43.『おねえさん』と雨
「あ……」
「久しぶり、男の子」
僕が避けるようになって以来、不思議と会うことがなかったおねえさん。それってつまり、向こうも接触を避けてたってことだ。
この夏知り合ってからハイペースで会っていただけに、正直ちょっと不気味ではあった。
でもそれが今、破られた。こんなに不気味なことはない。
「どうしたの?」
彼女が一歩近付いてくると、水がパシッと鳴る。心臓がドキッと響く。
傘は普通に黒コウモリ。この寒いのにノースリーブのブラウスで、モッズコートも肩落とし。ホットパンツでタイツでブーツ。どこにも威圧感なんてないのに。
でも、いつものようで、いつもじゃない。
なんだろう。恐怖? 誘拐だとか、なんだとか。前情報と迫る危機が、おねえさんを歪めて見せてるんだろうか。
いや、違う。なんていうか、そういうキツい感覚じゃない。暗い感覚じゃない。
メロは今、どこかからこの状況を見ているんだろうか。何かあれば僕を助けようと構えていてくれたりするんだろうか。
だとしたら、少しだけ、もう少しだけ待ってほしい。
僕のこの気持ちの正体を見極める時間を。もうちょっとで分かる気がするんだ。
「入りなよ。傘持ってないんでしょ?」
「あぁ、うん」
「風邪引くよ?」
目の前まで来たおねえさん。雨と傘でよく見えなかった表情も、今ははっきり目に映る。
「もしかして、わざわざ傘を持ってきてくれたの?」
「まぁね」
「どうしてオレが傘持ってないって知ってるんだ」
「『おねえさん』だからね」
『おねえさん』
そうか。この感覚は。
なんのことはなくて、単純な違和感ってヤツだ。
いつもと違って変なシャツを着てない。いつもと違って耳飾りをつけてない。いつもと違ってベラベラしゃべらない。いつもと違って落ち着いた表情。
僕がよく知っているおねえさんとは、いや。
今の彼女は、『おねえさん』っていう飾りを捨てて、僕の前に現れている。
「どうか、したの?」
「それこっちのセリフ。ん!」
入ってこない僕に焦れたのか、彼女はこっちに傘を手渡そうとしてくる。
僕はその手をそっと押し返して、
「む」
「そっちこそ濡れるよ」
隣に収まった。
メロが見ていたら驚きで火を吹くかもしれない。でも、
なんだか僕には平気だと思えた。
こんなことで、と思うかもしれない。
今まで助けられたから騙されてるんだ、と言いたくなるかもしれない。
でも、
少なくとも今の、この一人の女性は、何も怖くない。
「ねぇ」
「何かな?」
二人で歩く道は僕の家の方。
もしかしたら騙し討ちするつもりかもしれないけど。触れなきゃいいのにヤブヘビかもしれないけど。
彼女を信じて、まっすぐ聞いてみることにした。
「僕を、誘拐するの?」
同じように、飾らず。
彼女は勢いよくこちらへ振り返った。声こそ出さないけど、目を大きくしている。
どこでそのことを!? なんて言いかけて、ギリギリ踏み
でも僕は別に、分かりきったゴマカシとかを聞きたいんじゃない。
「他にもさ、『始末』なんて言葉も聞いた。それって僕に向けた言葉?」
これに関しては、衝撃はすごかったし心底怖かった。でも、メロも言ったとおり断片しか聞いていない。だから本当のところを確かめないといけない。
正直「おねえさんのことだから、アレは何かの間違いだ。そんなことはしないに決まってる」って当て込みは、ない。実はそこまで安心しきって、確信があって踏み込んでるわけじゃない。
もしかしたら赤ずきんみたいに、「そうだよぉ!!」とか吠えられて食われるかも。
それでも聞いたのはただ。
今の僕は、彼女の真意を知りたいから。
「違うよ。そんなワケないじゃん」
返ってきた返事。僕は少しも疑わなかった。嘘があるとか吟味することさえなく、素直に心が受け入れる。
「じゃあ『誘拐』は?」
「それはホント。決めたワケじゃないけど、もしかしたらムリヤリでも沖縄に連れてくかも」
「沖縄?」
「そ、沖縄。ちょっと健康診断したら帰したげるから」
「なんだそれ」
僕らの会話は静かだ。声も多分、いつもより少し低い。
でもそれは重かったり緊張感があるんじゃない。むしろ、必要でじゅうぶんで、心地いい落ち着き。そういう空気に包まれているだけだ。
だから僕は、必要で、重くないこととして、質問を重ねる。
「どうして博士と、そんな言葉が出る会話をしてたの?」
スーッと、鼻から息を抜く音が聞こえた。雨音の中に掻き消えそうなほど繊細な迷いが。
彼女は僕から目を離すと、ジッと道の先を見据える。その先に何を見て何を考えているのか。僕には分からない。雨でいつもより見通しが悪いだけの、見慣れた通学路があるばかり。
でも不安じゃない。
『相手の考えが分からないこと。相手に知らない部分があること』
それは恐怖じゃないって、今この時間が何より証明してくれる。
通じ合うことが全てじゃない、って。
不意に、肩にモッズコートをかけられた。
「寒いでしょ。そんなズブ濡れでさ」
優しい声の主はフードとフェイクファーに遮られて見えない。
でもきっと。人は冷たい顔してあんな声が出せるほど悲しい生き物じゃない。
濡れた体を外気から遮ってくれる温もりはポツリと呟いた。
「言えない」
「そっか」
聞き分けのよさに驚いたんだろう。見えないけど、彼女がこちらを向いた気配がする。
でも、僕はそれでよかった。
ゴマカシもハグラカシも、嘘も言わず正直に「言えない」。
もうそれでじゅうぶんだった。
我ながらチョロくて危ないかもしれない。ちょっと騙されやすすぎるかもしれない。
でもまぁ、イチコ曰くオトナオトナ言わなくなった、つまりは『子ども』。
まだそんなもんでいいんじゃないでしょうか。
「ねぇ、コート濡れちゃったよ」
「濡れてもいいよ」
「でもそれじゃ寒いでしょ。ウチ着いたらさ、コート乾くまで雨宿りしていきなよ」
「えー? いいのー?」
ホントはそんな必要ないかもしれない。
だってこのコート、妙に暖かい。
「じゃあ体冷えちゃったし、一緒にシャワー浴びよっか」
「やっぱり帰れ」
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