21.『おねえさん』と風の谷

「つまり専攻、何を研究しているかが気になる、と」

「は、はい」


 心なしか博士の表情が柔らかくなった気がする。人は専門分野について語るのが快楽だって、教育実習の大学生が言ってた。間違いじゃないみたいだ。


「ワシはな、いわゆる生物工学というのをやっておる。その中でも特に遺伝子工学と言われるヤツじゃな。分かるかな?」

「ロボットじゃないってことは」


 博士はちゃぶ台に肘を突き、軽く身を乗り出す。


「つまり『生き物を人間にとって便利になるよう進化させる』ってことじゃて。分かりやすく言うと、ケンシロウくん、じゃったっけ?」

「ケントです」

「うむ、ケントくん。君は牛乳好きか?」

「特別どうとも」

「そうか」


 博士の言葉が止まる。「大好き!」「実は君が大好きな牛乳もね!」という流れを当て込んでたのかもしれない。


「まぁいいだろう。君がどうとも思わない牛乳。アレも古来そのままの牛では、毎日全国の給食に並べられるほど手に入らない。そこでより多くの牛乳が得られる白黒のホルスタインを作り出した。というのが一番身近で分かりやすい例じゃな」

「なるほど。じゃああの棚に置いてあるのも」


 目線がの瓶へ吸い寄せられる。


「うむ。生物や遺伝子のサンプルが入っておるわけじゃ」

「へぇ〜。大学で教えてたりするの?」

「ん? なぜ?」


 よし、食い付いた! 狙いどおりだ!

 僕もジャブだからって、無意味で無関係なところをつついてたワケじゃない。もちろん博士の研究も気になる。けど、何より一番聞きたいところへ繋げるための伏線なんだ。


「いや、おねえさんとは以前からの知り合いなんでしょ? 『実験に付き合った』とかも言ってたし、教授と生徒だったのかなって」


 あの人が生物工学とかやってるインテリなイメージは皆無だけど、我ながら自然に話を持ってこれたぞ。

 しかし博士は少し間合いを取る。


「『おねえさん』、というのは、ナカくんのことかね?」

「ナカくん?」


 なんだか知らない名前が出てきた。


「いや、その、沖縄で博士を襲撃した女の人です」

「あぁ、やはりナカくんのことだな」

「へぇー、それ名字ですか?」

「うむ」


 ナカ。そうか、それが。謎に教えてくれない本名が、一部分でもこういう形で明かされるとはね。


 それより今のはとても重要な発言だ。何しろ博士はおねえさんと、本名を知っているほどの関係であるという証拠だから。

 僕も知らない、というか基本聞かれても答えてくれないほどの情報を。


 ただ、収穫であると同時に飛びつきやすいエサで話題を逸らされてる感じもある。そうなるまえにこのまま勢いを切らず踏み込んでしまえ!


「二人は何か因縁があるんでしょ? それってどんななの?」


 博士はすぐに答えない。話していいものか考えているんだろう。

 そりゃそうだ。沖縄じゃいくらイチコが聞いても、おねえさんは具体的なことを濁し続けた。それを勝手に口に出していいものか、ってのはあるだろう。

 もしくは単純に、あんまり人に知られたくないなのか。

 でも僕だって一度聞いてみたからには引けない。この機会を逃したらもうずっとチャンスはない気がする。小学生なりに精いっぱい圧を込めた視線を送ってみると、


「そもそもワシが生物工学の道に進もうと思ったのはな」


 彼はゆっくり、ため息みたいに言葉を紡ぎはじめた。

 でも『自分が科学者を目指した理由』? はぐらかしに別な話を始めたのか?

 でもここは黙って聞いてみようじゃないか。



「『ナウシカ』じゃ」

「は?」



「『風の谷のナウシカ』じゃ」

「や、それは分かってます。そうじゃなくて」


 意味不明な発言に頭がフリーズする。ナウシカ? 奈良鹿? なんで?

 混乱している僕に博士は軽く笑う。たぶん慣れっこのリアクションなんだろう。


「『ナウシカ』にな、巨大な空飛ぶムカデが出てくるシーンがあるんじゃよ」

「あ、え、腐海のシーンでしたっけ?」

「そうそう! あのナウシカを追いかけ回してくる怪物じゃよ!」

「え、まさか」


 なんか嫌な予感がするぞ? もしやコイツ、



「アレが作りたくてなぁ」

「やっぱりかこのジジイ!」



 思ったとおりだ! やっぱりこの100均アインシュタイン、おねえさんと同類のヤベーヤツだ!


「その夢を叶えるべくがんばってきたんじゃよ」

「爽やかな笑顔してんじゃないよ!」


 あまりにも子どもっぽくてハタ迷惑な理由に驚かされるが、ここは冷静にならねば。でないともっと重大な問題を見落とすことになってしまう。


「で、博士」

「何かな?」

「どうしてこの流れで、そんな話を?」

「……」


 あ! 目ぇそらしやがったコイツ! 逃すか!


「質問に関係ない話してますか?」

「あ、いや、そんな」

「だったらですよ? その話がおねえさんとの因縁に。それもガチギレさせるようなことに関わってるとしたらですよ?」


 少し間を取ったが、博士は目を泳がせるだけで自分から白状する様子はない。



「もしかして、ホントに作って脱走された、とか?」



「ちょっとお茶うけ探してくる」

「こっちを見ろおおおぉぉぉぉぉ!!」


 やっぱりか! このジジイやっぱりか! 存在してはいけないクリーチャーを生み出して、しかも世に解き放ちやがったんだ!

 そして事件やニュースになってないってことは! おねえさんが怪物の尻拭いをさせられたんだ! そりゃキレるよ!

『バケモンにはバケモンをぶつけんだよ』なんて聞いたことあるけど、それを本当にやるヤツがあるかよ! そもそもやれるバケモンが二つも存在して許されるのかよ!


「ええーい! うるさいうるさいうるさい! ワシは悪くないんじゃあ!!」

「んなワケあるかい!!」


 どこかへ逃げようとする博士の裾を引っ張って捕まえると、



 バンバンバン!



 大きな音と振動が。これ幸いと僕を振り払って玄関へ向かう博士。


「まったく、こんな時に誰じゃい。今日は客がよぅ来るの」

「あ、待って博士」


 この音と振動は、誰かが玄関を叩いてるとかじゃなくて。



 メキッという音は、確実に頭上からした。それから僕らが反射的に視線を上げると同時、メリメリバキバキと響きを変える。


 あぁ、この振動、この光景は。

 つい最近どこぞのビルで。そう、今話題に上がっていたあの人が。


 きっと今の話を聞いて、いろいろ思い出してお怒りなんだろう。沖縄でも博士相手には容赦なかったし、せっかく用意した家がとか考えるタイプでもない。



 そのまま天井が記憶と合致するように浮き上がる。

 ただ一つ違うのは、天井のデザインとかじゃなくて



「な、なんだ、これ?」



 その向こうにいるのがおねえさんではなく、円盤のような白い光の塊だということ。眩しい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る