第8節 鉄塔
ジェイとアイは変電所に寄ったあと、エフの市街地のほとんど中心部に位置する食堂に入った。
「とうとう見れたわね、かまいたちの姿が」アイはパンをちぎりながら言った。
「ああ」ジェイは頷く。「やっぱり、かまいたちは実態がある人間なんだ」
「表情一つ変えずに、人をあんなに滅多刺しにできるなんて、恐ろしいわね」
「そうだな」煮こみからトマトを取り上げ、ジェイは言った。「それはそうと、殺された青年が自ら、かまいたちに近づいてたのが気になる」
「知り合いだったとか?」アイはソバの実をスプーンですくって言った。
「だったら、なにかしら足取りが掴めていてもいいような気もするんだよな」
「有名人だったとか?」
「だったら
モニターの荒い映像で見た、かまいたちの顔をジェイは思い出す。黒い髪、白い肌、感情が読み取れない目、細い顎。ジェイは思う。少しずつ手がかりは集まっている。歩みは遅くても、一歩一歩、かまいたちに近づいていると。
ジェイは牛肉と野菜の煮込みと、ライスを、アイは豚肉の煮込みと、ソバの実と、パンを食べた。赤ワインも三杯飲んで、食後に熱いコーヒーを飲んだ。赤ワインは酸化が進んでいて、ろくでもない味がした。
※ ※ ※
二人は食堂を出ると、市街地からやや西に逸れた郊外に並ぶ、鉄塔にオートパイロットでむかった。
「鉄塔でかまいたちがあったのは四年前の、ちょうど今くらいの時間の昼さがりね」アイはスマートデバイスを操作しながら言った。
「具体的な時間はわかってないのか?」ジェイは訊いた。
「わかってないみたいなの」アイは窓の外の景色を眺めながら言った。「なにしろ、無人の場所だからね。近隣住人のあやふやな証言しか得られなかったみたい」
「どんな証言があったんだ?」
「夕方ごろ、言い争うような声が聞こえたとか、なにかが落下したような衝撃音が鳴ったとか」
ジェイはシートに深くもたれかかり、腕を組み、窓の外を見て考えこんだ。
窓に映る風景は、崩れかけたコンクリート造の建物が並ぶエフの市街地から、低い丘が連なる郊外に移り変わった。雲の切れ目から、弱々しい陽光が射していた。
「アイ、かまいたちの事件を調べてくれてるけど、参照しているのはどこの記事が多いんだ? これまで回った、スーパーマーケット、林檎園、変電所、あとこれから行く鉄塔についての情報源」
「ちょっと待ってね」アイはスマートデバイスを素早く操作した。「これまで私が参照している記事は、すべてエム・タイムズが書いたものね」
「大手の新聞社だな」
「もっとも、新聞社らしい活動をしている新聞社なんて、ほとんどないけれど」アイはいじわるそうに笑った。
「それこそ、エム・タイムズくらいか」ジェイは右斜め上を見あげた。「変電所に話を訊きにきたという新聞社の記者も、エム・タイムズだったのかもな」
「ひょっとしたらそうかもね」
アイがそう言ったとき、鉄塔のすぐそばの空き地に車が停車した。空き地の芝生はほとんど枯れ果てていて、その上には薄く雪が積もっていた。ここ数日、めずらしく降雪が穏やかだった。
ジェイとアイは車を降りて、鉄塔の下からてっぺんを見上げた。
「言うまでもないけれど、なんの変哲もない鉄塔ね」アイは無感動に言った。
送電鉄塔は冴えない
「誰がどんな風に殺されたんだ? かまいたちに」
「年のいった男性が、胸を一刺し」アイは言った。「あと、全身を強く打ちつけていたみたい」
「鉄塔から落とされたのか?」
「おそらく」アイは言った。「たしかなことは、わからないみたいだけれど」
ジェイとアイはしばらく鉄塔を眺めた。しかし、かまいたちの手がかりらしきものは、なに一つとして見当たらなかった。
※ ※ ※
鉄塔のまわりには、うらびれたバラックが数棟ならんでいた。
そのほとんどは一目で空き家とわかったが、ジェイとアイは一部屋ずつドアをノックしていった。六部屋目で、はじめて反応があった。
「なんだい?」建て付けが悪い木製の引き戸が開くと、みすぼらしい中年が出てきた。
ジェイとアイは中年を眺めた。縮れた髪の毛と、顔を覆う無償髭には白いものが混ざっている。グレーのよれたスウェットシャツを着ていて、足元ではサンダルが宙でだらしなく揺れていた。
「突然すみません。数年前にそこの鉄塔で起こった、かまいたちについてお聞きしたいのですが」
「あんたらも新聞記者かい?」
「いえ、我々は違います」ジェイは首を横に振った。「最近、新聞記者がきたんですか?」
「ああ、つい数週間前にな」
「ひょっとして、エム・タイムズの記者でしたか?」アイは訊いた。
「そうだよ」中年はごま塩のようなあごひげを撫でて頷いた。「事件が起こったときにも取材にきた記者だ」
ジェイとアイは事情を説明し、鉄塔でかまいたちがあったときのことを訊いた。三人は鉄塔のふもとまで歩いた。
「かまいたちがあったときから住んでるのは、俺のほかはもう人世帯しかいないよ」中年はまっすぐに前をむいて、歩きながら言った。
「かまいたちがあったから、みんな出て行っちゃったんですか?」アイは首を傾げた。
「違うよ、立ち退きだよ。あのバラックを取り壊すんだとよ。でも、いったいどこに行けばいいっていうんだ?」中年は肩をすくめた。「行くあてがある奴は出て行ったし、そうじゃない奴は残った。それに年寄りも多かったから、何人も死んだ。そして今では、俺と、かまいたちで殺された男の家族しか残ってないよ」
「家族が殺されたのに、この場所に残ったんだ」独り言のようにアイはつぶやいた。
「思い出もあるし、離れたくないんだとよ」中年は冷淡に言った。
鉄塔にたどり着くと、中年は根元の一角を指で指した。「そこに転がってたんだよ、死体が」
「殺されたのはどんな方だったんですか?」
「ぱっとしない年寄りだよ。俺みたいな」中年は自嘲気味に笑った。「警察の連中は、バラックの住人だと言っていたが、俺は知らない奴だったな。でも、たしかにバラックの住人みたいな雰囲気だった。だいたいわかるんだ」
「死体はどんな風に転がってたんですか?」
「こんな風に、あおむけで転がってたよ」中年は地面に寝そべってみせた。「なにか信じられないものでも見たように、目を見開いてな」
「かまいたちの前に、なにか変わったことはありませんでしたか?」
「死体が発見された前日に、高いところから重たい物が落ちたような音を聞いたって奴がいたな。俺にはわからなかったけど。たぶん、死体が鉄塔から落ちた音じゃないかって話になったぜ」
「あと前日の夕方に、このあたりじゃ見慣れない奴が、鉄塔のふもとに立っているのを、俺は見たぜ」
「どんな人でしたか?」ジェイは一歩前に出ながら訊いた。
「派手な身なりの女だったぜ。けばけばしい感じの」
「女?」
「ああ」中年は頷く。「ターコイズブルーっていうのか? 鮮やかな色のドレスを着て、髪は艶やかな黒髪で、アップスタイルにしててよ。ありゃたぶん、
「盛り場?」アイは訊いた。「盛り場って、キャバレーや、サウナや、マッサージがある、あの盛り場の女が、こんなところに?」
「ほかになにがあるっていうんだよ?」中年はいやらしい笑みを浮かべた。「姉ちゃん、詳しいな」
「背広姿の男性は見ませんでしたか?」ジェイは訊いた。
「そんな奴は見なかったな。もし見かけてれば、記憶に残っているはずだが。このあたりにそんな身なりの奴は、まずこないからな」
かまいたちの尻尾を掴みかけたと思ったジェイだったが、振り出しに戻ったように感じ、少し気が遠のいた。その日は珍しく赤い夕焼けが広がっていて、黒い鉄塔が夕日で染め上げられたいた。
「あの日もこんな感じの夕焼けだったな」中年は遠くを見つめて言った。
※ ※ ※
中年と別れたあと、二人はかまいたちに殺された家族の家を訪ねた。しかし、その家は静まり返り、戸を叩いても反応はなかった。どんな気配もなく、まるで廃墟のようだった。
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