10.『おねえさん』と明日の朝刊載ったぞテメー

「ピギィィィィィ!!」


 太陽を照り返す耳飾り。彼女自身の象徴。完全にこの場を支配するキング、いや、クイーン。その陛下の足下で。

 凄まじい悲鳴が響き渡り、怪物はゆっくり崩れ落ちる(タコに声帯ってあるのか?)。同時に僕をぐるぐる巻きにしていた触手も力を失って、


「あっ、あっ、うわっ!」

「おっと」


 危うく海に落ちるところを、おねえさんがナイスキャッチしてくれた。そのまま僕らは力なく水面に浮かぶ、タコの巨体へ着地する。


「危ないところだったね」

「バ、バケモノ……」

「失礼だな。『おねえさん』だよ」


 ムッとするおねえさん。たしかに助けておいてもらっての発言じゃないけどさ。妙なところでオトメ心あるんだな。

 しかし彼女はすぐに切り替える。


「それより、間に合ってよかった」

「う、うん」


 にっこり笑うおねえさんの笑顔は太陽より眩しくて、安心感がある。

 だけど、


「お、下ろしてよ」

「ん? どうして?」


 さすがに男子として、女性にお姫さま抱っこされているのは恥ずかしい。


「あー、そう、ね」


 おねえさんも察してくれたのか、僕をゆっくりタコへ下ろす。つまり察せるだけの、恥ずかしそうな顔をしてたんだろうな。ちくしょう。


「うわああぁ」


 足が着くと、思った以上にタコの体はヌルッとブニッとしていた。僕は慌てておねえさんが立っているサーフボード部分へ飛び乗る。


「そう怖がらないの〜。気持ちは分かるけどさ〜? へへ」

「むっ」


 せっかく助けてくれたと思ったら一転、いつものウザい感じ。でも否定できないから話題を逸らしてしまうことにする。


「それより、ブロック担げるのもオカシイけどさ。何をどうやったらその状態で、ここまで沈まずサーフィンできるんだよ」


 おねえさんは腰に手を当て、鼻から息を抜いた。


「『おねえさん』だぞ、浮力くらい操れる」

「そんなわけないから!」


 僕のツッコミを無視して、物理法則違反の塊はサーフボードに腰を下ろす。


「そんなことよりさ、疲れたでしょ。座ろうよ。一休みしたら向こうに戻ろう」

「オバケタコの上で、呑気だなぁ」

「怪我なぁい? タコ焼き食べる?」


 いきなり背後に手を回してタコ焼きを取り出すおねえさん。


「どこにそんなの隠し持ってたの。あのサーフィン状態で」

「タコいるじゃん。今作った」

「作れるわけないだろ!」

「『おねえさん』だぞ。料理くらい」

「そういうことじゃない! 百歩譲ってそうだとしても、他の具材と船皿、爪楊枝つまようじ完備はおかしいだろ!」

「男のくせに細かいなぁ」


 おねえさんは呆れた顔でタコ焼き丸ごと一個をパクリ。熱くないのか?

 あと、アンタだけはその顔をする資格はない。

 疲れた。やっぱりこの人はまともに相手しないに限る。僕はタコへ逃避する。


「にしてもさ」

「何かな男の子」


 撫でると表面はやっぱりヌメヌメしている。気持ち悪い。


「このタコ、普通じゃ絶対ありえないよ。いったいなんなんだろう」

「んー」


 おねえさんはタコ焼きを口へ放り込みながら、少し考える表情をした。

 そして2秒でやめた。


「悪魔かなんかでしょ。海外じゃデビルフィッシュっていうらしいし」

「悪魔なんか食わせようとするな」


 ちょっとだけ、海外に親近感が湧いた。






「へぇ! そんなことがあったのかい!? マジで!?」

「ホンマ、あんなオトナなったらアカンわ。来世はミヤマクワガタんなるで」

「それは、海の逆で山に行かされる的な?」


 あれから僕らは叔父さんの家に引き上げた。邪悪タコキングに襲われて、「じゃあもうちょっと泳ごうか」とはならない。

 イチコは叔父さん特製オレンジジュース片手に、ナンパ野郎の土産話をしている。

 タコの話は、しない。イチコは単に知らないんだろうけど、僕もおねえさんも、しない。






「じゃ、イチコちゃんが心配だし、ぼちぼち帰ろうかね」


 時間はおねえさんがタコ焼きを食べ終わった直後に遡る。

 彼女はサーフボードを海に浮かべた。


「さ、おねえさんの腰と美脚に絡み付きなさい。そうすれば振り落とされることはないから」

「嫌な言い方するなよ」


 そもそもサーフィンって、最初はうつ伏せで漕ぎ出すんじゃなかったっけ。

 が、おねえさんは初手直立。あのさぁ。


「さ、おいで」


 ここで否応言っても自力じゃ帰れない。渋々、軽く腰に手を回すと、


「もっとしっかりくっ付いて。途中で落ちたの拾うとかメンドくさいし」


 後頭部を掴まれて、思いっきり脇腹へ押し付けられた。


 これはよくない! 非常によくない! 青少年の健全なウンタラカンタラに関してピーチクパーチク、父さん怒らないでください。

 にしても、肌に触れると普通にスベスベってやつで、腹筋バキバキなわけでもない。あんなマーベルヒーローじみたことをする肉体には思えないなんだよな。

 うむ、我ながら冷静な分析だ。断じてスケベ心でおねえさんのカラダをどうこう感じているわけではない。

『誰に?』『僕に』な言い訳をつらつら思い浮かべていると、


「あれ? これ」

「あぁ、それ」


 水で透けたTシャツ。その向こうの右脇腹。

 白めに混ざって結構広く、赤い皮膚が見える。


「小学生の時石油ストーブに突っ込んでね。たいしたヤケドじゃなかったんだけど、なんか体質? 特殊な新陳代謝してるらしくてさ。痕んなっちゃったんだよね」

「なんか、ごめん」

「気にしないで。ホッペが赤くなるのと変わらない色してるしさ。チャームポイント」

「えぇ……」


 本人がそういうなら僕もウジウジ言わないけどさ。

 でも、なんだろう。バケモノとか言ったけど、こういう部分があると少し「一応人間なんだな」って思える。

 ストーブに突っ込むとかいうハデなも、なんだかっちゃし。

 いや、特殊な体質に人間味を感じるのも変だけどさ。


「はいよっ」


 おねえさんが小さく呟く。馬じゃないんだから。しかしそれを合図にか、サーフボードは勝手に波を捉えて進み始めた。

 あのさぁ。物理法則をさぁ。

 もういいや。おねえさんに関しては定期的に思考を放棄しなければならないことを、早く覚えなければならない。頭を切り替えるに限る。


「にしてもさ。あんなデカいタコ、明日の新聞載ったね」


 僕としてはそれなりのジョークをまじえたつもりだったけど、対するおねえさんは


「載らないんじゃなーい?」


 振り返りもせず、どうでもよさそうに真っ直ぐビーチを見ている。


「なんでさ。あんだけ巨大なタコなんだ。たしかに社会的なニュースじゃないかもしれないけど、『生物学的大発見!』とかでさ」


 おねえさんは黙って親指で後方を指した。僕もしがみ付きながら首だけ回して確認すると、



「あれ?」



 どこにもタコの姿なんてなかった。カケラも。


「お、お、お、おねえさん! タコが! き、消えて!」

「溺れかけて、夢でも見てたかなー?」


 あっさり流すおねえさん。おかしい。なんだか。対応自体もそうだけど、明らかにいつもと違って声にテンションがない。

 あんまり違うもんだから、僕も何も言えなくなった。代わりにもう一度振り返ってみる。

 うん。やっぱり。

 絶対に夢じゃない。あれは確かにあった現実だ。


 その証拠に、おねえさんが持ってきた消波ブロック。

 一つだけポツンと墓標みたいに沈んでいるのが、透き通った海に見えているんだから。

 でもそれは僕の記憶との合致がっちであって、誰かに対してのタコがいた証明にはならない。

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