39.『おねえさん』と負い目

「ちゃんと男の子の部屋にお邪魔するのは初めてかな〜?」

「そうだな」

「オンナの人招くのも初めてかな〜?」

「あんまり変なこと言うと叩き出すぞ!」

「布団じゃなくてベッドじゃ〜ん! フ〜ッ!」

「聞けよ!」


 人のベッドを遠慮なく手で押すおねえさん。マットレスの反発係数を堪能している。マジで叩き出してやろうか。いや、来てほしがったのは僕だけどさ。


「いや〜、今の部屋狭いからベッド置けなくてさー。小っちゃい敷布団メロと領土争いしてるんだよね。やっぱ女子はベッドが憧れよね〜」

「へーへーそーですか」


 ひとしきり男子のベッドを荒らしたおねえさんだが、さすがに腰を下ろしたのは床だった。とこじゃない、ゆか

 代わりったらだけど、立てられたベースギターが優しくマットレスを凹ませる。


「さて、じゃあ、なんだっけ? なんでギター演奏せずに金庫に入れてるの、ってヤツだっけ?」

「あぁ、うん。まぁ」

「答えは単純、そんなに演奏しないから。バンド入ってるわけでもないし」

「えぇ……」


 意味が分からない、のは今に始まったことじゃないけど。

 まさか本当に人殴るためにギター所持してんじゃないだろうな、っておねえさん。ベッドの側面へ背中と後頭部をもたれて、鼻からムフーッと息を抜く。


「それで? 本当に聞きたいのは、や、話したいのはソレじゃないでしょ?」


 ギターが静かにベッドへ寝かせられる。お見通しってワケだ。その場の空気が変化するのを映すみたいに、おねえさんの横顔をオレンジに染めていた光が紫へ。

 優しくした空気の中、僕が口を開こうとしたところで、



「ケント〜! おねえさんも! 晩ごはんにしましょ〜!」



 一階から母さんの声が響いた。同時に日本人なら八、九割は好きだろう匂いが。

 僕のお腹が機嫌の悪いケモノみたいに唸った。咄嗟におねえさんから目を逸らすと、デジタル時計が17:48。もうそんな時間か。

 視線をチラッと正面へ戻すと、おねえさんはクスッと優しく笑った。


「ごはん食べて、元気になってからにしよっか」






「どうして家庭のカレーってお店で出せないんだろうね〜?」

「普通逆だろ」


 そんでもって、お店で出す理由がないからだろ。

 何も示し合わせちゃいなかったけど、ちょうどカレーでよかった。大鍋ならおねえさんの分もあるから、僕が食べてるあいだ待たせるとかにならない。

 これで人心地ついた状態で話ができるし、あとは風呂入って寝るだけ。

 いくら心が乱れても困らない。


 おねえさんは僕の先を進んで勝手に部屋へ入っていく。そのままギターを拾い上げると、さっきと同じようにベッドへ頭を投げ出す。


「さてと」


 ヴーンとギターをひと鳴らし。


「話してごらんよ」

「うん」


 僕も腰を下ろし、おねえさんと正面から向き合う。なんとなく正座。

 妙な間を置くと素直に言葉が出ない気がする。一回だけ深く息を吸ったら話すんだ。決めて背筋を伸ばす。


「今日、また、銀行強盗に巻き込まれた」

「怖かった?」


 おねえさんがギターの首を振って持ち替える。キューンと鳴らすその手は両利きなんだろうか。


「いや、違う、ことはないけど。怖いのは普通に怖かったよ。まえに誘拐された時と同じくらい。でも」

「今言いたいのはそこじゃない」

「うん。また『警察官になるのが怖い』ってことでも」


 おねえさんは満足そうに頷いた。それは続きを促してもいる。


「最近さ、すごく、うん。おかしいくらいのペースで危険なことに巻き込まれるんだ」


 おねえさんは何も言わずに僕を見ている。ギターを揺らしていた手も止まっている。


「それも怖いし苦労してる。『なんでこんなことばっかり』って叫びたくもなる。でも、でも」


 手のひらに爪が刺さるのを感じた。生温かく濡れたりはしてないけど、ぬるくはない痛みが脳に届く。でもそれすら、胸の辺りの苦しさに塗り潰される。



「今日は、イチコが、巻き込まれた……!」



 視線をガックリ落とすと両拳が見える。血こそ出ないけど小さく震えて、代わりに濡らした涙の粒を揺らしている。


「危ない目に遭わせた! ケガもさせた! 僕が『試合でがんばった』って、お祝いしてくれようとしただけなのに!」


 一瞬手が開いて、今度は爪が太ももに突き刺さる。


「なのに僕は、僕は! イチコを守れなかった! 何もできなかった! 剣道で試合に勝ったとか、スゴいメンが飛び出したとか! そんなことばっかできても、イチコを守れやしない! いっぱいトラブルに見舞われるクセに、それに人を巻き込むクセに! そっから助けてやる力なんか、ちっともない!」


 一周回って真っ白になった手から力が抜ける。涙も直接足に落ちて、生地の色を変える。



「僕なんか、疫病神だよ」



 瞬間、横でゴンッと音が鳴った。床を伝って膝に小さな振動がくる。


 僕の頭をギュッと、強く、強すぎるくらい胸に抱き締めるおねえさん。その時放したギターの倒れる音だと気付くのには、少しかかった。


「痛い。痛いよ。僕の頭を潰すつもり?」


 おねえさんは何も答えない。そのまま僕を引き込むように、後ろへ倒れ込む。その後頭部と背中がまたベッドに当たるのを、僕は軽い振動で感じた。

 締め付ける両腕が離されて、今度は左手を背中に。右手は頭を優しく撫でてくれる。

 僕はちょうどおねえさんにすがり付くみたいな体勢。彼女はどうしようもない気持ちを、ただ黙って受け止める形。

 もう彼女のTシャツを握り締めて、言ってもどうしようもないことを叫ぶしかなかった。



「僕は、僕は誰かといない方がいいのかな……? 一人の方が、いない方がいいのかな……?」



 返事は、なかった。特に反論がなかったのか、チャチな慰めはよしてくれたのかは分からない。他にどういう意味があり得るだろうか。想像もつかない。


 ただ静かな、優しい沈黙。そのなかに響く、僕のかおねえさんのか分からない心臓の音。






 そうやって包まれて思う存分泣きじゃくるうち、いつしか僕は静かに眠りについたらしい。

 泣き疲れて、ってヤツだろう。

 とにかく泣いて泣いて泣いたから、細かいことは何も覚えてない。


 ただぼんやり耳に残ったのは二つ。

 途中、あまりの泣き声に様子を見に来たんだろう母さんへおねえさんが発した「しーっ」と、



 多分おねえさんの声だろうってくらい曖昧な、



「……なかったんだし、きっと溶けて消える……」



「よかったね」



 という声。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る