19.『おねえさん』と「なんで」
「浮かない顔してるね」
おねえさんはバイクを手押しに切り替えて、大袈裟に顔を覗き込んでくる。
「来てほしい時に」なんて思ったけど、なんでも見透かされるのは恥ずかしい。
「そんなことよりまた昼間っからウロウロして。大学とか仕事とかないのかよ」
相変わらず咄嗟に出るのはこんな言葉だ。
でもおねえさんはふふんと笑う。
「『おねえさん』の私生活はね、謎に包まれているものなんだよ?」
「コンビニ飯タバコ屋住まい」
「ぐっ! やるなっ!」
「何が」
胸を抑えるおねえさん。バイク倒れるぞ。ちゃんと持っとけよ。
しかしすぐに気を取り直す。
「ま、君が心配しなくてもこのあと予定があってさ。バイバイするまでお話ししようよ」
「えぇ……」
「ほら! 急いで! あんまり余裕ないかもよ!?」
「はぁ」
強引さって、時と場合じゃ優しいもんだ。
「っていうことがあってさ」
「そっかぁ」
大体のことを伝えると、おねえさんはアゴに人差し指を当てた。少しだけ間を置くと、
「まず、『お母さんに気を病ませるようなことを言ってしまった』については、反省しているからヨシとしよう」
「いいのかな」
「それより今は、『お父さんが仕事に行って気持ちがクサクサする』って方だね」
彼女は薄く笑う。
「あんな事件があったあとで、寂しく感じたのかな?」
表情的に言葉とは裏腹、おねえさん自身はそう思ってないんだろう。
「違うんだ」
「じゃあどうしたのかな?」
今度こそ彼女は微笑んだ。
「僕さ。ヤクザに拐われて、本当に怖かったんだ」
昨日のことは言葉にするだけでも恐ろしい。記憶が蘇って身震いしてしまう。
もしかしたら僕が外に出たかったのは。
じっとしてたら頭がそっちに引っ張られそうだから
なんてこともあったのかもしれない。
「アイツら、僕の耳を切り落とそうとしたんだ。しかも無感情でさ。本当に淡々と人に刃物が使えるんだ」
おねえさんは片手でバイクを押して、相槌の代わりに僕の右手を握る。そこでようやく、自分が震えていることに気付いた。
「ウチはさ、警察一家なんだよ。父さんもじいちゃんも警察官でさ。だから僕も、警察官を目指すように言われてる。でも」
無意識に足が止まった。おねえさんもすぐに止まってくれるけど、少しだけ繋いだ手が引っ張られる。
それがスイッチみたいに。
くそ。出るな。出るな。こぼすな。
アスファルトがポツポツと、黒を濃くする。
「僕にはムリだ! 怖いよ! あんなのと戦えないよ!」
でも今は、怖いヤクザより父さんの顔が浮かぶ。
「僕には絶対ムリだ! 怖いし、体は動かないし、息だってできなくなる!」
もう濡れたアスファルトすら滲んで見えない。
「僕は、父さんみたいにはなれない! 期待されてるとおりには、なれない!」
立ち止まったのは足じゃなくて僕の心だ。見えないのはアスファルトじゃなくてこの先の道だ。
父さんが仕事に行って落ち着かないのは、差を見せつけられる気がするからだ。
視界が真っ暗になった錯覚。そこにそっと、僕の頬へ触れる感触。
おねえさんのハンカチだった。僕の気持ちを汲み取るように、優しく涙を拭き取る。
視界の雨が晴れると、太陽みたいに見守る人がいる。
彼女はまず、ゆっくり手を動かして僕の固く握った手をこじ開ける。それからそっと指を絡ませる。
「『小さいのに背負いすぎ』とか、『怖いならムリしなくていいんじゃない?』とかは言わない。期待されるのは自分で背負ったり下ろしたりできないし、君もそれが嫌なんじゃなくて、『応えたい』と思ってるから。だから悩んでる」
繋いだ手が少しずつ大きく前後に振られはじめる。急に、ムリに歩き出さず、まずは準備体操とでもいうみたいに。
「じゃあさ、『なんでお父さんは怖い相手と戦えるのか』って、考えてみようよ」
「『なんで』?」
「そう、『なんで』。『なんで』で人類は成長してきたんだよ?」
「はぁ」
話に合わせておねえさんが僕を引っ張る。自分たちも前に進もう、と。
「学習漫画の導入みたいなのは置いといてさ。人間どうしても個性があって、得意なこと苦手なことはある。でもさ、大体の『人ができること』は、君にもできるはずなんだ」
おねえさんはそれこそ学習漫画の導入みたいに、人差し指を立てて振る。
「『なんで』が分かれば、君も同じようにできるかもしれない。逆に今のヤミクモに落ち込んでるよりは、キッパリ決別できるようになるかもしれない。ムリそうでも諦めが付くまでは努力する、そのヒントにだってなる」
「たしかに」
「はい! じゃあシンキングタイム、スタート!」
指をパチンと鳴らすおねえさん。そんなこと言われたって。
分かれば苦労しないし、分からないから悩んでるんだけどな。
「どんなのでもいいよ。『正解っぽくないな』とか考えず、どんどん行こう」
「そこまでいうなら」
パッと浮かんだものを、そのまま切り出してみる。
「やっぱり、ヤクザが怖くないとか?」
「なるほど。じゃあヤクザが怖くなくなるにはどうしたらいいだろう」
「……いや、ムリだろ」
たとえ剣道の大会で優勝しても、将来高身長マッチョになっても。ナイフや拳銃持って躊躇なく襲いかかってくるヤツが怖くなくなる気はしない。
「それこそおねえさんみたいなバケモノだったら別だけどさ」
「失礼な。『おねえさん』だよ」
「とにかく僕にはムリだ」
「ふぅん。じゃあさ、『怖くない』以外なら、何が考えられるかな?」
「それ以外の理由、か」
それらしいのは浮かばないけど、正解っぽくなくていいんだったよな。
「仕事だから?」
「仕事かぁ。それで割り切れるのは日本人極めてるね」
おねえさんは愉快そうに笑う。
「でも案外、方向性は間違ってないのかも」
「え、そう?」
僕としては機械的すぎて「違う」と言われるかと。
彼女は自分の胸に親指を立てる。
「仕事だからはさておき、『怖い』を越える、『怖い』に勝てる何かがあるのかもしれない」
「『怖い』に勝てる何か」
「それがあれば、君も戦えるようになるかもしれない」
そのまま手が僕の胸へ。力を分けようとするみたいな。
「その何かって何さ」
「それは人によって違うでしょ。個性でも、どんな人生送ってきたかでも。だからおねえさんには分からないし、君が分かるのも警察官になってからかも」
「えぇ……、急に投げやりになるじゃん」
「いきなりオトナにはなれないのだよ、男の子」
なんだそのはぐらかし、と思ったが、追及するまえに彼女はバイクへ跨った。
「じゃ、おねえさんは予定あるからここまで」
「あぁ、そういえばそんなこと」
投げやりというか、話をまとめる必要があったみたいだ。おねえさんはそのまま僕の向こう側を指差す。
「あとのお悩み相談なり暇つぶしなりは、そこで付き合ってもらいなさい」
そこにはちょくちょく見かける、持ち主が死んでるのか生きてるのか不明なタイプのボロい家が。
表札には
「『兵部』って、あの博士?」
「じゃあねー」
おねえさんは爆音撒き散らしながら、すぐに見えなくなってしまった。
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