56.邪悪さにおいて両者に差はないということ

 鈍い振動にハッとする。目的の階に着いたらしい。

 吐き気がするのは今ので内臓が揺れたせいだろうか。


 オオドリイはというと、ドアが開くのに目もくれず語るのに夢中。ロクに前も見ず歩き出す。


「最初は皆『バカな』と思ったよ。『悪魔の細胞など移植できるはずがない』『そんなのはせめてチンパンジーあたりを成功させてから言え』『今日からオマエのあだ名デビルマンな』と口々に否定した」


 少なくとも最後のはコイツのセンスじゃないな。でも海外の人ってデビルマンとか知ってんの?

 私はそういう方向に意識を集中した。

 予想される、いや、誰でも確信できる。まともに聞きたくなかったから。

 深く厳重な地下室の。まともに見たくなかったから。


「だが彼は熱弁したのだ。『悪魔というものは古来より、人間を依代よりしろにしたり血の契約を求めたりする。それはひるがえって、彼らの人体との親和性を示すものではないのか?』と」


 短い廊下のドアの先。そこはゲンドウとシンジくんはつ対面シーンみたいな、広いスペースを見下ろす部屋。

 だと思う。ガラスの向こうは真っ暗で見えないから、実のところは不明。


「説得力を感じたわけではない。が、素人質問で恐縮していても打開策はないのでな。『言われてみれば人形ひとがたをしているし、アフリカゾウよりは易しいんじゃないか』と、やるだけやってみることにしたのだ」


 私の考えを察したワケじゃないだろうけど、オオドリイが壁のスイッチをパチパチ。それに合わせて、順番に暗闇へライトが灯る。


「しかし我々も研究者、好奇心探究心の塊どもだ。一度始めると、なかなかどうしてまでやってしまう。逆に言えば『最初の一回で見切られない程度には手応えを感じた』ということでもあるが」


 照らし出されたのは想像どおり、立方体の広いフィールド。やっぱりエヴァで見た感じ。零号機が暴れてたな。

 そんな空手コート4×4=16は敷けそうな空間の中央。


 不釣り合いなサイズの黒いボックス。


 どうだろう。四畳半くらい? の立方体。デッドスペース多いな。

 それが天井と太い柱で繋がってる。


 でも正直、その囲いに意味はないよね。何が入ってるかなんて大体察せるし、何より。



 私の細胞が知っている。



「そしていくつかの失敗を経て君に至る、というワケだ。いや何、まだ君で完成だとは言わない。今までと違って即座に終了判定となっていないだけだからな。が、期待はしているよ。というのはここまでにして」


 オオドリイが打ちっぱなしの壁で一際目立つ、ブレーカーみたいなレバーを下げる。すると連動するように柱が縮みはじめる。うるさい音。今時市販の掃除機でも静かなんだから、技術力高そうなアンタらも見習えよな。

 釣り上げられる黒い箱。あらわになる中身は。



「紹介しよう。我々の協力者にして序列三十三番の大総裁、ガープくんだ」



 裸で椅子に拘束された、筋骨隆々で角とコウモリの翼を備えたザ・悪魔。虫歯菌の親玉みたいなヤツ。



 にしても、ピクリともしなきゃ呼吸もしてない。生きてるんだか死んでるんだか。顔が布で覆われてるから直接は見えないけど、口は半開き眼球も静止……


「はん」

「どうした?」

「や、バードウォッチングでも趣味にできそうだなって」

「ふむ?」


 嫌になるくらいよく見える目だよ。でもそんな皮肉、通じないし意味を追求する気もないらしい。


「感想は?」


 研究者とは思えない、雑でどうでもいいことを聞いてくる。

 乗る義理はないな。


「私に至るまでの、『いくつかの失敗』っていうのは?」

「好んでなることもあるまい」

「オマエらの方がよっぽど悪魔だよ」






「ふぅ」


 時計を見ると深夜1時。やはりレポート作成は時間がかかる。

 カンファレンスでは口述で補足できるとはいえ、最低限の体裁は整えておかなければ。

 こういう時、寮が狭いのは助かる。趣味のものも持ち込めなければ、資料や論文もほとんど研究室に置くこととなる。否応なく気を散らすものが遮断されるのだ。


『一件の通知があります』

『Hi, Ash! We are going……』


 ビコンと音を立てる、同じように深夜作業でハイになっている同僚からのちょっかいメール以外は。


「む」


 今ので切れかかっていた集中が完全に終わった。小休止を挟むか。


 にしても今日は肩が凝った。

 十以上年が離れた少女の相手をするのもそうだが、露悪的にするのも得意ではない。


『アッシュ。何もそんな態度することないじゃない。もっと被験者にはフレンドリーに接するべきよ? 友好的な関係を築けた分だけ仕事はスムーズに、ストレスはダイエットサイズになるんだから』


 などとロリアーヌは語るが、オレにとってそれはありえない。

 こと人間は感情の生物だ。精神状態が結果に大きく影響すると考える。

 であれば、たしかに必要以上の緊張は解いておいた方がいいとは言える。

 が。


 そもそも被験者は多くの場合、事情を知らずに連れてこられて混乱し、警戒する。そして我々を『うさんくさい』『悪の科学者』と否定的心情で評する(何も間違っちゃいない)。


 そういった心情。ナチュラルな反応。


 それを過剰に捻じ曲げようと試みたり、『いい人』的ギャップで掻き乱したり。オレ個人からすれば、研究としてフェアとは言えない行為だ。

 心理状態。それが試験と評価をするうえで重要な、目に見えないステータスなのである。


 だからそのためにも、オレはある程度被験者のイメージに沿う悪人を演じ……


 いや、その一文だけは言い訳だな。愚かにも、早速血塗られた自分への評価を偽装しようとしている。


 自己嫌悪に陥るとレポートに余計な情緒が入る。別のことを考えよう。

 被験者の精神状態。そう、被験者。


 あのナカソラコという娘。


 あのあとは口数も少なく、おとなしく検査をこなし、おとなしく就寝した。ショックが大きすぎたのか、従順な振る舞い。


 が、アレはなかなかの難物と見た。


 一見『陽気で社交的かつ直情的』。それが置かれた状況を理解するにつれて、さすがに鳴りを潜め……

 それこそロラロリアーヌならそう評するだろう。


 だがオレの見解は違う。

 アレは思った以上に、そもそもタチだ。


 多弁なように見えてその実、浮かんだ言葉が全て口に出るタイプではない。

 頭の中ではもっと多くのことが思考され、そこからいくつかピックアップされているにすぎない。

 どころか、本心や中心から脱落した枝葉の雑多な思考。本来いらないゴミ箱行きの文章。それらを好んで軽口や皮肉に選んでいるフシすらある。

 もちろんこれは敵意からくるもので、普段はこんな会話術を取らない可能性は大いにあるが。


 文章にすればまぁ、複雑なだけで特別珍しい気質というワケではない。

 が、こういう手合いは往々にして、『会話の陰で別の、しかも最も重要な思考が尻尾も出さずに進められている』ことが多い。

 それがつまりどういうことかというと……


 マグカップに口をつけると中身が空になっていた。もう一杯コーヒーを淹れようと腰を上げたところで、



 夜中には非常識なボリュームの、スマホの着信音が響く。



 着信は件のロラから。コーヒーは後にして通話に出る。


Hiもしもし

Ashアッシュ!! Still up起きてる!?』

Yeahあぁ. Supで、どうした?』



She broke out脱走よ!!』



 つまりどういうことかというと、急にとんでもないことを、ということだ。

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