第7節 変電所

 ジェイとアイは翌朝も、ダイニングテーブルでむき合って熱いコーヒーを飲んだ。


「おかしくない? あの林檎園の人。殺されたお婆さんがよく林檎園にきてたなんて、一言も言ってなかったじゃない」


「どうだろうな」ジェイはマグカップを持ちあげながら言った。「身の回りのことが、ほとんどわからなくなった、年寄りが言ってたことだしな。実際のところ、頻繁に林檎園に足を運んでたのかどうか、怪しいもんだぜ」


「それはそうだけど」アイは亜麻色の髪の毛を指に絡ませながら言った。「私はなんだか怪しいと思うわ。あのお婆さん」


    ※  ※  ※


 二人は濃いコーヒーを飲み終えると、煉瓦れんが造りの家を出た。ジェイが自動車整備工場から借りた車に乗りこみ、オートパイロットでエフの市街地にある、変電所にむかった。アイの家からは、十五分ほどの距離だった。


「変電所で殺されたのは、出入り業者なんだって。自動販売機の」アイは助手席でスマートデバイスを操作しながら言った。


「変電所の屋内で殺されたのか? かまいたちに」


「そうよ」アイは頷く。「事務所に入ってすぐの、自動販売機の前で刺し殺されたんだって」


「不思議だよな」ジェイは首をかしげる。「かまいたちって、人目につく可能性が高いところで人を殺すことが多いように思える」


「ケーは当てはまらなくない?」


「そうだけど、ケー以外の殺害現場はそうじゃないか? スーパーマーケット、林檎園、それから変電所」


「それもそうね」


「実際にそれらしき人物の目撃情報や、映像まで残している。捕まることをまるで恐れていないのか、捕まることなんてありえないという自信があるのか」


「ほんとうのところ、怪奇現象だったりして」アイは真顔でつぶやく。


「それはないと思う」ジェイは首を横に振る。「実態がある人物として、それらしき情報が浮かびあがってるんだ。一人の中年男性が。かまいたちは、たしかに存在する人間だよ」


    ※  ※  ※


 変電所はすぐに見えてきた。


 敷地の周りを灰色のブロック塀が取り囲み、その上にくたびれた緑色のフェンスと、錆びついた有刺鉄線が取り付けられている。


 ジェイもアイも何度か通ったことがある場所だったが、そこに変電所があることは知らなかった。


 赤茶けた錆でまだらになった門を通り抜けて、車は駐車場でその動きを止めた。ジェイとアイは車を降りて入口まで歩き、事務所のインターフォンを押した。


 チャイム音が鳴り、ほどなくして応答があった。


「突然恐れ入ります。先日、かまいたちに弟を殺された、ジェイと申します」ジェイはインターフォンのカメラにむかって頭をさげた。


「はあ……なんでしょうか?」インターフォンから聞こえる男の声は、困惑の色を見せた。


「かまいたちとはなんなのか、突き止めたいのです。少し話を伺わせていただけませんでしょうか? この変電所で数年前に、かまいたちがあったと思うのですが」


「そういうことですか」男の声色が柔らかくなる。「構いませんよ。お役に立てるかはわかりませんがね」


    ※  ※  ※


「私が事務所に戻ったときには、もうすでに殺されてたんですよ。その自動販売機の前に横たわって」変電所の守衛は、自動販売機を手で指しながら言った。


「どこを刺されてたんですか?」ジェイは訊いた。


「胸、腹、腹。それはもう、滅多刺しでしたよ」守衛は包丁を逆手で握って、自分の腹を刺すような仕草をして言った。「自動販売機の前が血溜まりになってました」


 冷たい家のソファの上で横たわる、ケーの姿をジェイは思い返す。


「かまいたちの目撃情報はなかったんですか?」ジェイは訊いた。


「目撃情報はありませんでした。ただし、監視カメラの映像はあります」男は言った。「よかったら見ますか?」


「いいんですか?」ジェイは身を乗り出した。


「見せるくらいならいいでしょう。もう、三年も前の事件ですし」


    ※  ※  ※


 ジェイとアイは守衛室に通され、ほこりっぽいパイプ椅子に座った。パイプ椅子の座面は薄く、所々破れていた。


「念のために、かまいたちの映像は残しておいたんですよ」守衛はそう言いながら機器を操作し、モニターに映像を映し出した。


 ジェイとアイはモニターの映像を覗きこんだ。映し出されたのは、先ほど守衛に案内された、事務所の入り口に設置された自動販売機を俯瞰でとらえた映像だった。


 事務所の入り口を開け、カートにドリンクを積んだ青年がやってくる。青年は自動販売機を開き、手際よくドリンクを補充していく。


 そのとき入り口が開き、背広姿の中年が入ってきた。作業をしていた青年は振り返り、作業をとめる。それからカメラに背をむけて、背広姿の中年に歩み寄る。


 近づいてきた青年を、背広の男は背中に隠し持っていた刃物でひと突きした。素早く引く抜くと青年の胸倉を掴みあげて、二回、三回――と、機械的に何回も刺した。中年は後ろに撫でつけられた黒髪を乱しつつ、表情一つ変えずに青年を刺し続けた。


 二人の足元には血溜まりが出来あがる。背広の男が掴んでいた手を離すと、青年は糸が切れた操り人形のようによろめき、自動販売機の前で半回転して倒れこんだ。


 背広の男は乱れた黒髪を整え、踵を返して事務所を出ていった。背広は濃い返り血を浴びていて、歩いた後には血の跡が点々としている。映像はそこで終わった。


「これがその時の映像です」


「顔も映ってて、血の跡もこれだけ残っているのに、かまいたちは捕まらなかったんですか?」アイは首をひねった。


「そうなんですよ」男は腕を組んだ。「まったく足取りが掴めなかったんですよ。このあと、忽然こつぜんと消えてしまったかのように」


 狭い守衛室の空調が、唸り声のような低い音を響かせた。カビ臭さがジェイの鼻腔びこうをつく。


「そういえば、少し前にも、かまいたちの話を訊きにきた人がいましたね」守衛は言った。


「どんな人ですか?」ジェイは訊いた。


「新聞社の記者だと言っていましたよ」守衛は思い返すように天を仰いだ。「黒髪の癖毛で、無精ひげを生やした方でした」


    ※  ※  ※


 そのあと、ジェイとアイはもう一度、かまいたちの映像を見せてもらった。かまいたちに歩み寄る青年、表情一つ変えずに刺し続け、乱れた髪を整えて何事もなかったかのように出ていく背広の男。


 二人が映像から得られた情報は、それがすべてだった。

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