51.『おねえさん』と本当の話

 それから数日。

 ニュースを見るたびに大事おおごとだと焦る日々。

 マルモっちゃんが「事件があったので銀座に近づくな」と言うたび居心地悪くなる日々。

「原因よく分かってないんだって」「こわーい」って聞くたび、別の意味で怖くなる日々。

 そんなアレコレを経て、僕は博士ハウスを訪問した。イチコも同伴。


「おお、よく来たの」


 いつもと違う、ドアが壊れないような弱いノック。それでも博士はすぐに出迎えてくれた。あらかじめ来ることを伝えていたからスタンバってたんだろう。

 中に通してもらうと、


「シャローム、少年少女」


 居間でおねえさんが座布団に座っている。『安倍晴あべのハルカス』とかプリントされたTシャツに黒のサルエルパンツ。ザ・部屋着。でも耳飾りはいつものコンビを新調。どこで売ってんだろ。


「こんにちは、おねえさん」

「こんにちはぁ」

「その座布団二つは比較的キレイだから、そこに座るといいよ」

「比較的、ね」


 僕らが腰を落ち着けると、博士がお茶を持ってきてくれた。


「あまりお構いもできんが」

「お気になさらず〜」


 イチコのゆるい雰囲気はこういうセリフで役に立つ。社交辞令感がない。そもそも気にする間柄じゃないけど。

 それぞれ一口喉を湿らせたところで、博士が柔らかく切り出す。


「メロくんについてじゃが、何も心配はいらん。傷も塞がり予後も良好。安静のため隣の部屋で寝とるが、すぐに遊べるようになるじゃろて」

「そうですか」

「よかったぁ! よかったなぁケンちゃん!」


 イチコが僕の肩を揺する。でもそれを「やめろ」という気が起きないくらい、僕も気持ちがゆるんでいる。


 ただ、そのなかで。


「……驚異的な回復力だね」


 おねえさんだけが、腕を組んで少し低い声を出す。

 違和感をつかむ間もなく、博士も少し重い雰囲気で頷いた。


「うむ。驚異的である。まるで」

「ヒョウブ」

「あ、うむ」


「あ、え、な、何? まるで、何?」


 急な雰囲気の変化についていけなかったらしい。イチコ一人、少しマヌケな感じでキョロキョロしている。

 せっかくの明るいニュースから一転、本当ならカンベンしてほしいところ。


 だけど少し、今の僕には都合のいい雰囲気かもしれない。



 何せ今日は、決して軽くないだろう領域に踏み込もうと思って来たのだから。



「おねえさん。博士」


 二人の空気が変わらないうちに、僕は座布団ごと少し前へ出た。動きと声色だけで伝わったんだろう。二人は何も言わずに僕を見つめる。それが相槌より何よりの促しになる。


「聞きたいことがあるんだ」


 一拍子遅れてイチコも空気を読んだらしい。アテもない困惑のつぶやきが止まる。

 完全に僕のターンだ。急かされないんだから、焦らずに。


「このまえの銀座でのこと」


 ここまでは出来事が出来事だけに話題も豊富。二人とも僕の意図を絞りかねている。

 けど。


「あの時、謎の女に襲われたよね」


 現場にいなかった博士はともかく、おねえさんの眉が動く。

 察したんだろう。

 そして、そういう動きになる何かが、そこには眠っているんだろう。


「あの時メロが言ったんだ。アイツとおねえさんのことを『同類』って」


 今度は眉が動かない。導き出した予想どおりのことを聞かれているんだろう。それでいい。


「女の方も言ってたんだ。おねえさんのことを『オリジナル』って。で、おねえさんも言ったよね? 『よしみ』って。少なくとも多少縁がある相手ってことだ」


 緊張で体に力が入る。もしかしなくても、聞かない方がいいことかも。


 でも引き返さない。聞くって決めたんだ。


「まえに似たようなこと聞いた時は『スーパーヒロイン』ってごまかされた。僕もそれ以上聞かなかった。でも今度のことはさすがに、それで全部説明つくようなことじゃない」


 おねえさんの表情は険しい。

 だけどそれは真剣に向き合ってくれている証拠。真っ直ぐ受け止めようって優しさも見える表情。

 だから僕は一歩踏み込む。


「おねえさん。博士。二人はもっと大きくて、もっと重要なを隠してるよね?」


 その懐に飛び込んでみる。



「二人は何者なの?」



 まっすぐ見つめるとまっすぐ見つめ返してくる。

 そのあと二人はどちらともなく、小さなため息を鼻から抜いた。そのあと少し見つめあって、言葉は交わさずに頷き合う。


「そうじゃな、いや。そうだな」


 口を開いたのは博士。わざわざ言葉遣いを改めて背筋を正す。なんとなくおかしかった、作ったような口調を捨てて。


「ここまできてしまったのなら、君たちにも知る権利があるだろう。そして我々には話す義務がある」


 低い博士の声。アニメのポンコツドクターみたいな、に作った高い声じゃなく。


 それ以上に、ある程度若い声。


 あまりの変貌ぶり役者ぶりにイチコが思わず口を覆う。いや、むしろ今までが役者だったと言うべきか。


 博士は数回深呼吸をすると静かに、だけどはっきり耳に届く声で語りはじめる。


「まずあの女のことだが。アレはそうだな、端的に言おう。『組織からの追っ手』というヤツだろう」


 映画みたいだろう、と博士はジョークめかす。でも誰も笑わない。冗談とは言わない。


「追っ手いうことは、何か追われるようなことがあるん?」


 イチコの声もかろうじて絞り出したような。


「うむ。そのために派遣された刺客だと思う」

「このまえ男の子、私とヒョウブの会話で『始末』って聞いたって言ったね。それはアレのこと。『そのうち始末に来るヤツがいるだろう』って」


 補足するのはおねえさん。まさか僕の誘拐より物騒な話だったなんて。


「それでケントくんやイチコちゃん。君らを巻き込みはしないだろうかと話していたのだよ」

「結果、見事に巻き込んじゃった。ごめんね」

「申しわけない」

「あ、いや」


 頭を下げられても困る。恨みに思ってなんかいないし、話が衝撃の事実から謝罪大会へ逸れようとしている。軌道修正しないといけない。


「それより組織って? 裏切ったって? なんでアイツはおねえさんみたいな力を持ってたの? そもそもおねえさん自身だって……」


 困った。軌道修正とか言って僕が一番見失ってる。疑問が次々浮かんで止まらない。

 慌てる僕を博士は優しく手で制した。

 一拍置くようにお茶で喉を湿らせると、まっすぐ僕を見据える。


「一つ一つ答えるより、少し話をさせてほしい。その方が君たちにも分かりやすいはずだ」


 彼が確認するように顔を合わせると、やっぱりおねえさんは静かに頷き、あとを受け継いだ。


「長くなるし、難しい部分もあるし、聞きたくないような内容もあると思う。けど、どうか聞いてほしい」


 僕は理解した。なぜこのまえ、おねえさんの本当の部分へ近付くのを恐れたのか。

 いつもの理解不能でちょっとウザくて、

 優しくて大好きな『おねえさん』でいてほしがったのか。


 それは、そこには知ったら戻れない何かがあると、なんとなく感じ取っていたからだ。



「私と博士と人類と、『おねえさん』の物語を」

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