第6節 林檎園①

 暖かい煉瓦れんが造りの家に戻ると、アイは料理を作り始めた。


 手始めに冷蔵庫の中から、寝かせた豚肩ロースのブロック肉を取り出した。


 肉を常温に戻す間に、スーパーマーケットで買ってきた、じゃがいもと、にんじんを鍋で茹でる。茹で終わると丁寧に皮を剥き、角切りにした。部屋を湯気が包んだ。


 切りそろえた野菜と、サラダチキン、カットしたゆで卵、みじん切りにしたピクルス、グリンピースに、マヨネーズと、塩、胡椒をあえて、ポテトサラダができあがった。マヨネーズは自家製だった。


 次にアイは、豚のブロック肉をフライパンで焼いた。両面にこんがりとした焼き色がついたのを見計らい、フライパンから取り出し、予熱したオーブンでじっくりと焼いた。


 こうしてローストポークが出来あがると、細長いバケットをパン切り包丁でカットし、内側にバターを塗ってフライパンで焼いた。


 焼いたバケットの内側に粒マスタードを塗り、ハム、チェダーチーズ、ピクルス、そして先ほどのローストポークを挟みこんだ。


 仕上げに熱したフライパンでバターを溶かし、具材を中に挟んだバケットをフライ返しで抑えて、その両面を焼いた。弾けるように賑やかな音が鳴り、食欲をそそる香ばしい匂いが立ち昇った。


 ジェイはダイニングルームの椅子に腰かけ、手際よく料理を作りあげていくアイの姿を眺め、小気味よい調理の音に耳をすませた。


 黄色味を帯びたオーク材のテーブルの上に、キューバサンド、ポテトサラダ、熱く濃いコーヒーが並んだ。ジェイとアイは、むき合って食事をとった。


「相変わらず料理がうまいな」ジェイは言った。「どれも美味しい」


「どうもありがとう」アイは微笑む。「食事は大切にしたいの。さかり場での生活は、そんな余裕なかったから」


 ジェイは曖昧に頷く。「今日のうちに、かまいたちがあった林檎園にも行くか」


「そうね。一休みしてから行きましょう」アイはコーヒーがそそがれたマグカップを持ちあげる。「夕方くらいが殺害時刻だったから、ちょうどそのくらいに行けるといいわね」


「殺されたのはお婆さんだったよな? 認知症で老人ホームに入ってた」


 アイは頷く。「どうして林檎園なんかに行ってたのかしら? 林檎園に行った後、老人ホームにも寄って話を訊いてみましょう」


    ※  ※  ※


 林檎園はアイの家から、片道で四時間ほどの場所にあった。オートパイロットでエフの市街地を抜けると、建物もまばらな郊外に差し掛かった。電気自動車の走行音は静かで、それでいてすさまじい速力で南に進んだ。


「このあたりにくることはある?」ジェイは助手席に座るアイに訊いた。


「ないわね」砂埃すなぼこりが舞う外の景色を眺めながら、アイは言う。「小さいころ、キャンプにきたときに通ったような気もするけど。ジェイは?」


「僕もほとんどないと思う。少なくとも、自ら進んできたことはないな」


 都心部南の郊外には、土気色をした横長の集合住宅が建ち並ぶ。傾いた電柱が道のはしに続き、張り巡らされた電線は不安定に、たるんでいる。


 忘れ去られたような、緑色のトタン屋根の、小さなバス停をいくつか通り過ぎる。道行くバスは一台も見当たらない。


 バスの運行は、長いこと途絶えていた。人々はバスという存在を思い出せなくなって久しく、バス停に貼られた、雨風でかすれたポスターが、無慈悲な時間の経過を物語る。


    ※  ※  ※


 到着したころには、灰色の雲の切れ目から弱々しい夕日が射していた。林檎園の入り口には三角屋根のロッジのような小屋があった。ジェイとアイは小屋の扉をノックした。


「ごめんください」ジェイは扉を開きながら言った。


 奥から床をするような足音が近づいてきて、二人の前に小柄な老婆が一人現れた。


「どちら様ですか?」老婆は無邪気な笑み浮かべて、首をかしげた。


「突然すみません、ジェイと申します。先日、かまいたちに弟を殺されまして――」


 ジェイがそこまで言った瞬間、老婆はくぼんだ眼を見開き、大きく息を吸いこみ、おおげさに両手で顔を覆った。「それはそれは……おいたわしや」


 ジェイは機械的に頷き、話を続けた。「それで、かまいたちが起こった現場を回っているんです。かまいたちの正体を突き止めたくて」


「あの男をですか?」


「見たんですか? かまいたちを」ジェイは身を乗り出して訊いた。


 老婆は小屋の外に出て、かまいたちが起こったときの様子を説明してくれた。


「あの男は、あっちから歩いてきたんです」老婆は林檎園の入り口を指し示した。「あたしゃ、そのとき小屋の中におりまして。窓辺の安楽椅子に座って、外の景色をなんとなく眺めていました。ちょうど今くらいの、日が落ち始めた時間でした。そしたら、男が林檎園の奥に歩いていくのが見えたんです」


「どんな男でしたか?」


「どこにでもいそうな、ごく普通の中年でしたよ。ダウンジャケットを着こんで、マフラーを巻いた」


「その男が林檎園の奥に歩いて行って、それからどうなったんですか?」


「その次の日に、刺し殺された人が見つかったんですよ。ちょうど私と同じくらいの年のお婆さんが」


 老婆は丸まった背中で林檎園の奥までゆっくりと歩き、ジェイとアイをその現場に連れて行った。


 林檎の木々は両脇から中央にむかって斜めに生えていて、頭上で交差している。収穫が終わったばかりで、林檎の実は一つもついていなかった。


「ここです」老婆は一本の林檎の樹の前で立ち止まった。「樹を背もたれにして、ぐったりと倒れておったんです」


「争った跡とかはなかったんですか?」アイは訊いた。


「まったくありませんでしたよ」老婆は首を横に振った。「むしろ、穏やかな表情を浮かべていたくらいでして」


    ※  ※  ※


 林檎園の北側に隣接する、かまいたちに殺された老婆が入居していた老人ホームにも、ジェイとアイは立ち寄った。


 老人ホームは年季が入った、コンクリート造の大きな建物だった。しかし、それほど多くの入居者がいるわけではなく、閑散として、ほの暗かった。


「よくふらふらと、外を徘徊してましたよ」受付の硝子がらす越しに、職員の若い女は言った。「そういうことがないように、本当は私たちが見張っていないといけないんですけど。なにぶん人手不足でして」


「その日は何時ごろに老人ホームを抜け出したのですか?」ジェイは訊いた。


「それが、はっきりとしたことはわからないんです」かさついた頬を指で撫でながら、女は言った。「人感センサーの反応は、お昼過ぎくらいから途絶えてましたけど」


「外を出歩くとき、どんなところに行っていたのかわかりますか?」


「あくまでも本人曰くですけど、裏側の森や、少し先にある湖に行くって言ってましたね。それから殺された林檎園にもたびたび行っていたみたいですよ」女はまとめた書類の束を、ホッチキスでめながら言った。「まあ、認知症の方なので、どこまでがほんとうなのか、わかりませんけど」


    ※  ※  ※


 ジェイとアイは再び林檎園に戻った。林檎園の老婆に、かまいたちに殺された老婆が、定期的に林檎園に立ち寄っていなかったかを尋ねに行った。


 ジェイは三角屋根の小屋の扉をノックして、扉を開けようとしたが、鍵がかかっていた。その場でしばらく待ったが、結局なんの反応もなかった。


 ジェイとアイは小屋の周りをぐるりと歩いて、中の様子をうかがった。老婆の小屋は息絶えたように静まり返り、沈黙を守っていた。

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