48.親友と伸ばした手

 時が止まった、いや、頭が止まった。

 宇宙人なのに血は地球人僕たちと同じ色なんだな。それ以外何も思わない。思うことを頭が受け入れない。


「よーいしょっ」


 女が足を大きくブラつかせると、メロはすっぽ抜けて有楽町マリオンに叩き付けられた。

 そのまま風呂場の壁に飛んだ泡みたいにズリズリと。後頭部あたりから赤い筋が引かれる。


「け、ケンちゃん。今の音、何?」

「えっ、あっ」


 僕に顔を覆われたイチコ。その震える声で我に帰る。


「や、その、いや」


 言えるわけがない。知らせないために見せてないんだから。

 そんな僕の代わりかのように、歯切れ悪い僕をあざ笑うように。

 女の楽しげな声が響く。


「こっちも話にならないのねぇ。そんなだから、はるばる地球まで来てボロ負けするのよ」


「えっ? ケンちゃん? どういうこと?」


 戸惑うような声を出すイチコだけど、体の震えは少し状況を理解している。僕は何も言えず、強く抱き締めるしかできない。メロは逃げろと言ったけど、それすら体が言うことを聞かない。


 心の中がバレバレなんだろう。女は僕の方を見ると、うれしそうに笑った。

 人間の造形として、なんら崩れちゃいない整った笑顔。でも心臓まで凍りつくような何かがある。

 例えば目が笑ってないとか逆に見開かれてるとかいうヤツがあるけど。そんなこと以上に、悪魔かバケモノかの雰囲気がある。


 女は見せつけるように、わざわざ大袈裟な挙動で街灯をへし折る。

 元からガレキが当たって曲がっていたとはいえ、あんな簡単に。


「じゃあ宣言どおり、先に宇宙人から始末しましょうね。♪楽しい国防愉快な国防!」


 鉄柱の断面は雑にギザギザ鋭利で、まともな刃物より凶悪だ。メロを待ち受けることなんか、もうつくことのないランプ型ライトが暗示するまでもない。


「やめろ」


 女は街灯を肩に担いで、運動会の旗手みたいに行進する。


「やめろ……」


 メロの前まで来ると、一度だけこちらへ顔を向ける。とても、ワクワクしていそうな。


「やめてくれ」


 目線を地面に崩れ落ちたメロへ戻すと、街灯を振りかぶる。



「やめろよ!!」



 頭の中で、何かがキレた。

 たぶん極度のストレスで「恐怖で動けない」とかの向こう側に行ったんだろう。

 思わずイチコから手を放し、メロの方へ一歩、右手を伸ばす。


 届かない。間に合わない。なんの意味もない。

 僕なんかじゃ非力で、どうせ助けられない。

 最近は少し考えないようになってた、父さんの言葉が頭に響くような。

『正しい正義感』とか、『市民を守る男になる』とか。

 でもやっぱり僕にはムリか。市民どころか、親友一人守れやしない。正義感なんかあっても、それで悪を倒せやしない。

 僕はおねえさんみたいに強くない。力がない。

 オトナじゃない。所詮子どもだ。

 今はもう、目を瞑ることしかできない。


 そう思っていたのに。



 辛くて悲しくて握った右の拳。その中指の付け根の盛り上がった骨の部分に、鈍くて痺れるような衝撃が走った。


っつ」


 少し遅れて、サッカーのシュートがゴールポストに弾かれたような音がする。


「……は?」


 女の「理解できません」って感じの声に目を開けると、



 僕は一瞬でメロのところに駆けつけて、パンチで街灯をグニャリと曲げてしまっていた。



 衝撃で手元が狂ったのか、女の一撃は大幅にズレた。90度以上はたっぷり曲げられた鉄柱の、鋭利でもなんでない角が地面に叩き付けられる。

 パンチか今のでか分からないが、手が痺れたんだろう。街灯は手からすっぽ抜けて、地面を遠くへ跳ね飛んでいった。


 何が起こってるんだ? まったく理解ができない。

 しかも全てが、なんだかスローモーションに見える。

 腕に走るいろんなダメージが感じ取れないほど、全てがフワフワしている。

 剣道の試合でたまにあるゾーン的なものが、もっと特上になったみたいな。



「は、はああああぁぁぁぁぁ!!??」



 女の怒鳴り声でシャボン玉みたいな感覚が割れる。


「うわっ」


 瞬間僕は夢から覚めて、メロにつまづき転んだ。

 でも痛いとか思ってられない。背中にもっと重い、怒り狂う声がのしかかる。



「このガキぃぃ!? 聞いてないんですけどぉ!!?? 話が違うんですけどぉ!!?? ねぇねぇ! 結局『適応』しなかったってさぁぁぁぁぁ!!??」



「な、なんだ?」


 言ってる意味は分からないし、そもそも冷静に聞き取ってやしない。けど、とにかく何かがすごくシャクに障っているらしい。

 まぁ、アレだけ公開処刑にノリノリご満悦だったんだ。邪魔されれば恥ずかしくもなるのかな?

 なんて思うけど、それを口に出して煽るは気はない。余裕がない。単純に怖いし、



「ねぇねぇねぇ!! でももう回収しなくていいよねぇ!? もういいよねぇ!? 寝そべってんだし、このまま背骨踏み潰していいよねぇ!!??」



 誰かと会話してるわけじゃないし独り言なんだろう。それは結構だけど、結局誰と相談することもないまま矛先が僕に向いてる!

 あんなパワーで踏まれたら、背骨潰れるどころか穴が開くぞ!? メロみたいになるどころか貫通するぞ!?

 うつ伏せだからよく見えないなりに、女の右足が上がるのは視界の端に映る。



「ケンちゃん!!」


 イチコが悲鳴を上げて駆け寄ってくるのがなんとなく分かる。

 だけどもう「危ないから来るな」と制する時間さえない。


 無意味な防御でもせめてと、自然と背筋が強張るのを感じたその時。



 女がすごい勢いで顔を横に向けた。



 なんだろう。どうしたんだろう。僕も目で追うと、そっちは高速道路が崩れている方。

 女は右足をゆっくり地面に下ろすと、そのまま体全体でガレキの山の方を向く。僕にはよく分からないけど、何かが見えたか聞こえたか。

 ただ、女がひどく緊張して、動揺していることだけは分かる。

 とにかくこのチャンスに、と僕が起きあがろうと四つん這いになった時だった。



 すさまじい轟音。まるでロボットアニメの出撃シーンみたいな迫力と威圧感。

 そして、



 ゆっくりと持ち上がる、何メートル何トンあるかも分からない、折れたKK線。



 ここでようやく僕は理解した。女が何を感じ取って、何に怯えているのかを。

 思い出した。あの土煙の向こう、高速道路の下には、


 いったい誰が埋まっていたのかを。

 誰が立ち上がったのかを。



 瞬間、大きな声が響き渡る。本当に本当に大きな、結構離れた距離でも一字一句聞き取れる声。テンションの割りに滑舌よくて聞き取りやすい声。

 僕が今一番聞きたい声。



「『おねえぇぇぇぇぇさん』はぁぁねえぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」



 土煙を吹き飛ばし、轟音をかき消す、



「量産型よりハイスペックで!! レプリカより高性能で!!」



 最初は絶叫みたいだったのに、急に凛とした雰囲気を取り戻す、






「オマエより理不尽に強い」






 最強無敵の、勝ち名乗り。

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