13.『おねえさん』と老人虐待
「待っておねえさん! 早まっちゃいけない!」
ボッコボコのドアを踏み越えた僕の目に映ったのは、
「え? 何が?」
「おや、知り合いかね?」
横倒しの棚をテーブルにして、爺さんとビールを飲んでいるおねえさんだった。
黒縁メガネに白衣、『100均のアインシュタイン』って感じの人。
「ちょっと待ってぇや〜!」
遅れて入ってきた走るのが遅いイチコも、
「……えらい、フケ専な」
「いや、さすがにそれはないだろ」
一応困惑しているようだ。僕とは明らかに違う方向っぽいが。
対するおねえさんは困惑というか呆れ気味。
「早まるって何?」
「いや、なんというか、その」
「おねえさんがその人そこのドアみたいにしてまうんやないか、って」
「イチコ!?」
あんまりストレートに言うもんだから、ちょっとびっくりしてしまう。殺気立ってると思う相手に、そんなはっきり伝えるもんじゃない。オブラートってものを理解してもらわないと困る。
でもおねえさんに特別怒ったり気に
「しないよ! それより少年少女! ヒミツっていったのに付いてきちゃって。ほら、勝手に人ん
ジリジリ部屋の外へやられながらもイチコが食い下がる。
「ほんで、おねえさん! そのお爺さんは!? まさかホンマにカレシ!?」
「ふぇっふぇっふぇっ! この年の差で、祖父と孫ならまだしもカレシたぁのぅ!」
代わりに高笑いしたのは『100均のアインシュタイン』。またずいぶんと作りもんくさい、古典的な老人のしゃべり方をするもんだな。
「じゃあなんやの! 分かるまではアタシ、テコでも行政の立ち退き命令でも動かへんで!」
「何がそこまでイチコをかき立てるんだよ」
腕組みあぐらで座り込んだイチコ。同じように腕を組み、鼻からため息をついたおねえさん。
「あのさぁ。いい? この人はただの知り合い。それもあまりうれしくない腐れ縁の」
「出たーっ! それは付き合ってることを隠す時の決まり文句や! アタシには通じひん!
「イチコちゃんっていつもこんな感じなの?」
「関西人のDNA、ていうのは偏見かな。たぶん」
罠カードって。あのおねえさんが、ドン引きさせる専門の彼女が引いている。イチコ恐るべし。
にしたって、さすがに迷惑リポーターすぎてかわいそうだ。援護射撃してあげよう。
「落ち着けよイチコ。カレシの家だったらこんな、クーデターみたいに破壊の限りを尽くしたりしないだろ」
「あ、そうか。ほな元カレ!?」
「何マタかけられたらこんな仕打ちになるんだよ」
「
「ほら見ぃ!」
おねえさんに常識を当てはめようとした僕が悪かったとはいえ、手助けしてるんだからさ。話をややこしくしないでほしい。
でもどうやら、聞く耳なさげに推していたカレシ説はイチコの方から手放してくれるようだ。年齢三回りは違いそうな相手じゃ、さすがにムリがあると気付いたのかもしれない。気付くのが遅い。
彼女はそのまま、四つん這いで横倒しの棚まで向かい、両手でテーブルにされている面をバシバシ叩く。行政でも動かないんじゃなかったのかよ。
「でもそれやったら結局どういう関係なんやさ! ホンマにおじいちゃんと孫?」
「そりゃ違うわいな」
100均は缶ビールを飲み干す。しかし先にテーブル(棚)へ空き缶をカン! と置いたのはおねえさんだった。答えるのも彼女。
「この人はヒョウブ博士」
「
「違う違う。ヒョ・ウ・ブ。兵庫県の『兵』に部活動の『部』じゃ」
イチコよ、勘違いがシブすぎるぞ。それに普通は名字より『博士』の方が気になるだろ。白衣着ていかにもって感じが逆にうさんくさいのが。顔も100均だし。
あと『兵』っていうけど、体格はヒョロくて弱そう。まぁ、それは大きなお世話か。僕もハバトだけど羽は生えてないし、父さんの都合上警官みたいなたくましいのが基準だし。
とか脳内で突っ込んでいるうちにおねえさんは話を進める。
「で、どういう関係か、だったよね」
それは僕も素直に気になる。カレシがどうとかじゃない。
常識と物理における破壊の権化おねえさんだけど、意外と(重要)基本は優しい。ウザいけど。
今まで粉砕(未遂含む)してきた相手はハイジャック犯にナンパ、大ダコ。なんだこのラインナップ、というのはさておき、向こう側から悪いことをしてきたヤツばかりだ。
そんな過剰防衛レベルカンストが自分から家に乗り込んで荒らし回るなんて、いったいどんな悪党なのか。
おねえさんはダスッと右足をテーブルに乗せる。
「腐れ縁って言ったよね? コイツが博士だけあってさ。昔、実験に付き合ったことがあるんだよね」
ここで急に、おねえさんは振り返って博士の胸ぐらを掴んだ。小柄な彼の体が宙ぶらりんになる。
「わ、わ、わ! 何してるの!」
「アカンで! 博士バラバラになってまう!」
「そこまで脆くはないだろ! いや、おねえさんの腕力なら?」
しかし、他人の僕らは騒ぎ立てるのに、当事者の博士は何も言わない。
対するおねえさんは彼を獰猛な表情で睨み付ける。怒りが頂点に達したオオカミみたいな顔だ。
「まぁ、これぐらいは当然な仕打ちに遭わされたよねぇ?」
「これぐらいは、当然だわな」
博士も苦しそうに応える。本当に何したってんだよ。僕らが聞きたかった具体的因縁は何一つ語られていないが、もう踏み込める剣幕じゃない。
棚の、おねえさんの足が乗った部分。ミシッと音を立ててヒビが入る。
僕としては博士を見捨てて無言で逃げ出したかったが、そこは妙な度胸のイチコ。辛うじて声を絞り、質問を重ねる。
「ほ、ほな、おねえさんはここに何しに来たん? その、何? 復讐、的な?」
それを聞いて当初の目的を思い出したか(これだけ被害を出しておいて忘れていたら、とんでもない話ではあるが)。おねえさんは博士を床に下ろし、僕らの方を振り返る。
悪魔かリーチでラリった博打ウチか。目を見開き歯を見せ、ニィッとぶっ飛んだ笑顔。
「コイツを東京まで拉致監禁してやろうと思ったんだよ」
「まぁ、それぐらいはされるわな」
本当に本当に、何やらかしたんだよ、博士。
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