55.迷探偵でもそこは気づく
「よし、そこまでにしよう」
これで何項目終わったか。
ボタンがポチポチいじくられ、ルームランナーが減速していく。
「ふう」
ルームランナーから降りる時に足元を見て、いまさら自分が検査衣のままなことに気づく。こういうことさせるならトレーニングウェアくらい貸せよな。
「どうだ。余裕かね」
片手にカルテ片手にコーヒーのオオドリイは、悪意はないんだろうけどシャクな感じ。
「や、これでも結構キてるというか」
「強がるならまだしも、弱ぶるのはやめたまえ。そういうのはせめて肩で息をする演技でも
まだキてないどころか正直余裕なのが見透かされてる。そのアピールみたいに、野郎は私へ水分補給も渡さず自分でコーヒーを飲む。
「ちなみに今ので時速150キロだ。つまり君は駆けっこでチーターを完封し、野球で投手と捕手を兼任できる。もっとも、球速だけ常識の範囲内なら、の話だが」
「フレーミングガタガタんなりそう」
「そしてその状態を三十分維持して、たいした息切れも起こさない。発汗も軽いアップ程度だ」
「聞いちゃいねぇ」
食い入るようにカルテへ集中するオオドリイ。相変わらず死んだ魚の目をしてるけど、少し感情の動きが見て取れる。
「素晴らしいよ。今までも、定着しないまでも細胞の能力を引き出した被験者は数名いた。しかしナカくん。今回の君のスコアは全てのデータを過去にするものだ。それも日本人の平均身長が年々伸びるような、近似値レベルでの段階的進化ではない。ネルソンの『ヴィクトリー』に戦艦大和を見せつけるような……。飛躍的進化、ミッシングリンクの域だ」
声も相変わらず抑揚に乏しいけど、それでも興奮気味なのが分かる。
さて。自分が語りたい領域に入ると、生徒を置いてけぼりにする先生がいる。話が自分の好きな時代に差し掛かった日本史世界史の先生に多い。
理系のオオドリイセンセはどうかな。
「ねぇオオドリイさん」
「何かね」
カルテから目を離さず、いかにも生返事って感じ。
「聞きたいことがあるんだけど」
「なんでも言いなさい」
「ミッシングリンクとかなんとか言ってるけど、そもそも絶対的に数値がおかしいよね?」
数字を堪能していた目が止まる。どうやら私の疑問は的を射ていて、何かしら彼の図星をついたみたい。
ならもっと突っ込む価値はある。
「たしかにモハメド・アリはすごいよ? 呂布がヤバいってのもゲームでよく見る。他にもたくさんのスゴい英雄が混ぜっこされて、私の中にあるんだよね? そりゃ今の私は人類最高レベルだと思う。でも」
向けられている視線は「それ以上言うな」じゃない。現代文の教師が授業で生徒の『筆者の気持ち』考察を聞いてる感じ。
「コレは『人間』が出せる数字じゃないよね?」
オオドリイの表情は、無。
意外さや衝撃を何一つ感じていない、予想された結果を見る目。やっぱりそうなんだ。
そりゃそうだよね。『チーターはムリだから、せめて同じ人間』って言ってたのに、チーターに駆けっこ勝てるんだもん。ウサイン・ボルトでも
人間は背筋力の測定器引っこ抜かないしバーベルでお手玉もしない。
どう考えてもおかしいよね。向こうもおかしいことは分かってるんだよね。
それ以上のことは言葉にしないことにした。代わりに目で訴えてみる。
「ふむ」
オオドリイは少しだけ考える間を取る。言うべきか誤魔化すべきかの思案というよりは、
「このあとはグラウンドやプールでの測定、知能テストなどを予定していたんだが。まぁいいだろう。先にそのあたりも話しておこうじゃないか。測定に身が入らず結果に影響しても困る」
システマチックな理由での二択に、機械的な理由での判断を下した。
「ちょうどここですることも終わった。ついてきなさい」
そこからは間も取らずトレーニングルームの出口へ一直線。
「ちょっと。どこ行くの」
「口だけで説明するより、見た方が分かりやすいものだ」
問いかけにも足を止めず、私を置いていく勢い。
コイツ、説明しようとしてくれる意思はあるんだけどさ。回りくどかったり聞く側のこと考えてなかったり、絶望的にそれ系のスキルがない。
理系なら研究内容の発表とかしてそうなモンだけど、大丈夫なのかね。
トレーニングルームへは散々廊下を歩き回ったけど、今度は一転エレベーター。延々延々地下へ向かって、長い距離を下降中。
どういう設備なのかは知らないけど、デパートなんかのと違って稼働音がゴンゴンうるさい。地下採掘場とかNERVのヤツみたい。完全にイメージだけど。
その音の中にオオドリイの声が響く。覇気もない抑揚も乏しい、かき消えそうな声。
だけどさすがにエレベーターの音には負けなかった。逆に今は低くて落ち着きのある話し口が助かるかも。なれない稼働音に晒されて、ワケもなく心拍が上がってる。別に『不穏な音してるし、急に事故るかも?』とか思ってるんじゃないけどさ。
「さて。君に移植した細胞について、『完成とほど遠い』と話したのは覚えているかね」
「努めて忘れるようにしてます」
「自分の体に関わることだ。覚えておくことを推奨する」
「はん」
勝手ばっかり言いやがって。態度の悪い返事をしても、彼が気に留める様子はない。階数表示を見上げてばっかで、こっちを見もしない。
「そして君の疑問。『これは人間の域を超えているのではないか』そのとおりだ。言葉の綾でしかなかった『超人』だが、今の君は文字どおり『人』を『超』えている」
ようやくオオドリイが振り返る。マジで自分のペースでしか対話しないなコイツ。
「だがそうするのは当然だと思わないかね? 相手は悪魔や宇宙人なのだ。人体や戦車を素手で引き裂く連中に、ヘビー級ボクサーのパンチなど通用しない。未知の電気ショックを飛ばしてくる相手に、ツノトカゲのモノマネすら応酬できない。人間など、極めたとてその程度だ」
言葉とは裏腹、いつも何かに絶望してそうな目に少しだけ力が入る。
「絶望的な壁に直面した我々だが、ある時一つの転機が訪れた。苦心の末に米軍が一匹の悪魔を捕虜にしたのだ」
果たして体にズシッときた圧は、エレベーターが下降する勢いのせい?
果たして鼓膜が詰まるような感覚は、稼働音の大きさや気圧の変化のせい?
頭から血が降りる感覚は、何の、何の。
カルテに落とされた視線の動きはきっと、哀れな捕虜の名前をなぞっている。
「我々は早速その悪魔と対面した。最初は生体を解明すれば弱点が分かるかも、程度のことだった。しかし、ある研究員が思い付いたのだ。『悪魔の細胞が移植できれば、身体能力で及ぶのではないか?』と」
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