第9節 盛り場⑤

 ジェイとエルは引き返すことにした。あらたに目の前に開けた広大な空間を、このまま進むのは現実的ではなかったし、ジェイの出血もひどかった。ジーの亡骸も気になった。


 二人はスムーズに井戸の底まで戻ることができた。エレベーターの扉は問題なく開き、作動した。途中で制御盤を破壊してきた扉は、開いたままだった。


 梯子はしごをのぼり地上に出ると、いつもと変わらない、弱い陽光が頭上から降り注いだ。


 ジーが倒れた地点まで、二人は歩くことにした。長い道のりだった。ずいぶんと遠くまできていたことに、ジェイは気がついた。かまいたちに刺され、ヴォドに拳銃で撃たれて出血したからか、もやがかかったように、思考が散漫だった。


 ヴォドと過ごした日々が映像となり、ジェイの頭を駆けめぐる。


 アイと一緒に、幼いケーを連れて診療所を訪れたこと。母親が死に父親が出て行ってから、少なからずヴォドを頼って生きてきたこと。かまいたちに刺されたケーを、診療所に運んだ日のこと。ケーの亡骸を一緒に埋葬したこと。とりとめのない思考は、出血だけが原因ではなかった。


    ※  ※  ※


 一時間少し歩いて、二人はようやくジーの元にたどり着いた。その身体には、少しだけ雪が積もっていた。


 二人はジーの元にかがみ、その顔を覗きこんだ。


 無造作に立ち上げられた金色の短髪は凍りつき、太い眉も、無精髭にも霜が降りていた。透き通るように顔が白い。綺麗に両目が閉じられていることが、唯一の救いだとジェイは感じた。閉じることができなかった、ケーの瞼のことを思い出した。


「なあ、ジーの兄貴と俺の顔って、似てないか?」エルは力なく言った。


「ぜんぜん似てないね」ジェイは首を横に振る。「髪型と髭くらいじゃないか? 近しいのは」


「髪型と髭は、ジーの兄貴を意識してんだよ」エルはジーの身体にかかった雪を払った。「ジーの兄貴に、どこまでもデカくなってもらいたかったんだ、俺は」


 エルはジーの身体を抱きかかえて立ち上がり、歩き出した。ジェイは無言でそれに続いた。


「申し訳ないなんて、思わないでくれよな」エルは前を見据えたまま言った。「ジーの兄貴は自らの意志で、おまえに協力したんだから」


「ああ」ジーは頷く。「言葉にならないくらい、ジーさんには感謝している」


 二人はジーの車にジーを乗せて、他のギャングのメンバーを探してあたりを走った。時間をかけて、死体となった彼ら四人は順々に見つかった。


「俺一人にになっちまったな」ステアリングを切りながら、エルはつぶやいた。


「盛り場に仲間はいないのか?」


「いるけどよ、ジーの兄貴や、こいつらとはちょっと違うんだよ」


    ※  ※  ※


 エルは付き合いのある病院にジーたち五人の亡骸を運び、死亡診断書を書いてもらった。それから遺体を盛り場に運んで、埋葬した。


 マフィアの連中にジーの死を嗅ぎつけられる恐れがあったが、それでもエルは盛り場にジーたちを埋めることを、強く希望した。


 その人生のすべてを賭けて生きた、盛り場にジーを還してあげたい一心だった。埋葬には、ジェイと、ジーの弟であるエイチも立ち会った。


 ジーたち五人の埋葬をおえたその翌日、ティーの身柄をおさえたと、ジェイはエルから連絡を受けた。ジェイは盛り場から南西の川辺に位置する、倉庫――お仕置き部屋にむかった。


 ティーはパイプ椅子に座らされて、柱に縄で縛りあげられていた。ジェイを見るなり、ティーは口を開いた。


「ねえ、いったいどういうことなの? これは」ティーは牙をむく獣のように言った。


「君の姿をした、かまいたちが現れたんだ」ジェイは平板に言った。「確認したい。八日前、君はどこでなにをしていた?」


「カレンダーを見せてくれるかしら?」


 ジェイはスマートデバイスを開き、カレンダーを表示してティーの眼前に差し出した。


「仕事をしてたわ」


 ジェイはティーから現在の職場を聞き出し、エルが職場に裏をとった。間違いなくその日、ティーはその店で働いていた。ボーイだけでなく、複数の客の証言もあった。


「今回かまいたちに殺されたのは、エフの鉄塔そばのバラックに住む、中年の女性と、若い男だ」ジェイはできるだけ感情をこめずに言った。


「そんな馬鹿な、それって……」アイの顔からみるみる血の気が引いていった。


「嫌な予感はしたんだけど、ひょっとしたらティーの母親と、弟なのかもしれない。考えたくもないことだが」


    ※  ※  ※


 ジェイとティー、そしてエルの三人は、盛り場からエフの市街に戻った。


 六日もかかる、長い旅になった。一日で動ける最大の距離を列車で移動して、その街のホテルに宿泊する生活を繰り返した。三人は道中、ほとんど無言で過ごした。


 エフの市街に戻ると、ティーは鉄塔そばのバラック――かまいたちの現場となった部屋を訪れた。


 やはり、その部屋はティーの実家だった。凄惨な殺戮の臭いを色濃く残した部屋に入ると、ティーは腰が抜けたようにその場に泣き崩れた。動くことができず、長いこと、その部屋で過ごした。


 念のため役所にも寄り、ティーの母親と弟の生死を確認した。案の定、二人の死亡届が受理されていた。


 二人が埋葬された墓地を、ティーは窓口の男に尋ねた。血縁者であるティーと連絡がつかなかったため、役所が管理している無縁墓地に埋葬したということだった。


 ティーは二人の遺体を、父親が眠る墓地に移したいと窓口の男に訴えた。しかし、男は表情一つ変えずに、それはできないと冷たく答えた。


 ティーが涙を流して、どれだけ懇願しても、男の答えは変わらなかった。そういう規則なのだと言った。風になびく、カーテンを殴りつけるようなものだった。


 男は追い打ちをかけるように、おそらくもうすでに遺体の腐敗か、死蝋化しろうかが始まっているだろうと言った。


 遺体は目も当てられない、おぞましい状態になっていて、規則がなかったとしても、動かすに動かせないだろうと男が言うのを最後まで聞かず、ティーは力なく役所をあとにした。


 ティーは二人の墓の前に立って、涙を流した。


 その夜、ジェイ、エル、ティーの三人はアイの家に集まった。死者との別れを持ち寄り、お互いに共有するように。


 どこまでも冷えこみ、吹雪が激しい夜だった。

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