63.高らかな軍歌が聞こえる
それからまた数ヶ月。よく晴れた昼のことだった。
この頃にはナカソラコも軍に常駐することになり、メンタルトレーナー(という名の話し相手(という名の罵詈雑言サンドバック))も不要に。
会うのは月に一度の調整くらい、オレもすっかりお付きではなくなっていた。
戦況といえば、悪魔は完全に魔界へ撤退。エスパークもわずかな拠点と残党ゲリラを残すのみ。
つまり、
「Hi, Ash! ニュースよ! 大ニュース!」
「どうしたロラ」
すごい勢いで走ってきたロラがオレのデスクに尻から着地。うむ、全体的にクーパー靭帯に優しくないアクロバット。
「書類がメチャクチャだ。どうしてくれる」
「今日にかぎっては、そんなのティッシュくらいの価値よ」
「ほう」
だからって尻に敷き続けるのは違うんじゃないかね? あまりのボリュームに文字が悲鳴をあげているぞ。
「で、その大ニュースとやらはなんだ?」
ロラはピョンとデスクから飛び降りる。手を広げ天を祝福するポーズはさながらミュージカル。降りるんなら乗らないでくれ。
「悪魔とのあいだで条約が交わされたわ!」
さすがのオレも、書類のシワを伸ばす手が止まる。
「条約?」
「そう、条約よ!」
「内容によるな」
「クールぶってんじゃないわよモヤシ男!」
ぶったつもりはないし、日本語は教えても罵倒までは記憶にない。ナカソラコか。
ロリアーヌミュージカルは続く。彼女は左手を胸に、右手をこちらへ。
「いい? これで悪魔連中は魔界から出てこれないのよ!? ヤツらの侵攻はなくなって、あとはエスパークさえ片付けば戦争が終わるの!」
「条約は破るためにあるとか事情通が言っているぞ?」
「言わせときなさいよ。悪魔っていうのは昔から契約? 儀式? そういうのが重要だから、今回の条約も強い縛りになるそうよ? 少なくとも某国への国連の圧力よりは」
「滅多なこと言うんじゃない。一応この組織も国連の一部だ」
「マスコミはよくマスコミ叩いてるじゃない」
「あーあーもう」
好きに言わせておくか。クビにはなるまいて。
「何が『もう』よ! アイゼンスタットの写真知らない?」
「今からタイムズ・スクエアにでも行きたいのか?」
「アッシュのことは嫌いじゃないけど遠慮しておくわ。もっとはしゃぎなさいって言ってんのよ」
「それじゃあ今夜はカリフォルニアロールの混ざってない寿司を食うとするよ」
「ふん」
割とがんばったジョークなのだが、ロラはテキトーに流していると感じたらしい。つまらなさそうにまたデスクへ腰を下ろす。今度は書類を避難させているのでセーフ。しかし初手飛び込んできた時、コーヒーでも置いてあったらどうするつもりだったのだろう。
科学者のクセに後先考えないロラは、さっきの会話も忘れたように人差し指を立てる。
「それより、明日ソラコが帰ってくるわね」
「月一のトリートメントだな」
「きっと彼女も終戦を喜んでるわ。お祝いしましょう。お寿司もその時にとっときなさい」
「まぁ全ての立て役者、救世主だからな」
「だけど国民、いえ、世界のほとんどには秘匿されている。彼女を祝福する声は功績に対して満たないでしょう。だから私たちが讃えるのよ。何度でも何度でも。聖処女ジャンヌが600年語り継がれ、1000年後でも輝き続けるだろう分まで。私たちの一生のうちに何度でも」
その聖女さまさながらに手を組み祈りを捧げるロラ。ひととなりを知っていると神聖には見えないが、くさすほどでもないだろう。
「それにしてもロラ。すっかり日本語がうまくなったな」
「えぇ。これであなたからbirdieの隣を奪えるわ」
「残念だが、軍隊に行ってbuddyの選考基準が変わったのでね」
「なんなの。ガン首揃えて」
翌日の昼前。ヘリポートに降り立ったナカソラコの反応は意外と冷めていた。職員総出で出迎えたのが引かせてしまったか。
まぁそもそも、我々は彼女にとって印象のいい存在でもなかったか。
それを抜きにしても、横断幕はオレでも引いたかもしれない。
「ソラコ! おめでとう! アナタも聞いたでしょ!?」
「うわロリ子めっちゃ日本語じゃん」
「条約が締結されたのよ!」
「知ってる知ってる」
視線がこちらへ。あ、オレに口撃するつもりだ。
「だから戦友のみんなでお祝いするところを朝から
「オレのせいじゃない」
「オメーらが改造したんだろうがよ!」
食堂のテーブルを寄せて
ピザやフライドチキン、アメリカ国旗柄のケーキに混ざったナカソラコ用の寿司。見た時は
「このまえ日本での任務で、お腹いっぱい食い溜めしてきたとこなんだけど」
と逆効果だったが、今はなんだかんだうれしそうに食べている。
「
「
さっきから酔っ払った所員たちに絡まれてはいるが。どこの国にも未成年酒飲ませオジはいるらしい。
ただ、本人にこそ言わないが今回の宴会には一つルールがある。
それは彼女を英雄として讃えないこと。
オレが発案した。ロラは当然昨日の今日で猛反発したが、そこは我慢してもらうことに。
みんなも当然、彼女を終戦に導く存在として
しかし、だからこそ。
もうすぐ戦争が終わるからこそ、こんな時くらい忘れてほしかったのだ。
否応なく戦いに巻き込まれ、否応なく死地に放り込まれ。
見たくない死をたくさん見ただろう。教鞭を取りたかった手もたくさん汚しただろう。
それだけじゃない。我々が人類のためというお題目で改造し尽くした体。
一部に細胞が
細胞が完全な融合を果たしたナカソラコは、現状元に戻れる明確なプランがない。
たとえ戦争が終わって、たとえ人類が平和を取り戻しても。彼女が日常へ帰っていったとしても。
怪力や超能力、定期的な調整。いくつものレガシーが残り続ける。
その現実を忘れてほしかったし、元凶である我々が彼女の前で。戦争の傷跡に取り残される彼女の前で呑気に足抜けを
いや、違うな。
オレはただ、オレ自身が。
戦争に人生の全てを取られた彼女を。その戦争が終わってしまったあとの。
さながら『7月4日に生まれて』かのような未来から、目を背けたかっただけかもしれない。
「
彼女はオレの卑怯な祈りに気付かず宴を楽しみ。
数日の調整を経て総仕上げの戦場へ旅立っていった。
それから一週間もしただろうか。
『今にもエスパークを大気圏外へ追い出せる』
連日そんな景気のいいニュースばかり聞いていた頃。
デスクでぼんやりコーヒーを飲んでいるほどのどかな日だった。
「おうロラ。昨日は徹夜か? 顔色とルージュが釣り合ってないぞ」
現れたのは、引くほど青ざめたロラ。せめてジョークにしないと話しかけられないほど。
「Ash……」
彼女の声は、徹夜なんて目じゃないほど掠れていた。
「国連軍が、魔界への侵攻を開始したわ」
『7月4日に生まれて』などと。
運命はさらに思いもよらぬ方向へと、少女を翻弄しはじめた。
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