8.『おねえさん』とナンパ

「なんですか」

「一人〜? 彼氏とかいるの〜? ちょっとお話しない〜?」

「やめてください!」


 嫌がる女性に対して、ナンパ二人組は逃げ道を塞ぐよう左右に立つ。


「うわぁ、あんな絵に描いたみたいな小悪党」

「『おねえさん』って聞こえた瞬間、すごい勢いで振り返ったねぇ」

「それはいいだろ!」


 それより、あんな海の平和を乱すヤツ放置してていいのか? 女性はすごく迷惑してるし、他の客だって見ていて不愉快だろう。


『正しい正義感を持て』

『市民を守る男になれ』


 父さんの声が、頭の中の、深いどこかから響いてくる。僕は、僕は。


「人のカノジョに、なんか用スか」

「あっ、いや」

「ちぇっ」


 女性の隣に職業消防士レベルで屈強な男が現れて、チンピラ二人は散っていった。


「あー怖。なんもなくてよかったねぇ」

「そうだね」

「アイスいらんわ。肝が冷えたし」


 ジョークが言えるくらいには図太いイチコ。緊張と握り締めた拳が、少しほぐれる気がした。手汗がなのは気温のせいばかりじゃない。たぶん。






「あれぇ? なんも買ってこなかったの? お小遣い忘れてきた?」


 さっそくビールを飲んでいるおねえさん。手ぶらで戻った僕らを意外そうに丸い目で、サングラスを下げながら見ている。


「まぁ、うん、いいかなって」

「いろいろあってん」

「まー! 小学生でエロエロあって!?」

「『おねえさん』ならそういうの自重しろよ。少年少女の憧れなんだろ」


 相変わらず神経を疑う女だ。酔ってるせいとか熱中症とか判別できないのが厄介すぎる。いや、分かったところで、メーワクの塊には違いないが。

 直射日光を浴びながら不毛な会話してると脳が沸騰する。いったんパラソルの影に入ったところで、



「ねぇそこのおねえさ〜ん」



 デジャヴ! 字面だけじゃなくて、声やイントネーションまでピッタリ数分前に聞いたようなセリフが!

 振り返るとさっきのナンパ野郎コンビが! あいつらスーパーの呼び込みロボットみたいに、録音した声かけ使い回してんじゃないのか? 

 相変わらず『駆け出しの俳優が映画初出演でもらった端役』みたいな感じしやがって!


「はいはーい」


 迷惑行為の現場を見ていないせいか、気楽にビーチチェアから起き上がるおねえさん。


「おねえさんキレイだね〜。ちょっと俺らとお話しませんか〜?」

「そ、そんな〜! 私『国際競争における日本経済』の話なんて分からないです〜!」

「う、うん?」


 なんでそのチョイスなんだよ! なんでそのチョイスでカマトトぶれるんだよ! ナンパの方が引いちゃってるじゃないか! とにかくクネクネするのをやめろ!

 いや、そんなことより!

 返事しちゃダメだ! コイツらはよからぬことを考えて女性に話しかけてる、まともに相手しちゃいけない人種なんだ!

 ん? さっきのフザけた発言的に、まともに相手してはいないのか? そういう追い払い方だったりする?


「ちょっと! そういうのやめてもらえますか!」


 意図不明、話の先行き不明なおねえさんの代わりに、イチコが一歩前に出る。逆にオマエはどうしてそう、たくましく振る舞えるんだよ。

 しかし、心意気は大人びていても、所詮僕らは小さい子どもだ。


「おチビちゃんは黙ってな」

「きゃっ!」

「イチコ!」


 大人の腕力で押しのけられると、あっけなく尻餅突いてしまった。

 くそっ! さっきは『絵に描いたような』とか思ってたけど、こいつら本当に最悪だ! 心根まで腐ったチンピラだ!

 慌ててイチコを助け起こしていると、


 バシュッ!


 という強烈な音。急に僕の顔に日光が叩き付けられた。


「うっ! なんだ!?」


 思わずそっちへ目を向けると、逆光でシルエットしか分からないが



 ビーチチェアの上に仁王立ちするおねえさん。右肩に何か槍みたいなものを担いでいる。



「ねぇ」



「あぁ、パラソルを閉じたんだ」と理解すると同時に低い声。さながら、見た目には普通だけど触れば灼熱の砂浜のような、強いエネルギーを隠した声。でも言葉以外では一つも隠す素振そぶりがない、仁王像みたいなオーラ。


「君ら、海の家でなんか食べた?」

「えっ?」


 雰囲気にそぐわない、いきなりの意味不明な質問にナンパたちも混乱している。でもおねえさんの足元でビーチチェアがギシッと鳴くと、最初とは打って変わった小さい声。


「ら、ラーメン食べました」

「ヤキソバ」

「そっか」


 おねえさんは砂浜へ逆さにパラソルを突き刺した。ドスッと威圧感ある鈍い音がする。彼女はそのまま、ヤンキー漫画みたいに拳をパキパキ鳴らしながら、一歩、チェアから砂浜へ降臨する。



、してやる」



「「し、失礼しましたーーーっっっ!!」」


 ナンパ野郎二人組は砂を巻き上げて駐車場の方へ走っていった。ビーチサンダルであんな速く走れるもんなんだな。

 おねえさんは腰に手を当て、鼻から大きく息を吐く。なんかロボットアニメとかで見る、ダクトからブシューッて蒸気が出るシーンみたいだ。


「ったく、メーワク行為の北海道物産展がよ。二人なら大人しくビーチバレーでもしてな!」

「例えがよく分からないし、アンタが人の迷惑を説くのか」


 しかも北海道に失礼である。


「ビーチバレーやったら、もう二人おらな試合できへんで」

「ツッコミどころはそこなのか」


 拝啓父上さま。オトナは分からないって散々言ったけど、女性よりは分かるかもです。


「イチコちゃん大丈夫? ケガなぁい?」


 一転、こちらを振り返ったおねえさんはニッコニコの笑顔だった。顔の付け替えパーツがあるフィギュアかってくらい、切り替えが速い。


「大丈夫。下、砂やし」

「そっかそっか。たまにガラスの破片とか埋まってたりするしね。よかったよかった」


 言われてみればそういう危険もあるよな。僕とイチコが思わず目線を下げると、


 グッチャグチャのビール缶。


 再度チェアに座ろうとするおねえさんの足元に転がっている。

 あぁ、バシュッて音の正体はコイツか。おねえさんこそ、手のひらとかケガしてなきゃいいけど。






「ケンちゃんは浮き輪使わへんのやねぇ」

「逆にイチコって泳げなかったっけ?」

「浮き輪の方が楽やん」


 あれから気分転換、ってほどじゃないけど、僕らは海に入っている。おねえさんは相変わらず荷物番。まぁビール飲んでるんだから海に入られても困る。

 溺れても死ななさそう、というか溺れなさそうだけど。

 遠くからでも目が合うと、彼女は機嫌良さそうに缶ビールを掲げて応える。

 と、


「イチコ、どうかした?」

「ん? 何が?」

「いや」


 一瞬足に何か触ったような気がしたんだけど、気のせいか。最近おねえさんを見てるとムスッとしがちなイチコに、軽く蹴られたのかと思った。

 と、


「やっぱりイチコ?」

「何がやの。そこ言わな分からへんで」

「いや、さっきから足に」


 言ってるからまたツンツンと。


「触って」


 さすが沖縄、透き通るような海中へ目をやると、



「え?」



 そこには平気で僕の体より太くて、沖まで延々と伸びる、

 タコの足が。



「どしたん?」


 イチコに返事する間もなく、


 触手は僕の右足にグルリと絡みついて、


「うわっ!?」



 一気に海中へ引きずり込まれる。



「ケンちゃ」



 イチコの短い悲鳴すら、最後まで聞こえる間もなかった。

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