17.『おねえさん』と三階建てビル

 ナイフが目の前まで迫る。

 あぁ、ダメだ。もうダメだ。せめてあまり痛くないといいな。

 僕の祈りを乱すように連中の声が響く。


「ま、『耳はなくても』ったって、止血はしねぇと困る人生もなくなるがな」

「でもミナミさん。そんな時間あるんですか?」

「ねぇよ。でも誰かこっち来てるらしいしよ、間に合うんじゃね?」


 淡々としてるのがアニメの悪役より残酷な響きだ。



 間に合うなら止血より、今この現場に間に合ってほしかった。



 痛みに備えて目を固くつむる。

 すると、まるでそれに応えるかのように。



「うわっ!」

「むぎゅっ!?」



 重量感のある音とともに、大きな衝撃が部屋を揺らした。

 あまりの強さに、部屋にいる全員が浮き上がる。そのまま金髪は尻餅を突き、僕も床へ横倒しになる。

 よかった、今のでナイフが刺さったりはしてないみたいだ。


「な、なんだ?」

「地震ですかね?」

「まったくよぉ、なんだってんだよぉ」


 悪態をつく金髪に対して、なごませようと思ったのか角刈りの一人がジョーク気味に呟く。


「もしかして、今のが例の『こっち向かってきてるヤツ』だったりして」


 対する金髪は鼻で笑う。


「んなわけねーだろ。あんな地響き、ウルトラマンでも来たんかっての」

「ガンダムかもしれないっスよ」


 二人がガハハと笑うなか、もう一人の角刈りが呟く。


「ミナミさん」

「んあ?」

「アレ、なんですかね?」


 ソイツが指差す先は、壁の天井に近い位置。



 ぐるりと一周するように亀裂が走っている。



「うわっ!?」

「さっきの地震のせいか!?」

「むぐ!?」


 もしかしてこの地下室、崩れて生き埋めになろうとしてる!?

 そんな僕の予想と裏腹に、



 突如ミシミシと音を立てて、天井。



「むがーっ!!??」

「なんだなんだ!?」



 瞬間、僕は全てを理解する。

 そうだ、この非常識と物理法則の無視は!!



 やがて取り払われた天井。地上を見上げる僕の視界には、一人の女性のシルエット!



「『おねえええええさん』はねえええええええ!」



 今しがたんだろう三階建ての廃ビルを右肩に担ぎ、



「アンパンマンくらい人助けが好きでぇ! ナウシカくらい心が清らかでぇ!」



 抜けるような青空をバックに、不動明王にも負けない怒りの形相ぎょうそうでこちらを見下ろす、



「銭形のっつぁんくらい悪を許さない!!」



「むぐーっ!!」


 おねえさんだ!

 でも、どうやってここを!?


「『おねえさん』だぞ。少年少女のSOSくらい聞こえる」

「むぐががっ!」


 そんなわけないだろ! と言いたいが、猿ぐつわされている僕の考えを読み取って答えている。もしかして、マジ? いや、マジ超えてエスパー?


 そんなことより。

 こんな時でも決めゼリフを欠かさないおねえさんだが、ヤクザ三人はそれどころではない。


「ナニモンだオメェ!?」

「テ、テメェッ!!」

「ぶっ、ぶっ」


 そりゃあんな怪物相手に『ぶっ殺す』は、啖呵でも出せないよな。

 代わりに攻撃の意思か防衛本能か、ナイフを拾い上げたりポケットから出したり。武器をアピールするように前へ突き出す。

 対する怪物の方は右肩の廃ビルをゆっくり地面に下ろす。担ぎ上げていた事実をアピールするように。

 ゆっくりでもズズウゥンと大きな振動を与えてくるビル。ますますその意味を増幅させる。角刈りの一人が呟いた。


「バ、バケモノ……!」

「失礼な。『おねえさん』だよ」


 ナニモノバケモノは腰に手を当てムッとする。


「それより、『ナニモンだ』って?」

「おおお、おう!」


 おねえさんは「はぁ」とため息をついた。そして静かに息を吸い込み、


 口を張り裂けそうなくらいに開いて吠える。



「それはこっちのセリフだよ!! 君たちどこの組とか知らないけどさ! 全面抗争してやろうか!? そしたら事務所のビルも同じように引っこ抜いて、そのまま組長だか会長だかのお屋敷に増設してあげる!!」



「「「ヒィ!?」」」


 ハッタリじゃないのは誰が見ても分かる。実演されてるんだから。腰砕けになった連中へ、おねえさんはトドメの一言を投げつける。



「おうちに帰りなさい!!」




「「「ひ、ひひぃぃぃぃぃ!!??」」」


 大の男三人がギャグ漫画みたいに逃げ惑う。言われたとおりにしようと階段を駆け上がり。だけどおねえさんが一階の床を引っこ抜いたせいで地下から出られない。

 結局わちゃわちゃしているうちに、部屋の隅っこで縮こまることにしたみたいだ。


 それを尻目におねえさんは地下へ降りてきた。結構な高さだけど平気でジャンプ。


「よしよし。もう大丈夫だからね、男の子」

「むぐ」

「すぐにお父さんお母さんも駆け付けてくれるからね〜」


 猿ぐつわを外してもらい、椅子から解放され、手足も自由にしてもらう。そしたら急にほっとして、


「うっ! ぅぐっ!」


 おねえさんは一瞬だけ面食らった表情をする。でもすぐに優しい微笑みになって、両手を広げた。


「さ、おねえさんが胸貸したげる。泣いていいよ」


 でも、それは、


「……いやだ。子どもっぽいから、やだ」


 僕はオトナに

 オトナに

 だから、そんな。


 おねえさんはムッとした顔を浮かべると、自分から僕をギュッと抱き寄せる。


「おねえさん特権発動! 少年少女は逆らわずに甘えること! 我慢したら痛くなるから素直に泣くの!」

「うっ、ふぐっ!」


 優しい体温に包まれ頭を撫でられる。大人の女性ならではの、少し甘い香水。それに混ざる、これでも慌てたのかな、汗の匂い。


「うわああぁぁぁぁぁ!」


 手足の結束バンドなんかより、僕の我慢は紐解かれた。


「怖かったねぇ。このまえのタコよりリアルに怖かったねぇ。涙出ちゃうねぇ。よしよし」


 なんか微妙にポイントずれた言葉をかけてもらってるうちに、


「ケント!」

「ケントぉぉ!」

「ケンちゃぁん!」


 まったく気付かなかったパトカーのサイレンと、飛び出してくる人の声。父さんと母さん、イチコかな。

 正直泣き顔を見られたくない相手だけど、もうどうしたって止まらない。

 そんな気持ちを察してくれたのかな。おねえさんは泣き顔が隠れるように、泣き声が埋もれるように。

 僕を深く抱き締めてくれた。助かるような、その姿を見られるのもまた恥ずかしいような。


 それと、沖縄じゃ「夢でも見た」とか言ってたけど。

 おねえさん。やっぱりタコいたんじゃないか。

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