49.『おねえさん』とストリートファイト

「おねえさん!!」


 両手で頭上に掲げた高速道路を、ゆっくり横へ下ろすおねえさん。重量感のある音、振動、風を受けながらこちらへ歩いてくる。

 急ぎもせず、淀みもせず、圧倒的キングの、いや、クイーンの歩み。


 不意打ちで蹴飛ばされたのは彼女の方だ。メロだって手も足も出ずにやられてしまった。

 それでも。

 

 気づけば顔が分かる距離まで来た彼女は無傷じゃない。鼻血なんかいい方。額にも赤い流れができている。鼻のあたりで二股に分かれ、輪郭に沿ってアゴで合流している。

 ギブソンタックも解けていつもの髪型。それもやや乱れている。

 当のキングとクイーンの耳飾りもボロボロ。

 それでも。


 オーラのように逆巻く土煙が。少しあとずさった女の足が。明らかに変わった場の空気が。


 この地球上のすべてが。



 おねえさんこそ絶対的支配者であると褒め称えている。



「ケンちゃん!」


 イチコが横から僕に取り縋ってくるけど、そっちに意識を向けてられない。

 興奮かプレッシャーか。それとも両方か。体の芯からブルッときた時には、おねえさんはすでに女と顔を突き合わせる距離。

 余裕ではなく強張りで笑う女。

 腰に手を当て仁王立ち、ヤンキー漫画みたいなガン飛ばしのおねえさん。


「……たしかに、トドメが必要だとは思ってた、けど」


 緊張に耐えられなかったのは、やっぱり女の方だった。


「あそこから立ち上がってくる、普通?」


 虚勢みたいな軽口に、おねえさんは上目で睨み返す。「普通に立ち上がってきますけど?」って感じのエネルギー。


「ナメんなよクソガキ。オマエみたいな薄めたカルピスが」


 おねえさんは背が高いけど、こうして並ぶと女の方が少し高い。

 それでもなんだかおねえさんの方がいくらも大きく見える。

 女の左足が半歩さがった。


「原液舐めるほど甘党じゃないわ。それと、クソガキ言われるほど年離れてないんですけど?」

「分かってない。分かってない三下」


 おねえさんは周囲を軽く見回してから、最後にメロ、次いで僕へ視線を向ける。

 優しさと慈しみと、申しわけなさみたいなのが混ざった目。

 でもそれも一瞬。すぐに闘志あふれる表情に戻ると、今度は腕を組みアゴを上げて女を睨む。


「街の人たちを巻き込んで? 子どもに教育上よくないモン見せつけて? 精神的にいたぶってゴマンエツ? 『おねえさん』の風上かざかみにも置けないからガキだってんのよ」


 別に痛いところを突かれたとかじゃないだろうけど、女は奥歯を噛み締める。

 半歩引かれていた左足が、つま先で地面を撫でるように動いた。


「そう、です、かッ!!」


 タメを開放するように繰り出される、二度目のハイキック。

 コメカミに迫る一撃。対するおねえさんは、



 まっすぐ正面衝突。頭突きで突っ込む。



 あえてケガして血が出てる頭で。あえて相手の膝なんていう、硬い骨の部分へ。

 だけど、



「あ゛あ゛あ゛あ゛ーっ!!??」



 思わず体がビクッと跳ねる。女の膝が、膝が逆の方に、90度。

 あぁ、しまった。イチコの目を覆ってない。ついにヤバいモノ見せちゃったか。でも、特に悲鳴は聞こえない。ここまでくるとイチコだって声も出ないらしい。


 少し気が逸れているあいだもおねえさんの猛攻は止まらない。

 視線を戻すと無慈悲にも、女の折れた足が片手で吊り上げられている。

 それも束の間、おねえさんは180度、高速で振り返る。


 背負い投げなんて丁寧なモンじゃない、タオルを振り回すような叩き付け。


 女の顔面がちょうどマンホールに直撃して、少し笑えるくらい甲高い音が響く。

 それでも女にかかった勢いは止まらない。いまだワンワン鳴る高音へ鈍いパーカッション。バウンドして何度かアスファルトに叩き付けられながら、道を滑って離れた位置へ。

 今は余韻だけになった音が決着のドラかゴングみたい。おねえさんがそっと囁く。


「男の子。メロのマントで体を守ってなさい」


 軽く頷いてマントを拾い上げると、おねえさんはもう姿が消えている。思わず周囲を見回すと、代わりに鼻を押さえて起き上がる女が。


「くっ、くっ、んおぉ!」


 指の隙間からドボドボ出血しているあたり、鼻の骨は不在になったことだろう。どうりで詰まったような声になるワケだ。


 でもそんなこと、どうでもいい。僕は女の状態が気になって細かく見てたんじゃない。いつもの余計な観察をするクセでもない。

 ただ、



 女のいるところだけ妙に暗い。

 その理由に気付くまで、違和感で見つめてしまっただけだ。



 で、そんな言い方するからには、今はもう分かる。今から何が起きるのか。


「ひは、ふぐっ! 人の顔に雑なことしてくれちゃって! ふざけんな! ん?」


 女も何かおかしいと気付いたらしい。少しマヌケなくらい『なんとなく』って感じで顔を上げる。

 瞬間、瞳孔がバキバキに開くのが、ハッキリ表情が見えない距離の僕にも分かった。


 つまり理解したんだろう。なぜ暗いのか。なぜ

 何が落ちてきているのか。

 そう、


「ウソ、でしょ?」

「言ってもアンタもアレだからね。私も見習って確実にトドメとするよ」

「いやいやいや!」



『折れた高速道路を担いで真上から狙ってくるおねえさん』を、目撃してしまったんだろう。



 僕はイチコとメロを抱き寄せて、目いっぱいマントを広げた。これ以上見届ける意味もないし、何より防御が最優先。

 だからもうあとのことは、音と声しか分からない。

 確かなのは、足が折れてるから逃げられないんだろう女の


「ちょ、ちょっと待って、待って!!」


 悲痛な声。

 それと、


「墓標を自分で用意した律儀さは褒めてやる。オマエにゃ少しリッチすぎるけど、その辺はでサービスだ、な!!」


 すっかりいつもの優しい口調を失った……。いや、もしかしたら僕らには『おねえさん』として振る舞っているだけかも。

 本当はこっちが素かもしれない感じで吠えたてる、おねえさんの声。


 それ以外のことは意識が飛びそうな衝撃と轟音で、もう何も分からない。

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