第6節 クレメンザ②

 暗がりに佇むクレメンザは、静かに手招きをした。闇夜で目が合った黒猫のようだった。


「こっちだ!」ジェイは叫び、薄く開かれたステンレススチールの扉に駆け寄った。


 なにか言いたげなクレメンザをジェイは視線で制し、左目と左耳――ヘッドセットを交互に指し示し、端的に状況を伝えた。次の瞬間、薄暗い部屋にアレクセイ、アイ、エルが飛び込み、叩きつけるようにして扉を閉めた。ほとんど同時に扉の外で手榴弾が炸裂し、轟音と振動が部屋に伝わった。


 アレクセイはサブマシンガンの銃口をクレメンザの顔に突きつけた。「政府関係者か?」


「違います」クレメンザは表情一つ変えずに言った。「私は新聞記者です」


「二層の人間か?」


 クレメンザは首を横に振った。


「一層の新聞記者がどうしてこんなところにいる?」アレクセイは目を細める。「目的はなんだ?」


「あなたたちを逃がすために私はやってきました」


 アレクセイの瞳にほんの一瞬だけ迷いの光が浮かび、すぐにそれが消えた。


「いいだろう」アレクセイは銃口を下ろして言った。「誘導してくれ」


 クレメンザは頷き、踵を返して歩きだした。すぐ後にアレクセイが続くのを見届けてから、うろたえるアイとエルの腰をジェイは力強く叩き、それに続いた。


「急がなくていいのか?」アレクセイは尋ねた。


「大丈夫です。この部屋を出てすぐのところに、足がつかないホバーカーを待機させています。それに乗りこめば、首尾よく離脱できるはずです」


 足元を弱い照度のライトが点々と照らしているだけで、一つも窓がない、細長い部屋を進んだ。ほどなくして薄暗い部屋の行き止まりに突き当たった。


 備え付けのスチール・ロッカーを開き、クレメンザは言った。「ここでこれに着替えてください。バラクラバ――目出し帽も外してください」


 バラクラバを脱ぎ捨て、防弾チョッキの上から、手渡された衣類――なんの変哲もない白いシャツと濃紺のスーツに四人は着替えた。そのどれもが四人それぞれの身体にあつらえたように、不思議とちょうどいいサイズだった。


 ジェイ、エル、アレクセイはコンバットブーツから、ストレートチップの黒い革靴に履き替えて、濃紺のソリッド・タイを結んだ。アイは黒いパンプスを履いた。


 四人が着替え終わると、クレメンザはスチール・ロッカーから大きな旅行鞄を取り出して、その中に四人が脱ぎ捨てた衣類を放りこんでファスナーを閉めた。


 旅行鞄を肩にかけたクレメンザが突き当りの壁に瞳を近づけると、音もなく壁――金属製の扉が開いた。その外は地下駐車場になっていた。


「このあたりの監視カメラは現在、死んでいます」事実のみを写実的に描写したような声で、クレメンザは小声で言った。「ネットワークをハックして、システム上はダミーの映像が走っています」


 駐車場にはまばらにホバーカー――エーの一層で見かけるものと代り映えしない――が停まっていた。その何台かは、中にスーツ姿の男が乗っていた。ジェイたちに注意を払うものは一人もいなかった。バン・タイプのホバーカーに近づくと、そのドアが開いた。


 スモークが貼られた後部座席に四人が乗りこむと、運転席からクレメンザは言った。「少しだけこのまま待機します」


 しばらくすると、あたりにスーツ姿の男女が増えた。彼ら彼女らはホバーカーに乗りこみ、次々と発進していった。あたりの動きが落ち着いてきたころを見計らうように、クレメンザはホバーカーを発進させた。


「ここはコンベンション・センターです。今日は政府関係者による国防会議が行われていました。それがつい先ほどおわりました」クレメンザは慎重にステアリングを切りながら言った。「最近、会議が活発なのです」


「エーはほんとうに戦争に備えているのか?」アレクセイが訊いた。


 クレメンザは頷いた。


「どこと戦争をするっていうんだ? 地下国家間の関わり合いは完全に途絶されているんじゃないのか」


 クレメンザはそれに答えなかったが、吐息を漏らすように言った。「完全なんてものはありませんよ」


 ホバーカーは地下駐車場のゲートをくぐり、らせん状の通路を進んだ。次第に白い光が射してきて、外の景色が眼前に広がった。


「なに、これ」思わずアイはつぶやいた。


 広々とした道路をおおくのホバーカーが行き交い、その両脇に緑豊かな樹木が茂っている。負けじと巨大なビルディングも林立していて、それらは比較的あたらしく、また、よく手入れされているようで清潔だった。


 雪に閉ざされ、すべてが色あせ、枯れ果てたエフとも、荒んで朽ち果て、崩壊の一歩手前にあるようなエーの一層とも、まるで違う街並みだった。


 なによりも決定的に異なることがあった。エーの二層には目が覚めるほどの青空が広がり、太陽が輝いていた。


 常に鈍色の厚い雲に覆われたエフか、目にうるさいほど白々しいか、あるいは薄暗い照明の光しか存在しないエーの一層しか知らない四人にとって、にわかには信じがたい光景だった。


「疑似的に再現している空と太陽です」見透かしたようにクレメンザは言いながら。オートパイロットに切り替えた。「さて、いまのうちに、これからの話をしましょう」

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