76.『おねえさん』と穴空きの日々

 それ以来、おねえさんと博士は姿を消した。


「本当はまだ気になることがあってね。それで男の子の周りをウロチョロしてたけど。こうなっちゃあ、さすがにもう会わない方がいいね。本格的に危ない」


「私たちももう東京から出てかないとね。追っ手が来たってことは場所バレしてるワケだし。ハイジャック鎮圧で目立っちゃったかな」


「有楽町マリオンでのこともSNSにあげてる人がいる。普通に日本で外歩くのも厳しい状況になるし」


「メロは一応、体力的に落ち着くまでゆっくりしてた方がいい。頃合い見計らって迎えにくるよ。だから悪いけど、それまでは二人が気にかけてあげてくれるかな。お願いしていい?」


「じゃあね。お別れだよ。今までありがとう。迷惑たくさんかけてごめんね。でも私、ケッコー楽しかったんだぁ。二人もそう思ってくれてたら、いいなぁ」


「さようなら」


 一方的だった。僕が何か言うまえに。なんなら言葉にできなくても態度に出すまえに。

 行かないでって伝えるまえに。


 次の日にはもう、どこにもいなかった。






「どうしたケント。元気がないな」

「えっ」


 おねえさんがいなくなって三日目の夜。唐突な新聞の向こう側からの声に、少しびっくりしてしまった。


「たまには落ち込む日もあると思うが、最近はずっとそうだな。何かあったのか。学校か?」


 驚いたな。母さんが介護でいないのに、こんな普通の親みたいな発言が我が家で出るとは。そんな「最近落ち込んでる」とか、しっかり見てるとは。


「なんでもないよ」

「本当にか? 嘘じゃないな?」

「嘘じゃないよ」

「オマエがそう言うならこれ以上は聞かん。だが、オレに言いにくいことでも、母さんには話せるなら電話するんだぞ」


 なんでだろう。なんでそんな急に父親っぽくなるんだろう? 父さんがそうなっちゃうほど、暗い雰囲気丸出しだったんだろうか。

 それとも。

 実はまえからそういうモンで、僕が気付けるように変わったんだろうか。


 あの、出会いと、短かったけれど濃密だった思い出の中で。


「や、ただ、おねえさんいるでしょ? あの人、事情があって引っ越しちゃって」

「おぉ、あのケントの恩人のか」

「父さんと母さんにも『よろしく』って。『急でアイサツもできなくて』って」

「そうか。まぁ、なんだ。残念だな、ケント」

「そうだね」


 でもやっぱり僕の父さんだな。それ以上はうまく慰めの言葉とか見つからないらしい。

 ま、今夜は努力賞モンだよ。






「おっすケントー!」

「どしたー? 風邪でも引いてるんかー?」


 朝の教室。ニッシーとジン太が僕の机に集まってくる。


「開口一番ソレって、オレそんなに具合悪そうか?」

「まぁなんつうの?」

「具合悪そうってか凹んでるってか」

「アンニュイ〜な感じ?」


 背後から割り込んできたのは、今来たところでランドセル背負ったままのエッコ。


「なんだよアンニュイって」

「で、最近イチコちゃんもアンニュ〜イじゃない?」

「聞けよ」


 僕を無視して妙なしゃべり方のエッコ。何やら興奮気味の表情でツバを飲んだ。ゴクリって音が聞こえたような幻聴のような。そんな最高のエサを前にした肉食獣みたいな。

 彼女は僕の机に腰掛けると、耳元に囁いてきた。


「もしかして、イチコちゃんと別れた?」

「はぁ? 何が?」

「うおおおぉぉ!! マジかケント!!」

「やることやってるんすねぇ!!」


 なんか勝手に話を進めて興奮気味のニシジンだけど、


「お黙りねぇ男ども!」


 エッコが鋭く制する。なんだよその口調。てか最初に意味不明な話題振ったのはオマエだろ。


「騒ぎもせず『そんなんじゃねぇよ!』とも言わず『付き合ってねーし!』とも言わず『何が?』。これは付き合ってないヤツのセリフだ。この恋愛マスターエッコは全てを見通す目を持っている」

「その年でマスターできたら恋愛ドラマは消滅だな」

「何が言いたいかっていうと、つまんないのー!」

「そーかいそーかい。お役に立てませんで」


 コイツら、別に心配してないのは構わないけどウルサイんだよな。盛り下げといたら飽きてどっか散らないかな。

 そんな素っ気ない態度が注意を引きたくさせたのか。ジン太がからかうように笑う。


「まぁそうだよな! ケントにゃあの激エロな従姉妹のねえちゃんが」



「あの人の話はするな!」



 ハッとした時にはもう遅い。三人はともかく、教室中のみんなが目を丸くしてこっちを見ている。

 イチコも複雑な表情を向けている。


「あっ、いや、その、違うんだ。おねえさん、留学先に帰っちゃってさ」

「そ、そうか」

「そりゃ寂しいね」

「ごめん」

「謝るなよ。オレの方こそ怒鳴って悪かったって」


 ギクシャクした空気。教室いっぱいに満ちる気まずさ。どうしよう。

 困り果てた僕らを救うように、


「はーい。そろそろチャイムなるから席に着きましょうねぇ〜」


 気楽な調子でマルモっちゃんが入ってきた。正直助かった。


 でもな、ちくしょう。

 こんなに、こんなに不安でイライラするなんて。






「大丈夫?」


 帰り道。イチコが顔を覗き込んでくる。


「毎度言ってるけど、前見て歩けよ」

「うん、せやけど」

「せやけどももないよ。頭打ってからじゃ遅いぞ」

「うん、せやね」


 それ以上何も会話はなくて。

 おねえさんがいなくなって。あんな別れになって。心が荒れるのは正直仕方ないと思う。

 だけど、だからって。

 どうしてこうも、周りを心配させたり傷付けたりしてしまうんだ。






 家に帰ると誰もいない。当然だ。母さんは実家だし、父さんは仕事。

 分かっちゃいるけど、寂しい。心細い。

 おねえさんと一緒に暮らしてたワケじゃないのに、彼女がいないとこんなにも、こんなにも……。


 思考をかき乱すように固定電話が鳴り響く。


「わっ」


 相手を見ると沖縄の叔父さんから。めずらしい。


「もしもし」

『おうケン坊! 元気か!?』

「まぁまぁ、ね」


 相変わらず叔父さんは元気すぎるくらいの声のボリューム。


「で、どうしたの」

『あぁ。ラジオ聞いてたらさ、オリオン座流星群のピークが近いって聞いてさ。そんで、冬休みになったらまた流星群でも……ケン坊?』


 流星群。思わず受話器を落としてしまった。その音で困惑してるんだろう。

 でも今、それどころじゃない。



『十月にりゅう座、三大流星群に限ると十二月にふたご座かな』



 おねえさんの言葉が頭に響く。

 そうか。なんだかんだしてるうちに、りゅう座は過ぎてしまったんだな。

 そうか、そうか。



「次の流星群も、『一緒に観に行こう』って……!」



『ケン坊!? ケン坊!』


 それこそ流星群みたいな涙が、もうどうにも止められなかった。

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