第10節 大聖堂②

 ひどく寒い夜だったが、煉瓦れんが造りのアイの家は暖かかった。時折、吹雪が結露した窓ガラスを叩きつけて、小刻みに震えた。


 黄色味を帯びた、暖色の柔らかい照明に照らされて、四人は食卓を囲った。


 使いこまれたオーク材のテーブルの上には、アイが丹精をこめてつくった料理――チョウザメを煮こんだサリャンカ、巨大なオムレツ、ニンニクを効かせたエビのアヒージョ、くたくたに仕上げたロールキャベツ、塩と胡椒で味付けをしたシンプルなポークステーキが並んだ。


 どの料理からも、もうもうと湯気が立ち昇り、鼻腔をくすぐる匂いだけでよだれが滲むほど、食欲をきたてられた。


 四人は、がぶがぶと酒を飲み、機関銃で犬小屋を吹き飛ばすような勢いで食事に取りかかった。


「クレメンザと連絡が取れない」ジェイはスマートデバイスを睨みながら言った。


「言われてみれば、長いこと姿を見ていないな」エルは首をひねる。「いつから連絡が取れないんだ?」


 ジェイは赤ワインで喉を鳴らしてから言った。「かまいたちが起こった、あの日から」


「クレメンザって、あの新聞記者?」ティーは首を傾げた。


「そうよ」アイはロールキャベツを取り分けながら言った。「ていうか、ティーさんとこうして話すのは、なんだかんだこれが初めてね」


「あら、一回だけ話したことあったと思うけど? 盛り場で」


「ほんとう?」


「うん。お互いにペイバーされて、客に連れ出されたレストランで会ってるよ」ティーはシャブリを飲んで言った。「でもあなた、えげつないほど酒を飲まされて、ずいぶんと酔っぱらってたから。なにがあったのかは知らないけど、ひたすら客のすねの毛を抜いてたし」


「えー、それは忘れてほしいわ」アイは眉間に皺を寄せた。


「最後にクレメンザと会ったときは、どんな様子だったんだ?」エルはジェイに尋ねた。


「とくにこれと言って変化はなかったな。まあ、もともと表情に乏しい奴だから」ジェイはポークステーキをナイフで切りながら言った。「かまいたちがあった現場で別れて、それっきりだ」


    ※  ※  ※


 一切れの肉も、一滴のスープも残さず、四人はすべての料理を平らげた。


 デザートのチョコレートケーキ食べながら、熱く濃いコーヒーを飲み、みんなで一服を入れた。


「こうしておまえと一緒にいると、不思議な気分になるな」ティーの顔を眺めて、複雑な表情のエルが言った。「あれは――かまいたちは、どこからどう見ても、おまえだった」


「気安く、おまえ呼ばわりしないでくれる?」ティーは目を細める。


 エルは無表情で肩をすくめた。


「結局どうなったの? かまいたちは」アイは尋ねた。


「骨になったよ」エルはコーヒーカップを持ち上げて言う。


「意味がわからないわ」アイは首を横に振る。


「脱皮するように皮と肉を脱ぎ捨てて、骨になった」


「なにかの比喩?」ティーは眉根に皺を寄せる。


「いいや」エルはティーを見据えて言った。「純然たる事実だ」


「ちょっとぜんぜん想像ができないんだけど、それって死んだってこと? 骨になって」


「いや、生きてる。奴は骨だけになっても動いていた」ジェイは平板な声で言った。「そして、その場に、ヴォドが――診療所で働く、知り合いの男が現れた」


 アイは固まる。「どういうこと? あのヴォド?」


「ああ」ジェイはコーヒーを一口飲んで言った。「かまいたちは追い詰められて、肉体を捨て、ほとんど骨だけになって逃げ出した。その骨を支えるようにしてヴォドが現れ、一緒に逃げたんだ。僕を拳銃で撃って」


「嘘でしょ?」アイは絶句した。「逃げたって、どこに? 話がさっぱりわからないわ」


「もみの木の森の井戸を覚えているか? 死肉が落ちてた、古びた煉瓦造りの」


 アイは頭上に目をやり考える。「もみの木をりに行ったときに見た、あの井戸のこと?」


「そうだ。あの井戸が、かまいたちの出入口だったんだ」


「どういうこと?」


「あの井戸の底には通路があって、進むとエレベーターがあった。エレベーターを降りて、さらに進んだ先には広大な空間が広がっていて、ビルが何棟も建っていた」


「そんな馬鹿な」ティーが鋭く言った。「地下でしょ?」


「ああ。地下に街らしきものがあったんだ。かまいたち――骨と、ヴォドはその中に消えた」


 奇妙な沈黙が降りた。ジェイはコーヒーをすすり、エルはチョコレートケーキを頬張った。


「二人の気持ちはわかるが、すべてほんとうのことだぜ」エルはペーパーナプキンで口をぬぐって言った。「行けばわかる。俺は行くぜ。ジーの兄貴の仇を討ちに」


「あたしも行く」ティーは手をかざして言った。「家族全員を殺されて、しかもそのかまいたちは、あたしの姿をしていたんでしょ? そんなのって、許せない。どういうことなのか、この目で見届けないと納得できない」


 それから四人は静かにウォッカを飲んだ。二瓶あけたところで切り上げて、それぞれ手分けして使った食器を綺麗に洗った。


 ひと段落したところを見届けて、エルとティーはホテルに引き上げていった。


 ジェイは熱いシャワーを浴びた。かまいたちに刺された傷と、ヴォドに撃たれた傷が痛んだ。時間をかけて身体を清潔にして、歯を磨いてベッドに入った。


 先に寝転がっていた、アイがジェイを見る。なにかを考えるような、あるいは迷いがあるような目をして、口を開いた。


「ヴォドは、かまいたちの正体を知っているのかしら?」


 ジェイはアイの亜麻色の目を見る。その目は不安に揺れているように思えた。柔らかな髪が少しだけ震えた。


「おそらくは」ジェイは布団をかぶりながら言った。「そう考えるのが自然だろう」


 それ以上、ジェイが言うべきことは見当たらなかった。


    ※  ※  ※


 翌朝二人は、朝日が昇ると同時に目覚めて、熱いコーヒーをれ、スクランブルエッグとトーストを食べた。


 朝食をすませると、身支度に移った。ジェイは黒いスウェットシャツに、まだ色の濃いジーンズを穿き、軍払い下げの寒冷地用レイヤリングシステム、エクワックス・レベル7を羽織った。


 アイは群青色のシェットランドセーターに、タイトなブラックジーンズを合わせて、メルトンのピーコートのボタンをきっちりかけて着こんだ。


 二人はジェイの車に乗りこんで、大聖堂に出かけた。アイの希望だった。ジェイが大聖堂に寄るのは、もみの木の森でアイと再会した日以来のことだった。


 すすけた灰色の大聖堂は、とくに変化がなかった。相変わらず、鐘楼しょうろうの半分は崩れかけている。雪が舞っていた。


 ホールを抜けて主祭壇まで進み、アイは跪いて手を組み、祈りをささげた。その後ろ姿を、ジェイは見守った。


 アイの祈りは長かった。五分ほど経ってからアイは音もなく立ち上がり、おもむろにジェイを振りむいた。


「やっぱり祈らないんだね」


「ああ」ジェイは金色の髪をかきあげて言った。「祈るには、まだ早い」


「わたし決めた。一緒に地下に降りる」アイの口は堅く結ばれていた。「この世界のことをできる限り知りたいの。地下に行けば、なにかがわかるような気がする。そんな予感がするわ」

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