64.必要悪と言う勿れ
侵略戦争。いくらおためごかしを入れても、覆うべくもなく。
ただその一言に尽きた。
「な、なぜ……?」
我ながら、なんと反射的で中身のない質問、いや、聞き返しだろう。それぐらいの衝撃だった。
いや、違う。理由や目的が瞬時に理解できたうえで、頭がフリーズしたのだ。
「条約とかいうのがあったのではなかったか?」
「向こうが手出しできなくなるだけで、こっちからどうこうするのは含まれてなかったみたいね」
「敗戦国の末路、か」
法解釈がどうとか批判されても自衛隊が必要なワケだよ。もっとも彼らには災害救助など別の大きな使命もあるから、一概には言えないが。
オレが妙な方向へ逃避するのに対して、ロラはもっと身近な目線を持っている。
「アッシュ、戦争は。戦争は終わるんじゃなかったの?」
「オレは一言も言っていないぞ」
「Ash!」
デスクへ向き直ったオレを、彼女は自身の方へ向かせなおす。回転椅子の関節がキィキィ不平を漏らす。
「
「落ち着けロラ。フランス語は分からん」
「ソラコは、あの子たちはもう少しで解放されるんじゃなかったの!?」
「魔界の広さは知らないが、少し伸びただけのことだろう」
「アナタねぇ!」
デスクが強く叩かれる。おかげで積んでいた書類やファイルが崩れて床へ。
だが拾うよりまずは、ヒートアップしているロラを落ち着けるべきだ。
「落ち着け。気持ちは分かるがな、みんな困っているぞ」
周囲を見回せば誰も彼も沈黙。ざわざわする余裕すらない空気になっている。
全員日本語が分かっても少しなので、会話内容は通じていないだろう。条約締結の話で盛り上がっていた時、誰も興奮して割り込まなかったのはそのためだ。
だと言うのに。全員が同じ感覚を共有して、凍りついたようになっている。
だがロラはそこまで気が回らないほど頭に血が回っている。
「こんな時に落ち着いてるのは賢さじゃないわ! 無気力と人間の放棄、恥ずべき鈍感よ!」
「ロリアーヌ。オレも個人としては君の考えに聞くべき点は多いと思う。だがもっと広い視点、人類全体で考えてみてくれ。科学者ならミクロとマクロを備えなければならない」
「お説教かしら!?」
これはいけない。聞く耳を持っていなさそうだ。お隣の
「説教なんかじゃない。ただ、聞いてくれ。人類の平和と安全のためには、しかたないことじゃないか」
「終わる戦争を引き延ばして、何が平和よ!」
コーヒーメーカーの隣。このまえのパーティーで余ったグッズがお菓子と一緒に置かれている。ヘリウムのスプレー缶があるな。
「たとえば君の家のベランダに蜂の巣ができたとしよう。ミツバチではない。もっと凶悪な毒バチだ」
手に取ったスプレーを天井へ噴射する。そこに巣があるかのように。
「そうしたら君は、自力なり業者なりでハチを駆除するはずだ。一匹残らず」
「全滅戦争を仕掛けるっていうの!?」
「魔界に領土拡大や資源確保まで求めないだろう」
ロラも馬鹿じゃない。気付かなかったのではなく、見ないフリをしていたリアクションだ。今までのオレの人生と同じように。
「分かるだろう、ロラ。病気だって治せるものは根治させるものだ。今はいいから、条約があるからと言って火種を残すのは、賢いやり方じゃない」
「だったらなぜドイツ人はパリに火を着けなかったの!? なぜ日本に落とされた原子爆弾は二発だけ!? そこまでする必要はないからでしょ!? みんな知ってるわ! アナタもマークとチェスをするし、私もフリーデとカフェに行く! みんな手を取り合ってるじゃない! 子どもでも知ってるわ!」
What’s the!? と小さいマークのつぶやきが聞こえる。フリーデは断片がなんとなく分かるのか、静かにしている。
「ロラ、いいかロリアーヌ。それは人間同士だからだ。いや、人間同士であろうともだ。歴史を振り返れば、列強の入植でどれだけの先住民が殺された? 滅び去った者もいる。残った者だって、やる側に根絶するだけの力がなかっただけだったり。あとはメリットと労力の天秤に架けられただけだ」
彼女は黙ってオレを見つめている。
本当は彼女だって分かっているのだ。分かっているからこそやるせないのだ。道理として通らない、しかし言わずにはいられない。
だからあれだけ怒りつつも、冷静に日本語で。オレにだけ伝えているのだ。
ロラが勢いよく立ち上がる。議論が終わるということだ。
このあとに飛んでくる言葉。どういうものかは知らないが、まっすぐ受けよう。オレなら受け止めてくれると、ある種の信頼ゆえなのだから。
もっとも彼女は、今さら最後の言葉より、最初に主張を受け入れてほしかっただろうが。
「アッシュ。まえに『アナタのことは嫌いじゃない』って言ったけど、今は嫌いよ。正論がじゃないわ。アナタの言うことは間違ってないもの。でも、誰よりショックなクセにニヒルぶって『オトナ』ってアナタは嫌い」
「ショック? オレがか?」
ニヒルぶったつもりはないが、露悪的ではあったようだ。ただ、それ以上に意外な人物評をされたものだ。
ロリアーヌは体の向きを変えると、横目でオレを見据えた。怒りや憎しみ、呆れではなく。
哀れみ。
「自己嫌悪に陥らないようあれこれ自分を正当化して。そのことにすら自己嫌悪してるアナタの方が、ずっと美しかった」
「!」
図星を、いや、心臓をつかまれるとはこういうことか。詰まった息を吐くよりさきに、ロラは自身の研究室へ去っていった。
オレはというと、
「さすが哲学の国出身は言うことが違うな」
誰が聞いているでもないのに、情けなく溢さずにはいられなかった。
それから二週間はしたか。三週間は経たなかったと思う。
話の内容が広まってロラが辞めるとか噂が立ったり。
「あの子たちが戦っているのに、私だけ足抜けするって?」
と本人が否定したと風聞があったり。
オレ自身としては特にその後言い争いもなく、冷戦状態で過ごしたり。
まぁ
その日は大体の人が夕食を終えて寛ぎだすころに雨が降りはじめ、深夜には暴風雨に。
とんでもない騒音。すでに寝ついていた人はいざ知らず。進展がないレポートと格闘していたオレは、完全に寝るタイミングを逸した。
「これはエラいことになるな。地滑りなんか起こさないだろうな」
やることさえやっていれば、昼間に寝落ちしていても割と許される職場だ。開きなおって少し起きておくことに。
山中にあるため地盤を心配しつつ、
「どれ、雨の勢いでも拝んでやろう」
おもむろにカーテンを開けてみた。
「おおう。外が全然見えんな。ハリケーンじゃないだろうな」
年甲斐もなく台風にワクワクする子どもみたいになっていると、
「ん?」
ほぼ見えない夜の闇に、ポツッと小さな光があった。
車のライト、ではない。そこまで強く光ってはいない。
人工の高度よりは、生物的な加減がある。
ちょうど、暗闇で光る猫か悪魔の目のような……。
「あ……」
それは、吹き荒ぶ風雨の中で傘もささず、幽霊のように立ち尽くす
ナカソラコだった。
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