最終節 メガストラクチャー

 ながい歳月が流れても、暖かい煉瓦れんが造りの家はほとんど代わり映えしなかった。


 堅牢に積みあげられた外壁はいまだ赤く、玄関のアーチも綺麗なアールを維持したままで、三角屋根にも欠けたところひとつ見当たらなかった。


 対照的に、エフの街は性急に様変わりした。


 エフとエーをルーツとする、スペースコロニー——シーは、汚染された地球環境で人間が生きていける抗体の開発に成功したと、声高こわだかに発表した。さらに、段階的にコロニーから地球への移住をすすめると宣言した。


 本格的に宇宙から地球への帰還がすすむ前に、地上に残したミミクリーを隠蔽をすべく動き出したシーは、まず手始めに数千人規模の軍関係者をエフに移住させた。


 彼ら彼女らは短期間でエフの全土を掌握し、ひとり残らずミミクリーを管理できる体制を構築すると、痕跡を片っ端から消し去るように、街の補修を開始した。


 ひび割れたアスファルトを整え、崩れ落ちたハイウェイを引きなおし、朽ち果てた建物のおおくを次々と解体し、あらたな建物を建てていった。


 かつて、かまいたちと呼ばれた現象が起こった、スーパーマーケットも、林檎園も、変電所も、鉄塔も、あの冷たい家も、ずいぶん前に更地さらちとなって消えた。


 もっともおおきな変化は、さかり場から二〇〇〇キロメートルほど西の地点——エフの市街地からは東に五〇〇〇キロメートルほど離れている——にある、湖の上に建造されたアースポートの出現だった。


 遠くから見ると、アースポートは広大な湖に浮かぶ、なだらかな丘のようだった。その中心部に、天から垂らされた一本の蜘蛛の糸のように、おおよそ十万キロメートルにもおよぶ、軌道エレベーターがスペースコロニー——シーにむかって伸びる。


 アースポートを経由する軌道エレベーターは地底にも伸びていて、その先はエーの三層目までつながっていた。地下都市からスペースコロニーにかかる軌道エレベーターは、人類史上類を見ないほど巨大な人工建造物だった。


    ※  ※  ※


 煉瓦造りの家に射しこむ陽光の眩しさで、青年——ジャッカルは目を覚ました。


 ここ数日、気持ちのいい晴天が続いていた。ほとんど常に、鈍色にびいろの厚い雲におおわれていたエフも、ここ数年で晴れの日が増えつつあった。それでも、数日も続けて太陽が顔をだすのはめずらしいことだった。


 ジャッカルがリビングにいくと、れたてのコーヒーの香りがした。キッチンに立つ亜麻色の髪の女——アイがふりかえった。


 アイと挨拶をかわして、ジャッカルは洗面所にむかった。顔を洗い、歯を磨き、髪を整えてリビングに戻ると、使いこまれたオーク材のテーブルのうえに、朝食の準備がととのっていた。


 席につくと、ふたりは朝食をとりはじめた。サワークリームとベリージャムを塗ったパンケーキをナイフで切り、できたてのやわらかいオムレツをフォークですくいあげ、トマトスープを口に運んだ。会話はなく、陶器をうつ音がときおり微かに響く、静かな食卓だった。


 食後に、湯気が立ちのぼる熱く濃いコーヒーを飲みながら、ジャッカルはコンタクトレンズ型のウェアラブルデバイスから、数枚のホログラムを立ちあげて宙に浮かべた。


 表示された情報をひとしきり確認し、コーヒーをすべて飲みおえると、ジャッカルは立ち上がった。ライナーつきのモッズコートを羽織り、ゆっくりと玄関に歩いた。アイがそのあとに続いた。


 コンバットブーツの紐を縛りあげ、戸口の外に出て、ふたりはむきあった。


「宇宙にあがっても、ジャッカルはだいじょうぶ」アイは目元に皺をよせて微笑んだ。「あなたの名前がきっと守ってくれるから」


「ああ」ジャッカルは頷く。「いろんな人の名前をもらった、お守りみたいなものだもんな。母さん、父さん、ほかにもたくさん——」


「わたしが二文字なのがポイントよ」アイは得意げに笑った。「いってらっしゃい」


 創造性をオミットされたミミクリーにとって、名前とは記号のようなものでしかなかった。ジャッカルはある種の願いをこめて名付けられた、最初のミミクリーだった。


 ジャッカルの柔らかくまっすぐな金髪が風で揺れて、ながいまつ毛がまたたいた。それから青い瞳を細めて微笑み、煉瓦造りの家を出発した。


    ※  ※  ※


 水中トンネルを抜け、アースポートにたどり着いた。


 スペースコロニーへと続く、気が遠くなるほど巨大なカーボンナノチューブ製の軌道エレベーターの内部で、ジャッカルは身じろぎひとつせずに立っている。


 そこは完璧に制御された重力があるだけで、暖かくも寒くもなく、無風で無音で、あるのは光だけだった。


 一面に広がるモニター——疑似的な窓が、飛び交う宇宙船の閃光と、惑星の煌めきを映しだしている。静謐せいひつな光もあれば、目まぐるしくかたちを変える光もあった。


 凄まじい速力でメガストラクチャーを上昇しながら、ジャッカルは記憶データの保存ディレクトリにアクセスした。ヴォドフライヴィチからはじまり、自分に至る人たちのことを思い、そして祈りを捧げた。


 それは、夜に煙る霧雨を感じるときのように、不確かで研ぎ澄まされた願いだった。

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