2.『おねえさん』と騙し討ち

「全員スマホ出せ! 今からメンバーが周る! 袋に入れろ!」


 リーダー格の大声が肌に刺さるような圧をぶつけてくる。


 発砲直後なんかは正直、頭が追いつかなった。

 でも時間とともに、ジワジワ恐怖と現実感が染み込んでくる。恐怖で背骨が締め付けられる感じがする。


 そしたらどうだろう。『怖いからせめて怒鳴るのはやめてくれ』なんていう、一周回ってっぽけな思いが頭の中いっぱいになった。


 どうしよう、叫びそうだ、助けて、母さん、怖い、父さん……


「どうせ機内モードだと電話とかSNS繋がらないじゃんねぇ。あ、機内モード解除して通報するかもってこと? どのみち電波届いてるのかな?」

「ちょっ!」

「そこ! ゴチャゴチャしゃべんな!」

「はいすいませーん」


 混乱した頭が酔っぱらいの独り言で引き戻される。そもそもコイツ、ハイジャックで酔いが醒めてないとかおかしい。

 そのせいか、さっきテロリストにドヤされたのに、『おねえさん』と名乗った女は反省の様子がない。


「ねぇ男の子。大丈夫? 怖くなぁい?」

「静かにしろよ!」

「大丈夫大丈夫。おねえさんが守ってあげるからね」


 なんか急に、一応は小声でマジメなトーンになった。でもこの状況でそんな雰囲気出したって。


「守るって、相手は拳銃持ったのが四人も」

「最低五人。ドラマでもよく見るでしょ? パイロットに拳銃突きつけて『管制塔に連絡しろーっ!』って。アレをやる係がコクピット行ってるはずだから、五、や、たぶん六人」

「そ、そう」


 どうやら僕は、考えたら当然のことも分からないくらい恐怖でガチガチみたいだ。

 でも意外に(重要)冷静な『おねえさん』と会話しているおかげか、ちょっとだけ気がまぎれる。

 のに、


「いいか! オマエらは人質だ! 政府が我々の要求を飲まない場合は!」


 元凶が現実に引き戻してくる。嫌でも視線がそっちに向いてしまったところで、ハイジャック犯たちが一斉にシャツの前を開けた。



「機体は爆破され全員爆死、あるいは太平洋に投げ出される! せいぜい祈ることだ!」



 ヤツら体に、それこそドラマでしか見たことないような爆弾をくくり付けている。どうやって空港のゲート通ったんだよ!

 とにかく状況が、続々悪い方向へ上塗りされていくのだけは分かった。


「おい、次はオマエら二人だ。スマホ出せ」


 そこにちょうど回収係も重なって、余計に緊張がのしかかってくる。スマホを取り出そうとする手のひらが汗まみれで、他人事みたいに引いてしまう。


 ただ、今回の緊張は今までと少し違った。

 何せ、



 おねえさんが不適な微笑みで、一瞬僕にウインクしたからだ。キラリと耳のキングが光を反射する。



 コイツ、今度は何するつもりなんだよ!?

 勘弁してほしいとか自重しろとかジェスチャーするもなく、


「すいませぇん。トイレ行きたいんですけど、いいですか?」

「はぁ!?」


 マヌケなことを要求する酔っぱらい。ホント何考えてんだよ。

 オトナは分からない、とは言ったよ? けどコイツは、その範疇を一つか二つ超えて理解不能だ。


「いいワケないだろ。我慢しろ」

「そんなこと言われましてもねぇ。ほら」


 大量の空き缶の中から一つを持ち上げ、左右へ小さく揺らすおねえさん。アルコールはトイレが近くなるって、じいちゃんか誰かが言ってた気がする。

 じいちゃんのは年だろ。


「狭い機内、長い付き合いになるんだから、お互いそういうのは避けた方が」

「あー分かった分かった! うるさいな! ただし、女のメンバーに見張らせるからな!」

「アリガトございまーす」

「ほら、さっさと行け! あとスマホ!」


 軽く頭を下げ、席を立ちながら袋へ手を伸ばすおねえさん。


 スマホを握るが一瞬ブレたかと思うと



 その鈍い音の意味を理解する頃には、回収係はバク宙していた。



 そのまま天井にぶち当たると、重力に従って床に叩き付けられる。



「きゃあああああ!!」


 落下位置真横の席の女性が悲鳴を上げる。


 コイツ、やりやがった! あそこから一気に拳を振り上げて、回収係のアゴに裏拳かましたんだ!

 残像代わりに、肩落としで羽織ったデニムジャケットが揺れる。


 僕が状況を理解したってことは、他の人も理解したってことだ。

 この状況を一番スルーできないのはもちろん、


「おいキサマ! 何やってんだ! 撃ち殺すぞ!」


 ハイジャック犯たち。

「撃ち殺すぞ」っていうか、撃ち殺すんだろうな。一斉に拳銃をおねえさんへ向けた瞬間、



 彼女は消えた。



 蒸発? 消滅? いや違う。途中の抜け落ちたコマ送りでも見ているみたいに、次の瞬間には別の場所にいた。



 ハイジャック犯の女の顔面の上、テーパードパンツの右膝をめり込ませて。



 女が崩れ落ちる一方、おねえさんは反動を利用して宙返り。さっきの男とは比べ物にならない美しさだ。綺麗すぎてスローモーションに見える。

 あと、ると大きい胸が強調……

 この状況下で何考えてるんだ僕は!


 邪念を振り払っているあいだにも、彼女はサッカーのオーバーヘッドみたいな体勢に。流れでもう一人蹴り飛ばす。紅白のスニーカーは残像がよく目立つ。

 カンフー映画みたいに吹っ飛んだ男は一瞬で視界から消える。着地することなく二人をぶち飛ばした『おねえさん』に、さすがのハイジャック犯たちも驚きを隠せない。


「なんだオマエ! 何者だオマエ!?」

「あ、ごめん。顔面イっちゃった。女の子は顔に命かけてるのにねぇ」

「ナニモンだって聞いてんだよ!」

「んー?」


 おそらく床に転がった女の顔を見ていたであろう『おねえさん』。ようやく残りのメンツの方を振り返る。


「『おねえさん』はねぇ」

「は?」

「『おねえさん』は少年少女の夢なんだ。憧れなんだ。だから」


 そのまま彼女は腰に手を当て、胸を張りドヤ顔。



「ブルース・リーくらい強くて、時任三郎ときとうさぶろうくらい勇気があって」



 大きく息を吸う。『ゲバラ焼肉のたれ』とかプリントされたノースリーブTシャツの下で、大きな胸が力強く膨らむ。

 そのまま彼女は高らかに宣言した。



「オードリー・ヘプバーンくらい美しい」



 強くて助かるけど、やっぱり意味が分からない。


「くっ、くそっ!」


 謎の口上で呆気に取られていたハイジャック犯たち。一拍遅れて銃口を向ける。

 でもノリについていけてない時点で、勝負あったんだろうな。


「そういうのはの景品までしとこうね、男の子たち」


 いや、別に「ついていけてたら、なんとかなったか?」って言われたら、「まぁ、うん」って感じだけど。

 一瞬で詰まる間合い。ミシ、と二丁の銃身が握り潰され、粉になる。スタバのカップが似合いそうな手で。

 あと「男の子」って。ハイジャック犯の方が年下ってことはなさそうに見えるけど。


 誰が見ても決着。正直、さっきまでの恐怖とは別の意味でボーゼン。まともに物事を考えられなくない。

 だって、酔っぱらい女子大生(推定)がハイジャック犯制圧なんて、誰がそんなこと予想できる? ていうか、あんな女子大生(推定)ありえる? よく男子がするような、『学校がテロリストに占拠されて〜』の妄想じゃないんだぞ。


 きっと連中も、僕と同じ状態になってたんだろう。



「テ、テメェっ! 死にさらせっ!!」



 冷静さと現実感を失ったリーダー格の男。

 高度数千メートルの飛行機内。後先考えず、体に巻きつけていた爆弾をおねえさんに投げつけた。

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