第3節 テロリズム③

「どういうことだよ」エルはステアリングを勢いよく切りながら言った。


「情報が漏れてたんだ」ジェイは助手席で電力会社のユニフォームを脱ぎ捨て、防弾チョッキの上から黒いスウェット・シャツを被った。


「ふざけやがって、どうしろっていうんだよ」


「落ち着け」ジェイは左目で素早く二回まばたきをして、コンタクトレンズ型のウェアラブルデバイスから、マップのホログラムを中空に表示した。「ここにむかうんだ」


 ジェイが指し示した場所は、有事に備えてテロリストたちが逃走用のホバーカーを置いている場所の一つだった。


「ここはつい先日、周囲の監視カメラの電源を切断したはずだ。最も足がつきにくい」カーキ色のN-1――デッキジャケットを羽織りながら、ジェイは言った。「ここで車を乗り換えるんだ」


「ああ」エルは目的地をホバーカーのナビゲーションシステムにプロットしながら、落ち着きを取り戻して言った。「この車は街の監視カメラに映っちまってるからな」


「なによりも、発信機を取り付けられているだろうな」飛ぶように流れる窓の外の風景を見ながらジェイは言った。「こうしている間にも、政府の連中が追ってきているわけだ」


 窓の外の景色は、郊外から次第に雑然とした都市部に移り変わった。


 何台かのホバーカーを強引に追い越し、またすれ違った。まばらではあるものの、街を歩く人も何人か目に付いた。凄まじい速力で進むホバーカーに人々は一瞥をくれたが、いぶかしむ者はいなかった。


 死んだように身を硬くしたショッピングセンター――活気が失われて久しい――の地下駐車場にホバーカーは吸いこまれた。


 ゲートを通り抜けるとエルはマニュアルパイロットに切り替え、逃走用のホバーカーを探した。ステアリングを握るエルの手に汗がにじんだ。


 そのホバーカーはすぐに見つかった。駐車場に駐まっているホバーカーはまばらで、人の気配はなかった。


 後部座席に乗せていた議長の妻、息子、娘を、逃走用のホバーカーに移した。積んでいた荷物を入れ替えるように。彼ら彼女らは、恐怖と諦観が混ざり合った目でジェイとエルを見た。


 ナビゲーションシステムにテロリストたちのアジトの一つをプロットすると、エルはホバーカーを静かに発進させた。駐車場のゲートを出ると、オートパイロットに切り替えた。


 今度は道行くほかのホバーカーとほとんど変わらない速度で進んだ。ジェイとエルが乗るホバーカーを気に留める人は、一人もいなかった。


    ※  ※  ※


「それで命からがら、ここまでたどり着いたってわけか」アレクセイは眉一つ動かさずに言った。「ジダン」


 偽名を呼ばれたジェイが返事をする。


「ホバーカーを乗り換えたのは、おまえの判断か?」


「そうです」


「いい判断だ」アレクセイは頷いた。「さあ、始めようか」


 広い一棟の貨物置場の柱に縛りつけた、防衛産業議長の前にアレクセイ、それからジェイとエルは進み出た。


 ジェイは議長を眺めた。


 きっちりと七三で分けられた黒髪、整った涼し気な顔立ち、綺麗に剃りあげられたひげ、たくましく、それでいて引き締まった体躯たいく、クリーニングから戻ってきたばかりのように、パリッとしたスーツ、白いワイシャツにネイビーのソリッド・タイ、磨き上げられた黒い革靴――、議長は年齢よりもはるかに若々しかった。


「要望を伝える」エルは事務的に言った。「エーの二層に我々を連れていくこと。要望はただこの一点のみだ」


「なにを言っているのかわからない」議長は真っすぐに前を見て言った。「エーに二層など存在しない」


 議長のその言葉を皮切りに、拷問が始まった。爪を剥ぎ、指の骨を折り、歯を一本一本抜いた。議長の顔は苦痛にゆがみ、時折、湿った吐息のような悲鳴が短く漏れた。しかし、エーの二層についての情報はなんら漏らさなかった。


「やめだ」アレクセイが言った。


 その言葉を合図に、ジェイとエルはその手を止めた。そしてアイとティーと、何人かの男が部屋に入ってきた。議長の妻と息子、娘を連れて。議長は目の前の出来事が理解できないように、茫然とした表情をみせた。


「こいつらの身体に訊くことにする。なにか思い当たる節があったら、おまえが答えてくれや。こいつらが全員死んじまったら、話はそこまでだ」


 手始めに妻の人差し指をへし折った。妻は金切り音のような悲鳴を上げ、涙を流した。次に息子を同様の目に合わせた。息子は鈍く低く、苦痛の声を漏らした。


「やめてくれ! わかった!」議長は柱に縛り付けられた腕を打ちつけながら叫んだ。「話をしよう」


 妻の指を握ったままエルが言った。「聞くだけ聞こうか」


「エーには二層が存在する。私はその行き方を知っている」


 すべてを悟った議長は堰を切ったように話し始めた。


 エーにはたしかに二層が存在する。エーの中枢は二層に集約されており、政府関係者は二層から派遣されて一層を統治している。日常的に二層と一層を行き来することはないが、年に数回、重要な会合のために二層に赴くことがある。


 二層に行く方法はシンプルで、一層とつながるエレベーターがいくつか存在する。そのエレベーターを動かすキーとなるのは、二層へのアクセス権を持つ人間の光彩こうさいデータだということだった。


「二層の生活は豊かなのか?」アレクセイが静かに訊いた。


「自分たちの目でたしかめに行くんだな」議長は暗い目で言った。


 エルが議長の眼球をコンバットナイフでくり抜いた。気がふれたような絶叫が響きわたり、その場にいた者の鼓膜を震わせた。摘出した眼球をデータ化し、超精密3Dプリンターで立体モデルを生成するように、アレクセイが指示を出した。


「はやく楽にしてくれ」血に濡れた顔で、息も絶え絶えに議長は言った。


「わかったよ」エルが頷いた。「俺たちは心優しいんだ」


 エルは議長の妻に銃口をむけ、引き金を引いた。次に息子、それから娘に同様の動作を機械的に繰り返した。


「それでいい」これが議長の最期の言葉となった。


 それからもう一度、渇いた音が鳴った。

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