20.博士と健康で文化的な最低限度の生活

「えぇ……」


 いや、たしかに暇つぶしの相手がいてくれるに越したことはないが、


「博士なんて、このまえ会ったっきりだぞ?」


 しかも何しでかしたか不明(少なくともおねえさんが胸ぐら掴み上げるレベル)の老人。ハードル高すぎる。

 一応おねえさんがオススメするんだ(沖縄じゃキレ散らかしてたけど)、まさか取って食われたりはしないだろうけど。


 でもウジウジしててもしょうがない。意を決してインターホンを


「ない」


 さすがバラックみたいなボロ家、今時でも文明が乏しい。電気や水は通ってるのか? 上がって大丈夫なのか? 床板が抜けたり天井が落ちたりしないか? ぬしみたいなムカデが出てきやしないか?

 そもそも博士は沖縄にいて、おねえさんに拉致られて東京に来たんだろ? つまり元々持っていた家じゃなく、新たに住まいとしたわけで。

 でもこんな物件、不動産の人が扱ってるもんか? 普通すぐ潰してコインパーキングにでもするもんじゃないのか?

 まさか空き家へ不法に住み着いてるパターンじゃないだろうな?


「うっへぇ」


 ますますお邪魔する気が失せるけど、ここで帰えるわけにはいかない。

 別に「せっかくだから」ってわけじゃない。正直相談や暇つぶしだって「どうしても」って感じでもない。今から家に帰っても、じゅうぶん部屋でおとなしくしてられる。


 でも博士に会ってみよう。

 いろいろ聞いてみたい疑問があるし、おねえさんがいない状況なら答えてくれることもあるかもしれないから。

 

 とりあえずインターホンがないならノックだろうか。僕としては軽く叩いたつもりだが、


 バンバンバン!


「ぅおっ」


 小学生の腕力でも今すぐ破壊できそうな、薄っぺらい頼りない音がする。


「マジで大丈夫かよ、この家」


 弁償とかはしたくないし(本当に不法滞在だったら余計に大問題になるし)、ノックをやめてなんとなく一歩引き戸から離れてみたが、


 いつまで経っても返事がない。留守だろうか?

 心の中で一分数えてみたが、誰かが玄関を開けに来る様子はない。そんなに広くなさそうだし、どこかしら張り付けたトタンにスキマがありそうな家。動く気配や音があれば分かるはずだ。


「留守かなぁ」


 ま、そんなこともあるさ。縁があればそのうち会えるだろうよ。

 スナフキンみたいなこと言って立ち去ろうと(本当にスナフキンがこんな感じかはよく知らない。母さんが持ってるグッズでしか知らない)した僕に、一つの考えがよぎる。


 そういえば母さんが介護に行っているじいちゃん。

 ある日いつもの時間に起きてこないのを、ばあちゃんが「今日はさね」なんて思ってたら脳梗塞で倒れてた、って経緯がある。


「まさか、博士!?」


 ないとは言い切れない。沖縄の叔父さんだって人間ドックの結果見て


「やべぇ……」


 って震えてたんだ。老人なんかいつどうなってもおかしくない!

 それと叔父さんは年齢より不摂生だとは思ってる。


 とにかく派遣されておいて「博士が倒れてるのスルーしました」じゃ、おねえさんにどうされるか分からない! 悪い予想というより完全な未知数として分からない!


「博士っ! 博士ーっ!!」


 それでも一応、引き戸が壊れないよう心得てノック。すると、


『その声は、沖縄の?』


 引き戸の曇りガラス(元からか汚れ散らかしてんのか判別不能)に人影が浮かび、紛れもない博士の声が。

 いや、断言できるほど博士の声聞いてないな。


「そうです! おねえさんと一緒だったハバトケントです! こんにちは!」


 医療ドラマの「大丈夫ですかー!? 聞こえますかー!?」くらいの勢いで答えると、


「よう来たの。何もないが、まぁ上がっていきなさい」


 玄関ではなく庭の引き戸から博士が顔を出した。






「玄関の方は下手に開けると戸が外れてしまうでの」


 博士は居間へ通してくれた。室内はやはり小汚いが、最低限人間が人間のまま生息可能な環境ではある。せいぜい薄暗くてカビ臭くて家具か粗大ゴミか分からないのが散乱してるくらい。

 やっぱり人間レベルの環境じゃない気がしてきた。


「ま、畳が抜けたことはないでな。安心して座っとくれ」

「は、はぁ」


 安心して座れるほど綺麗な畳なんだろうか。でも座布団やら探しても衛生具合は変わらなそうなので、おとなしく腰を下ろす。


「茶でも出すから、少し待ってなさい」

「あ、おかまいなく」


 押しかけといて「おかまいなく」も変だが、何度も言うようにグチャグチャの室内に加えて、



 ところ狭しと並べられた、よく分からない瓶やフラスコ、試験管。



 なんかお茶出されても飲みたくないな!!

 うだうだ嫌がってるうちに博士が戻ってきた。


「すまんがそこの、壁に立ててあるを出してくれんか」

「はい」


 置かれたのは湯呑み。フラスコじゃないのは安心材料だろうか。


「ジュースとかはなくてな。麦茶で」

「麦茶好きです」


「……」

「……」


「冷蔵庫に入ってた冷たいやつで」

「まだ最近暑いですもんね」


「……」

「……」


「悪いがお菓子とかはなくて」

「あ、大丈夫です」


「……」

「……」



 助けてくれ!

 おねえさんは何を考えて僕を博士に丸投げしたんだ! 会話が始まらない! あまりにも気まずいぞ!

 聞きたいことがあって乗り込んだはずなのに、いざ相手を目の前にすると口が重い(もちろん壮絶な室内に圧倒されているのもある)。博士も博士で、顔はこっちを向いているけど視線は上。露骨に合わせてこない。困惑が見て取れる。

 何か、何か話題を! いきなり聞きたい核心に切り込むのはちょっと勇気がいる雰囲気だ。

 まずはジャブを! 何か、あ! そうだ!


「あの」

「んっ!?」

「ひえっ」


 話しかけられると思ってなかったんだろう、博士の返事は驚愕に近かった。


「や、すまんすまん。どうしたのかね」

「あ、いや、博士って、なんの博士なんだろうと思って」

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