い方は淡々としてるけど、おねえさんの表情はやるせなく歪む。

 そりゃそうだ。なんなら生き残るのに一番重要な回復力。それをデチューンしたせいで戦死した『おねえさん』がたくさんいる。

 彼女がどんな気持ちで見送ってきたか。

 戦争で時間がないとはいえ、しっかりやってくれていれば。

 そう思わないワケがない。


『難儀な、細胞なのだな。誰も分からないことだらけだ』


 空気を察したメロが、落としどころをつけるような発言をする。

 おねえさんにも意図が伝わったんだろう。彼女も苦笑しながら軽い感じで応える。


「そうだね。いろいろ混ざりすぎて、まず私がキングクイーンか。そこからもう分からない」


 小首を傾げる仕草で耳飾りが揺れる。気丈なジョークのつもりなんだろうけど、なんて悲しいことを。

 そのまま悲しい笑顔が僕を真っ直ぐ捉える。


「ねぇ男の子」

「な、何?」

「今まで騙しててごめんね? いっぱい頼りにしてくれてたと思う。でも裏切っちゃったよね」

「そ、そんなこと」


 そんなことないし、そんなこと言わないでくれ。

 頭の中では文章が浮かぶのに、うまく喉から出てくれない。


「男の子が悩みを相談してくれる時。本当はいつも心臓バクハツしそうだったんだぁ。私なんかが答えていいのかなって。たくさんの命を奪った、小さい命も奪った私が。もう何が正しいかも分からなくなっちゃった私が。でも自分が正しくないことだけは分かってる私が」


『正しい』『正義感』


 急に、父さんの声が頭に響く気がした。

 最近あまり考えなくなっていたこと。ずっと僕を苦しめていたけど、おねえさんのおかげで少し忘れかけていたこと。

 他でもない彼女自身が、ずっと悩んでいただなんて。


「でも『おねえさん』は少年少女の憧れだから。『分からない』『私なんかに聞かないで』って言い出す勇気がなかったの。『おねえさん』ですらいられなかったら、私……。だから、言う資格もない、正しいか分からない無責任なことを君にたくさん言った。私を信じてくれてる君を騙して裏切ってた」


 違う。違う! そんなワケないだろ! どうしてそんなこと言うんだよ!!


「まぁそもそも『おねえさん』じゃないのかもしれないけど。こんなね、私、本当にだから」

「あっ……」


 違う。違うんだ。

 僕が今まで言ってきたのは、そういう意味じゃないんだ。

 そういうことじゃないんだ。分かってよ。分かってくれるでしょ?

 だからいつもみたいに、「失礼な。『おねえさん』だよ」って蹴散らしてくれよ。

 そんな顔しないでよ。


「でもさ。でもね?」


 モジモジと窺うみたいに。子どもみたいに。やめなよ。心が痛むよ。博士がどんな顔してるか分かってる?


「『おねえさん』は少年少女の憧れ、だよね? 憧れてくれたら、“『おねえさん』だぞ”って言ってもいいよね?」


 そうだよ。そうに決まってる。そして僕がおねえさんに憧れなかったことなんか



「ほら、私、少年少女の大好きな、特別な存在ってヤツだよ? みんな、憧れてくれるかなぁ?」



 頬を流れる一筋の涙。

 それを最後に、僕は目の前が真っ暗になった。

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