42.『おねえさん』と心のよりどころ

 僕もメロももう、黙って顔を見合わせるしかなかった。

 銀髪で全体的に色素が薄い彼女の顔が、いつも以上に青白いのが印象に焼き付いた。






 それ以来僕はというと、


「なぁ。帰りにコロッケ食べに行かへん?」

「行かない」

「どしたん。節約? ダイエット?」

「ま、そんなとこ」


 商店街を避けるようになった。


「ケンちゃん。あの、ん」

「なんだよ」

「や、その、な? 最近元気ないなぁ、って」

「んなことないよ」

「ホンマに? なんか悩みあったら抱えんといてや? アタシとかお父さんお母さんとか、先生とか。あ! あとおねえさ」


「いらないよ!!」


「……」

「……」

「ごめん」

「いや、今のはオレが悪かった」


 もちろんおねえさんにも会っていない。怖くて会えない。会えるわけがない。






 いつも二十二時以降。寝室の窓がコツコツ叩かれる。

 開けるとそこには紙コップが糸で垂れ下がっている。この時代に糸電話というヤツだ。


『クラーク・ケント。起きているか』

「誰だよ」

『メロだよ』

「そういう意味じゃなくて」


 どうやって屋根に登っているかは分からない。特殊部隊なら余裕なのだろうか。

 とにかくこうしてわざわざ僕の家に出向いては、親に怪しまれないよう小声で糸電話だ。


『正直こちらの情報としては、特に何も進展はない。独り言に目ぼしい点はナシ、博士との会話は相変わらず聞こえない』

「そっか」

『だが私をハブにしている時点で、あまり他人に聞かれたくない話であることに変わりはない』

「うん」

『一応、博士の家を訪ねる頻度自体は減ったことを付け加えておく』

「了解」


 特殊部隊にしちゃ絵面はちょっと情けないが、文句を言ってはいけない。メロはあれ以来、僕の代わりにスパイ活動を続けてくれているのだ。おかげで僕はおねえさん危険に近付かないまま状況を把握できている。

 もっとも、『何も把握できていない』という状況をだけど。

 それでも自分を狙ってる相手のことを、少しも監視していないよりは安心できる。


『まぁ、なんだ。何度も言うが、我々が聞いたのは所詮、断片だ』

「分かってるよ」

『うむ。勝手な接続をして、本来とはまったく違う文章を作り上げている可能性はある。むしろその可能性の方が高い。ちょうど新聞の見出しから一文字ずつ切り出して、犯行予告を作るようなものだな』

「分かってるって」


 そんなことは僕も分かっている。

 そして何より、あのおねえさんがそんなことするなんて。何度も助けてくれたおねえさんが、僕にヒドいことをするなんて。信じられない。

 僕はそれぐらい、あの人のことを信頼している。


 だからこそ会えないんだ。


 もし、もし万が一。

 僕の思いが裏切られたとしたら。


 この先、何を信じて生きていったらいい? オトナはロクでもないって、父さんは僕をかまってくれないって。そうやって捻じ曲がった僕の心を、明るい力技でまっすぐに戻してくれるおねえさん。

 彼女に裏切られて、僕はこの先の未来に何を希望としたらいい?


 自分の心と人生が足元から崩れる。それが怖くて。

 僕はずっと真実が出る瞬間を遠ざけ続けている。


『私が見ていない範囲で、ヤツか博士が接触を図ってきたことはあったか?』

「いや、ない」

『誘拐、とか言っていたが、そうか。ここまで何もないなら、大丈夫だとは思うが』

「うん。そうだね」

『まぁ安心しろ。気が済むまでは見守ってやる。オマエの気が済むまで。私の気が済むまで』


 どうやらメロは僕の登下校中近くに潜んで、PTAみたいに見守ってくれているらしい。それを見つけたことはないけど、ありがたいかぎりだ。


『じゃあまた今度。よく寝ろよ。背が伸びる』

「余計なお世話だよ」


 願わくば、せめてこの友情だけは。

 希望として残りますように。






 ここ最近は秋雨前線の終わりがけ。言い換えれば湿度と低気圧で体にかかったダメージがピーク。

 ちょくちょく体調を崩すクラスメイトがいるなか、イチコも学校を休んだ。花粉症で瀕死だった呼吸器官には、さぞ効いたことだろう。


「はぁ」


 午後。おもしろくもない理科の暗記から逃げるように、教室の窓へ目を向ける。今は一応秋晴れの青がキレイだけど、遠くには薄黒い塊が忍び寄っている。

 一応予告してくれるだけマシなんだろうけど、できれば家を出るまえにしてほしかった。こんな空模様の日に、僕は傘を持ってきていない。

 まぁ正直ここ数日の天気を考えれば、普通は晴れてても持ってくるだろうけど。学習能力がない側の怠慢だろう。

 まぁ朝から雨の気配があったとしても、僕は傘を持ってはこなかったと思うけど。






 今朝にさかのぼる。リビングに降りると母さんが、荷物をいろいろ旅行用カバンに放り込んでいた。

 このまえ帰ってきたところの母さん。察する。


「おはよう。じいちゃんとこにトンボ返り?」

「あら、おはようケント。そうね、そうなっちゃうわね」


 母さんは化粧品をねじ込みつつ、視線を向けずにテーブルを指差す。そこに朝ごはんあるから、ってことだろう。

 まだ歯を磨いてないから手は付けないけど、僕は一旦椅子に座った。


「なぁ母さん」

「なぁに?」

「ただでさえ頻繁なのに、今度は戻ってすぐなんて。じいちゃん、もうキツいの?」


 カバンと格闘する肩が、数秒ピタリと止まった。数秒なのに、本当より長い数秒。

 母さんはこっちに背を向けたまま平坦な調子で答える。


「またしばらく留守にするけど、よろしくね」






 そんなことがあった朝。

 そんな日に見る曇り空。


 まるで僕の心そのものだ。


 案の定五限目が終わる頃に雨が降って、それは下校時刻になっても続いた。






「まいったなぁ」


 数十分は待ったけど雨が上がる気配はない。傘がない僕には恨めしいことこのうえない。

 ニッシーかジンタがいてくれれば傘に入れてもらうこともできたろう。だけど僕は砂絵(図画工作)の居残りをさせられてたから、二人は先に帰ってしまった。

 休みが多くて進んでないのは僕の問題(巻き込まれだから責任とは言わせない)だとしよう。

 でも『授業参観の日にはクラスメイト全員分飾るから』っていうのは、教師側の都合じゃないのかね! それでよりにもよって、こんな日に居残らせやがって!


 僕の両親は来ないってのに。


 不幸中の幸いは歩けないほどの嵐じゃないってとこか。ずぶ濡れになることを受け入れれば、帰れないほどじゃない。


「これで風邪引いて、もっと居残りとかにならないでくれよ」


 観念して靴箱を出る。瞬間、頭やら肩やら膝に連打を浴びる。一刻も早く逃れたい気がしたけど、走るのはやめておいた。歩いても結局濡れる量に差がないって聞いたし、何より滑って転ぶ方が問題だ。


 でもこうして雨の中歩いていると、一層重苦しいっていうか、トボトボ感が増すよな。

 ズブ濡れで野良犬みたいな情けなさ(見たことないけど)。体温より体感で寒くなる。


 やっぱり引き返そうかグダグダ考えつつ、足は校門を跨ぎ、一般道路へ出て左折。

 するとそこには、


「!」



 傘を持った、おねえさん。

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