第3章 日が暮れると、このあたりは

第1節 盛り場①

 日が暮れたころ、二人は鉄塔をあとにして、ジェイの冷たい家に寄った。数日間、不自由しないだけの衣類をジェイはまとめた。


 荷物を抱えて、二人はアイの煉瓦れんが造りの家に帰った。


 ジェイは運んだ衣類を整理して、その間にアイはキッチンに立ち、手際よく夕食の用意をした。


 アイが包丁を振るう小気味よい音が響き、フライパンで炒める音が賑やかに鳴り、鍋が煮立つ音がドラムロールのように、こだました。食欲をそそる匂いがジェイの鼻腔びこうをくすぐった。


「かまいたちは単独犯じゃないのかな?」アイはクリームシチューをすくいながら言った。


「まだなんとも言えないな。鉄塔での目撃情報は、まったく無関係の人って可能性もある」


「そうよね」


「いまわかってる事実は、変電所のかまいたちは、間違いなく黒髪の中年だということだけだ」


「やっぱりさかり場に行かないといけないかな……」アイは顎に手をあてて、渋い表情をした。「鉄塔で目撃された人に心当たりがあるの。ターコイズブルーのドレスを着てたって人」


「知り合いか?」ジェイはグリーンサラダを持ちあげながら言った。


「知り合いってほどではないけれど、盛り場では有名な人。ターコイズブルーのドレスを着てる人なんて、ほかにいないと思う」


「行こう」ジェイは言った。「手がかりがあるかもしれない」


 その夜、二人は赤ワインのボトルを二本開けた。ウォッカも何杯か飲み、仕上げに熱いコーヒーを飲んだ。


 使った食器はジェイが洗い、時間をかけて歯を磨いた。熱いシャワーで身体を清潔にしてから、二人は眠った。


 眠る前にジェイは部屋の窓を開けて、空を眺めた。珍しく星空が広がっていて、澄み切った夜だった。外気は凍てつき、少しだけ火照った身体に心地よかった。


    ※  ※  ※


 翌日の朝早く、アイは家を出た。眼鏡のモデルの仕事で、撮影があるのだと言った。


 誰もいない部屋で一人、ジェイはコーヒーを飲みながらスマートデバイスを眺め、これまでに集めた、かまいたちの情報を振り返った。


 そのとき、ジェイのスマートデバイスが震えた。


 先日、動かなくなったガソリン車を預けた、自動車修理工場の青年からの着信だった。ジェイは電話に出た。


「幸運にも、修理に必要なパーツを手に入れられる目途がたちました」工場の青年は言った。


「それはよかった」ジェイは椅子から立ちあがりながら言った。「実のところ、ほとんど諦めていた」


「奇跡的なめぐりあわせでしたよ。ちょうど先月、古びたガソリン車を廃車にして、使えそうなパーツだけ確保していた業者が見つかったんです。数日後にはこちらにパーツが届いて、一週間もあれば修理が終わるでしょう」


「それはありがたい。でも、今日から旅に出るんだ。もしかしたら、一か月くらいは戻らないかもしれない」


「構いませんよ」青年は明るい声で言った。「車を取りくるのが遅れても、あるいは代車が戻ってくるのが遅れようとも、誰が困るというわけでもないんです」


「じゃあこっちに戻り次第、取りに伺おう」


「――そういえば、ケーのことで……、かまいたちのことで、手掛かりになりそうな人を見つけましたよ」


 思いがけぬ話に、ジェイは口を開けて一呼吸置いた。「それは気になるな」


「ほんの偶然なんですけど、うちの工場に出入りしている保険代理店から気になる話を聞きました。ただ――」青年の歯切れは悪かった。


 ジェイは話の続きを待った。


「電話では少し伝えにくいもので……。ぼくも正直、驚いてます。工場にきていただいたときにお伝えしてもいいですか?」


 青年は申し訳なさそうに言った。ジェイは了承して電話を切った。青年との電話を終えると、煉瓦の家は、かまくらの中のような沈黙に満たされた。


    ※  ※  ※


 ジェイはケーが殺されてからのこと、それからケーと一緒に過ごした思い出にひたり、殻にこもったカタツムリのように、一人で静かに過ごした。


 昼過ぎにアイは家に帰ってきた。アイは帰宅すると手を洗い、手早くハムときゅうりのサンドウィッチをつくった。二人で一緒にそれを食べた。


 ジェイはまったく料理をしなかった。ケーと二人で暮らしていたとき、料理をつくるのはケーの役目だった。


 食事を終え、濃いコーヒーをマグカップでなみなみ一杯飲んだ。一息入れてから使った食器を洗い、二人は煉瓦造りの家を出発した。


    ※  ※  ※


「盛り場に行くのって、気が滅入るわ。いろいろと思い出すもの」アイは唇を突き出すようにして言った。


 ジェイは無言で頷き、窓の外を見た。


 ジェイとアイが乗る電車は、ひたすら東に進んだ。荒涼こうりょうとしたエフの市街地を抜け、どこまでも続く曇り空と、凍てついた樹木しか見えない線路を突き進む。車内の人はまばらで、皆、俯いていた。


 五時間ほどが経ち、すっかりと日が暮れたころに、ジェイとアイはうらびれた街で電車を降りた。


 そこは名前がない街だった。都市――エフのほかに、呼び名がある街はなかった。人々が生活する街はエフであり、どこからどこまでがエフという、明確な線引きもない。そういった意味では、この街もエフの一部であった。


 人気ひとけがない三角屋根の駅を出て、二人は通りを北東に歩いた。


 雪が静かに降っていて、道路に二人分の足跡が点々と刻まれた。途中で目についたスーパーマーケットに寄って、できあいのナポリタンを買った。道行く人はほとんどいなかった。


 ナポリタンが入ったビニール袋をぶらさげ、大きな旅行鞄を抱えて、二人は十五分ほど歩いた。


 うらびれたホテルに到着すると、二人は受付に進んだ。受付の主人は、いかにも不機嫌そうに手続きをして、ルームキーを投げるように渡した。


 ステンレススチールの扉を開けて入った部屋は、狭くて古く、カビ臭かった。


 二人はスーパーマーケットで買ってきたナポリタンを電子レンジで温めて、備え付けの窮屈な作業台に広げて食べた。


「座りっぱなしで疲れちゃったわ」アイは首を回しながら言った。「今、どのへんなの?」


「まだ六分の一くらいしか進んでない」


「気が滅入るわ」アイはナポリタンを飲みこんで言った。「やっぱり遠いわね、盛り場は」


    ※  ※  ※


 二人はひたすら電車で移動してホテルに泊まり、またその翌日も同じことを繰り返すという日々を、五日間続けた。こうして二人は、港町近くの盛り場にたどり着いた。

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