第4節 パシフィズム①

「というわけで、エーの二層に行くよ」スマートデバイスにむかってジェイは言った。


「大進展ですね」嬉しそうにケミドフは言った。「できれば議長の光彩データを送っていただきたいのですが、できそうですか?」


「難しいだろうな」ジェイは首を振りながら言った。「あまり危険は橋は渡りたくない。少しでも疑わしいと感じたら、アレクセイはなんのためらいもなく僕らを殺すだろう」


「それは同感です」ケミドフは実感がこもった声で言った。「しかし、これはとても重要なことです」


「ケミドフも二層に行きたいのか?」


 薄い沈黙が訪れた。部屋の空調から暖かい空気が洩れ、ジェイの頬にあたった。


「もちろんです」ケミドフは静かに言った。「ぼくは真実が知りたいのです。自分の目で見た真実を」


「僕らは議長の光彩データにアクセスすることができない。誰がアクセス権があるのかもわからない」


「アレクセイはアクセスできるんじゃないでしょうか」


「そうかもしれないが、だとしたらなんだっていうんだ? だいたい、テロリスト内でのアレクセイのポジションもよくわからないし、そもそも、いまだに組織の全貌も把握できていないんだ。内側にいても」


「たしかに難しそうですね」


「これまで通り、わかったことは報告するが、あまり期待しないでくれ。二層に入ったら、通信できるかどうかも定かじゃない」


「わかっています」ケミドフの金色のまつ毛がまたたいたような予感がジェイに走った。「すでにもう十分、役割を果たしてくださっていますよ。ジェイさんたちは」


    ※  ※  ※


 テロリストたちは複数の一団にわかれて、議長からいくつか聞き出した、エーの二層に繋がるエレベーターがある地点へと、それぞれがむかった。


 ジェイが乗りこんだホバーカーには、アイ、ティー、エル、それからアレクセイと、何人かのテロリストが乗りこみ、その車内は重油に満たされたような沈黙に沈んだ。


 ジェイたちが初めてエーに降り立った地点のすぐそばにある、古びたビルディングにホバーカーはむかった。


 そのビルディングは人々がエーに移り始めた時代――つまり大戦が激化し、人類が地上に住むことは困難になると予見し始めたころ――から存在していた。


 もとは政党団体の事務所が多く入居していたが、建物の老朽化により次第によそへと移転していき、あるいは政党団体のほとんどは解散していった。いまとなっては、時代に取り残された者がわずかに残った廃墟でしかない。


 荒れた街をかすれた絵の具のような照明が照らす。ホバーカーはビルディングのすぐ隣にある空き地で、静かに停止した。それを合図にジェイたちは素早くホバーカーから飛び出し、ビルディングの裏手にむかって駆けだした。擬死ぎしから覚めたカエルのように。


 先陣を切るエルが鈍色の扉に近づき、リーダーにコンタクトレンズ型のウェアラブルデバイス――議長の光彩データを表示している――を装着した左目をかざした。扉は音もなく開いた。


 あまりにも白い照明が廊下を照らしている。敷き詰められたタイルカーペットはひどくほこりっぽく、コンバットブーツの足音が染みこむように吸いこまれた。


 ジェイたちはサブマシンガンを握りしめて、エーの二層に通じるエレベーターを探し、細く長い廊下を進んだ。


 左右にステンレススチールのドアがずらりと立ち並び、張り詰めたげんのような緊張があった。カーペットにところどころ、赤みを帯びた焦げ茶色の染みが付着しているのをジェイは認めた。


 しばらく進むと、エレベーターホールに突き当たった。廊下の影から様子をうかがい、人の気配がないことを確認してから、ジェイが静かにエレベーターのボタンを押下した。


 その瞬間だった。機関銃のけたたましい音が鳴り響いた。ジェイは鋭く振り返る。エレベーターホール付近に設置されたステンレススチールの扉が小さく開き、その隙間から銃口が見えた。


 まさに袋のねずみだった。数名のテロリストが銃弾に倒れたのをジェイは目の端で認め、撃たれたテロリストをかき集めるようにして、素早く肉の壁をつくった。ジェイたち四人とアレクセイはその中に身を寄せて、隙間からサブマシンガンで応戦した。


 絶え間ない夕立のように銃弾が飛び交い続けた。しびれを切らしたエルは手榴弾のピンを引き抜き、前方にそれを投げた。閃光が瞬き、鈍い振動が伝わる。爆炎で視界が奪われ、ビルディングの天井が崩れ落ちる気配があった。


 そのとき、ジェイたちの背後にあるエレベーターのドアが開いた。肉の壁から這い出て、素早くエレベーターに乗りこんでドアを閉めた。機関銃の音はもう聞こえなかった。


 一番最初にエレベーターに乗りこんだアイは操作盤に瞳を近づけて、議長の光彩データを読みこませた。エレベーターは静かに動き出した。


 ジェイは大きく息を吐きだし、それからカーペットに付着した染みを目にとめた。


 廊下でも点々と目についた、赤みを帯びた焦げ茶色の染み。わずかな筋肉と臓器のようなものだけを身に残し、赤黒く濡れそぼった骨となった、かまいたち――その姿が脳裏に浮かんだ。

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