60.21世紀のジャンヌ・ダルク
いろいろあって疲れたのだろう。肉体的、かはさておき精神的に。
ナカソラコは迎えの車の中で熟睡している。
無理もない。18の少女が耐え抜くにはハードなスケジュールをこなした。
というのに。
メンタルダメージがピークの状態でなお、先ほどのような憎まれ口が機能するタフさ。
驚嘆するしかない。いくら肉体疲労の概念を失った分楽になるとはいえ。
生物としての適合以上に、的確な素体を手に入れたと言っていいだろう。
しかし実際、彼女が心の底から世界のために命運を捧げようとは、そうは思わない。
きっと否応なく引き返せないのはどこかで理解していて。
だから勢い。せめて前向きにならないとやってられないのだろう。事実本人も
「言わせんな恥ずかしい」
と短く返した。
きっと彼女は、今後もこの決断を後悔するだろう。何度もするだろう。私がこの研究所に来てからそうだったように。
だが、本人が隠しているかぎりは触らない。それがエチケットというものだ。
「『Lady』 return」
「ふぅ」
「お疲れさまだな」
「
「海に落ちてキレイキレイなったんだよ。見りゃ分かるだろ。あ、ありがと♡」
オレへの悪態から流れるように、フライトジャケットを掛けてくれた青年へ甘いウインク。青年は赤面、なんてな。ふっ。
しょうもないジョークはさておき、彼女はますます美しくなった。元から美人ではあったし、顔の造形が変わったワケでもない。
だが、あらゆる人種の細胞が根底にあるからだろうか。人種による違いや価値観を問わない『美』が宿るようになった。概念とでも言おうか。
「
「
先ほどの先祖代々ニューハンプシャーな青年にも、今のケニアにルーツがあるパイロットにも。
あとは、たとえばこのずぶ濡れのまま研究所に戻ったとしよう。「遺骨はナイル川に」のガミル翁が温かい蜂蜜紅茶を勧め、パリっ子のロラが
「
とシャワー室で丸洗いするだろう。
彼女はすっかり軍でも研究所でもみんなメロメロ、老若男女問わずのアイドルなのだ(ロラはバイセクシャルなので多少参考の意味が変わるが)。
つまりそれだけ両組織に馴染んだということで。
それがあの脱走から一ヶ月。『任務』と『研究への協力』に励むようになった彼女の、副次的成果だった。
「入っていいか」
「どうぞー」
艦内の、彼女用に
全て本艦乗組員からだろう。
北半球で、南半球で。昼も、夜も。
時には急に後方へ降下してきたUFOのせいで退路を断たれた米陸軍の救援を。
時には一体でも手こずる悪魔の徒党と対峙した英コマンド部隊の先鋒を。
時には満身創痍のところにエスパーク軍からの待ち伏せを受けたイラク軍機甲師団残党の
時には戦力が配備されていない誰かの故郷へ現れた悪魔の撃退を。
彼女に命や守りたいものを救われた軍人は枚挙に
勝てないと思っていた常識外の強敵。負け続きだった絶望の戦争。そこへ彼女によって『人類は勝てるかもしれない』と希望をもらった兵士は数限りない。
今や彼女は全世界の戦士たちの反撃の旗手、ジャンヌ・ダルクとなっているのだ。
「ベティ・グレイブルかリタ・ヘイワースか、といった人気だな。そのうちノーズアートに描かれるぞ」
当のギブソン・ガールは贈り物満載のテーブルで、差し入れの虹色ケーキを頬張っている。シャワー後のバスローブ姿はファンが喜ぶことだろう。
「何人の男が、私とのツーショットを胸に死んでいくのやら」
「好きなだけ気に病め。その方が君の心の救いになる」
今の君には、マイナスであっても人間らしさがアイデンティティに繋がるのだから。
「ただ、君は自身も戦場に立っている。その写真を胸に死ねることは、ただのピンナップ・ガール以上の救いだよ」
「だからってエスパーク人に占領されたBBに向かって、上空からポイッてしますかね?」
「ボートで近寄るより速いからな。占領されたBBには米海軍の機密データが積まれていた。時間との勝負だったんだよ」
「次は人間ミサイルでも発注する?」
「シートはロールス・ロイスでいいかな?」
「アルファロメオだね。ペレ・フラウがいい」
彼女の調子が戻ったようなので、適当な椅子に座らせてもらう。彼女とお話ししたい乗組員たちが備えておいた来客用。
「にしても、アンタもすっかり私のお付きになったねぇ。本業やってる?」
「君がすっかりタメ口になるほどの仲だからな。日本語でコミュニーケーションが取れるのもオレだけ。おかげさまで嫉妬の嵐だよ」
「私もおかげさまで、最近はすっかり現代文の教師だよ」
「一足先に夢が叶ったじゃないか」
「初等教育志望」
ホールだったケーキは半分が消え、そこからさらに4分の1カットされる。いい断面だ。食欲そそるよ、うん。
「で、なんのよう? ケーキに合わせてコーヒーでも持ってきてくれたのかな?」
「オレがそこまで気の利くホテルマンに見えるか?」
「娘がいくつになってもテディベア贈ってそう」
「報告があって来た。君が心配してくれた、本業についての話だ」
彼女はケーキを手づかみ。日本人女性にしては長身だけあって、手もそこそこ大きい。そのままあんぐり。
「ほーう。カラフルスイーツから解放してくれたら聞いてやらんこともないぞ?」
「そこは我慢したまえ。君の体は超人レベルのパワーだが、燃費に関しては一般的なものだ。そこは偉人も一般人も大差ないからな。そこにこの運動量、悪魔の超能力。食べねばジェーン・マンスフィールドみたいな体もすぐヘプバーンになるぞ」
「オオドリイが言うと説得力あるね」
「まぁキツいならビールでも飲め。液体で楽に糖質を大量摂取できる。
「ケッ!」
「少年少女の憧れなら、口の利き方はなんとかするべきだな」
珍しく閉口した跳ねっ返り。おとなしくケーキを飲み込むので本題に入る。
「以前に、『おもしろいことになるかもしれない』と話したことがあるだろう」
「多すぎて忘れましたね。オオドリイさんは極寒のシベリアで悪魔と戦う任務も『おもしろいデータが採れる』とかおっしゃるので」
急に丁寧に話されても背中が痒いな。だが今は言わないでおこう。
「君が脱走から帰ってきてすぐか」
「そこまで限定されても心当たりが多すぎますわ、ムッシュ」
「ウラジオストクで悪魔ザガンを捕らえたあとの話だ」
ムッシュは言葉遣いの方向性を見失ってやしないか? ロラの影響か?
まぁいい、手早く済まそう。どのみち移動でポーカーには行けないのだが。
「その時の話の成果が出た」
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