第2節 ディスクレパンシー

 埃っぽい通りに出ると、癖のある金髪の男は言った。「少し話を伺えますか?」


 四人は頷くほかなかった。


「この路地を入った先に、まともな店があります。先ほどの店とは比べ物にならないような店です。そこへ行きましょう」


 男はそう言うと微笑み、注意深い猫のように静かに裏路地へと進んだ。四人はあとに続いた。


 コンクリート造の古いビルディングの合間を縫うように、細い道が続いた。


 建物の裏口が路地に面しているのか、いくつかのゴミ袋がぽつねんと置かれていて、あたりにはひどい臭気が立ちこめていた。


「ここ最近、ゴミの収集が滞っているんです」前を歩く金髪の男は言い訳をするように言った。「テロがどんどん活発になってきまして」


 口を開きかけたエルをジェイが制して、四人は沈黙を保った。


 男は四人のことを、このあたりの事情をまったく知らない、よそ者だと確信しているのだとジェイは思った。


 ほどなくして路地を抜けて、再び大きな通りに出た。四人の目と鼻の先を、ホバーカーがアイスホッケーのパックのように滑り抜けていった。


 再びエルがなにか言いかけたが、今度はアイがそれを制して――先が尖ったエルの革靴を、踵でそっと蹴った――男の後に続いた。


    ※  ※  ※


 男が入った店は、瀟洒しょうしゃなダイニングバーといった趣だった。


 天井が高く、打ちっぱなしのコンクリーは清潔かつ冷ややかで、什器じゅうきはほとんどすべて黒一色で統一されていた。


「なかなか調和がとれた空間じゃないですか?」男はねじれた毛先を指で伸ばしながら、得意げに言った。「このあたりで、こんな店は珍しいんですよ」


「なにが訊きたいんだ?」ジェイは表情一つ変えずに言った。「おあいにく様、のんびりお茶を楽しみましょうなんて気分じゃない。さっきの店の払いは感謝するが」


 男は一呼吸置いてから切り出した。「ぼくは、エム・タイムズの記者です」


「なんだって?」こらえ切れずにとうとうエルが声を上げた。


 ティーがエルの足を素早く踏んづけたが、すでに手遅れだった。四人を混乱が捉えたのは、癖毛の男から見ても明白だった。


「ぼくはケミドフと言います」癖毛の男は会釈をして微笑んだ。「エム・タイムズをご存じなんですか?」


「知っている」ジェイが答えた。「それで、記者としてなにが訊きたいんだ?」


「単刀直入に尋ねます」ケミドフは前かがみになった。「地上にも世界があるのですか?」


「だとしたらなんなんだ?」ジェイは唾を吐き捨てるように言った。


「真実が知りたいのです」ケミドフの金色のまつ毛がまたたいた。「ぼくは国防省の担当記者なのですが、ここ数年、不穏な動きがあります」


「具体的には?」


「開示されている財務諸表と実態が、あきらかに乖離してるのです」ケミドフはコーヒーカップの取っ手に指を添えた。「修繕費や、兵器の拡充費、建物関連の支出が年々増加しています。それらの資産はBS上でも増えている。にも係わらず、なんらそれらしき動きはありません」


 ケミドフは静かにコーヒーをすすり、話を続けた。


「この地区の有様を見てください」ケミドフは両手を広げた。「テロが横行し、街は痛み、地面もひび割れ、ゴミ収集車すら満足にやってきません。一方で国防省は、テロ対策費を増やすことを表明し、事実、財務諸表上は増加しています。しかし、対策が施されている気配はいっこうにありません」


「それで、国防省への違和感と、地上世界についての君の仮説は、どういった関連性があるんだ?」ジェイは訊いた。


「国防省は戦争に備えているのではないかと、ぼくは睨んでいます」ケミドフは顎の先に指をあてて言った。「その相手は地上の世界だと考えるのが、いかにも自然なのです」


「それはなぜ?」ジェイは首を傾げた。


「まず第一に、地下国家間での戦争というものは考えにくいのです。条約で固く禁じられています。ずいぶんと長い間、国家間の外交もありません。人が行き来することもできず、情報も完全に遮断されています。これは全世界を巻きこんだ大戦を経て、民族や宗教観が異なると、結局は相いれない、と結論づけられたからです」


 ジェイ、アイ、ティー、エルの四人は、民族が意味することも、宗教観がいかなるものかも想像ができなかった。四人は、黙って話の続きを待った。


「また、教育省にもおかしなところがあります。かつて、ここ――エーの歴史では、地上世界が存在する可能性が示唆されていました。それが時間をかけて徐々に歴史が書き換えられていき、いまでは地上世界の存在は完全否定されています。それどころか、地上世界について公の場で発信すると、国家反逆罪に問われます」


 ジェイはケミドフの目を見据えて考えた。この話の真偽は、たしかめればすぐにわかるだろう。


 ケミドフは事実を語っている可能性が高いとジェイは思った。またその場合、彼はそれなりにリスクを負っているのだ。


 ジェイはできるだけ瞬きをせずに、ケミドフの虹彩こうさいを観察した。深く青く、穏やかで、それでいて生気に満ちている。


「ずばり言おう」ジェイは言った。「君の言う通り、我々は地上世界からやってきた」

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