7.『おねえさん』とブルーブルーホワイト
「上を見て! 青いよ!」
「空だからね」
「前を見て! 青いよ!」
「海だからね」
「足元見て! 白いよ!」
「きれいな砂浜やねぇ」
「あっちゃっちゃっちゃっ!!」
「なんで手づかみにするんだよ」
でもまぁ気持ちは分かる。それくらい沖縄の海はキレイだ。
三日前。
「できへん」
「もっとこう、舌で伸ばして薄めの膜にしないと」
タバコ屋の窓口。カウンターを挟んで。
僕とイチコは身を乗り出すおねえさんに、フーセンガムの膨らませ方をレクチャーされていた。頼んでない。
バイト中だというのに、客に見える位置でガムを膨らませていることを指摘した。そしたら何故かこうなった。
「そういえばケンちゃん、沖縄はどうなったん?」
「あぁ、沖縄」
フーセンを諦め普通に噛み始めたイチコが、話題をガムから変えにかかる。
「叔父さんは残念がってたけど、『今はトラウマだろうし、また落ち着いたらおいで』って」
「や、そうやなくて。沖縄行けんかったし飛行機代返してもらえるんかな思て」
「そこかよ」
「所帯じみてるなぁ」
おねえさんのフーセンがしぼむ。
『名古屋名物 鉄板ナポレオン』とかプリントされたTシャツに黒スパッツ、黄エプロン。ガムと輪をかけて、接客に相応しいんだかどうだかなファッション。髪も長くないのをうなじのうえでチョロッと縛って、完全なオフ感。
でも変Tとチェスの耳飾りは、いついかなる時も標準装備らしい。
「で、どうなん?」
「お金のことは知らないよ」
「せやなくて、『ホンマに沖縄トラウマなんか』って」
「そっちかよ」
会話が反復横跳びするイチコはおいといて、飛行機をイメージし、そこに乗り込む自分をシュミレートしてみる。うーん。
今度はハイジャックの日のことを精いっぱい細かく思い出してみる。うーん。
「たしかに、嫌な出来事だったし、飛行機にいい印象あるわけじゃないけど」
思わずチラッとおねえさんの方を見てしまう。ほんの一瞬だったのに彼女は目ざとくこっちを見ていた。バッチリ目が合って、ニヤリと心底腹が立つ笑顔をされる。
「う〜ん? 『おねえさんと一緒なら』案外平気って感じかな〜?」
「うっ!」
悔しいけど図星だ! 意地でも口には出さなかったけど、表情には出ていたらしい。
「ふーん、えらいホレ込んでますねぇ」
なんかイチコに咎められた。おねえさんが仲裁するように、少し大きい声を出す。
「私も沖縄行きそびれたし、どうせなら行きたいねぇ! 引率ならやるしさぁ!」
「別に、引率なんかいらないと思うけどな」
ボソッと呟くと、彼女は上半身のほとんど全部を乗り出して、僕の両肩をバンバン叩く。落ちるぞ。
「ところで君はさぁ、何しに沖縄行く予定だったの? ソーキソバ? グルクン? ヤギ汁?」
「食い物ばっかだなラインナップ! 叔父さんに誘われて、ペルセウス座流星群見に行くつもりだったんだよ。自由研究もそれで済まそうと思ってたのに」
「あ、自由研究やってへん」
「ペ、ル、セ、ウ、ス、座、流星群、って、まだ降ってないよねぇ?」
容器からスライムが出てくるのを逆再生したみたいな動きで、おねえさんが自分の領域へ戻っていく。動きと売り場の台が腹部を圧迫するのか記憶を探りつつしゃべっているのか、変な発声だ。
「まだみたいやねぇ」
イチコが素早くスマホで検索する。ちなみに僕は「中学生から」ってことで、まだ子どもケータイしか持たせてもらってない。
「じゃあじゃあじゃあさ!」
せっかく引っ込んだおねえさんがバネじかけみたいに戻ってくる。
そのまま窓口を飛び出し、顔面から道路に落ちた。あーあ。
しかし、やっぱり生き物としてオカシイのか、彼女はイタイと呻きすらしない。顔面接地うつ伏せで腰を突き上げた状態から、こっちへ首を回す。
「見に行こうよ、ペルセウス座流星群」
「まずその体勢から起き上がったらね」
ようやくモゾモゾ動き出したおねえさん。どうしてテロリストの制圧はパッパとできて、そこはノロマなんだよ。
「あ、一つええ?」
おねえさんへ珍妙な生き物でも見る目を向けていたイチコが、右手を顔の高さに上げる。
「何かな、イチコ隊員」
「ついてきていいかはオレらより、自分の親に聞いた方がいいぞ」
「『おねえさん』『おねえさん』って、お名前なんなん?」
「ずいぶん関係ない話ぶっ込んできたな」
「気になる? おねえさんはねぇ〜、『おねえさん』」
「秘密なんや」
「秘密でいいから起き上がりなよ」
酔っ払ってなくても自己紹介それなんだな。
「いいぞ」
「いいの!?」
その晩、一応父さん(相変わらず新聞襖)に話してみたら、あっさり許可が降りた。
「父さんは行けないが、おねえさんがいるなら保護者はじゅうぶんだろう。飛行機代もこのまえのが返ってきてるし」
「あ、戻ってるんだ」
前回は「一人で行けるだろ」だったのに、事件のせいか保護者は必要派になっている。
まぁそれは置いといて、ハイジャック犯を制圧しただけあっておねえさんに対する信頼が厚い。
そして今日に至る。
「というわけで、今日は水着回だよ〜ん」
「なんだよ、回って」
言ってる意味は分からないけど、事実目の前のおねえさんは水着。僕も水着。「私も自由研究、流星群で終わらす」とついてきたイチコも水着だ。
社会の教科書で見たマッカーサーみたいなサングラスのおねえさんが、謎にドヤ顔で胸を張る。クロスホルターっていうらしいビキニの上に、『シモヘイヘーイ!』とかプリントされたTシャツ。
「ま、おねえさんが荷物番してるから、君らは泳ぐなりスイカ割りするなり海の家でかき氷食べるなりしてきなさい」
パラソルを立て、ビーチチェアをセッティングするおねえさん。
そもそも僕ら流星群を見にきたのに、何を海で遊ぼうとしてるんだろうな。そりゃ流星群は夜のイベントだけど。
「ほなケンちゃん、まず何する?」
「えっ、あっ、あー」
「何ボサッとしてんの。熱中症? それとも」
イチコが僕の目線を追う。そこにはセッティングを終えて、日焼け止めを塗るおねえさん。
「……水着に夢中?」
「なっ、そりゃ違っ!」
「なぁ、海の家行こうや」
「なんで真顔なんだよ、怖いよ」
なんかイチコ機嫌悪いな。ヘソ曲げたってさすがに、花柄ワンピの小学生にあのビキニは無理だろ。
普通は先にたっぷり泳いでから行くものだと思うが、イチコは海の家に一直線。
「順番おかしくないか?」
「とか言うて、海上がってラムネとか欲しいアイスとか全部売り切れてたらどないすんの」
「計算高いなぁ」
「オトナやの。子どもっぽいのはお嫌いやろ?」
そういえばおねえさんがクーラーボックス持ってたな。そこに入れておけばキープできるな。
「ほら、ケンちゃんは何買う?」
「オレはクーリッシュのチョコがあったら」
海の家に入ってすぐの位置にある、アイスが入っている冷凍庫。その前に到着したところで、
「ねぇそこのおねえさ〜ん」
背後から、チャラさ100パーセントの声がする。もう本人とかじゃなくて、言葉尻の「ん」の線のカーブに金のネックレスが引っかかってる感じ。
『おねえさん』という単語に釣られて思わず振り返ったが、そこにいたのは全然無関係の女性だった。
ただ、イメージどおりのチンピラ二匹に絡まれている。
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