第2部 地下エー

第6章 鼠の街

第1節 ノー・シグナル

 薄暗い地下に降り立ったとき、遠くむこうで、閃光が煌めくのをジェイは見た。それから少し遅れて鈍い音が響いた。


 その光も振動も、初めて体験する種類のものだった。四人――、ジェイ、アイ、ティー、エル、その場に居合わせた誰にとっても。


 四人は静かにあたりを見渡した。


 林立する金属製やコンクリート製のビルディング、街灯はまばらで、通りを行き交う人も車も見当たらない。


 天井は見えず、黒い闇が頭上に広がる。地面は埃っぽく、どことなく湿っている。厚い鈍色の雲に覆われたエフの街と、たいして代わり映えしない光景だった。


 ジェイは人がいそうな方面を探すために、ジーンズのヒップポケットからスマートデバイスを取り出した。


 しかし、開いたマップに反応はなかった。画面の上部右端に、電波を受信できていないことが表示されていた。


「圏外だ」


「なんだって?」エルが首を傾げる。


「スマートデバイスに電波が入らない」ジェイは画面を突き出して言った。「確認してもらえるか?」


 三人はそれぞれのスマートデバイスを開いた。そのどれもが、ジェイと同じく圏外だった。再起動してみても状況は変わらなかった。


 四人は人気ひとけがしそうな方面に歩き出した。つい先ほど、閃光が漏れ、地面と空気を震わせた振動の発信源の方角にむかって。


 細い路地の両脇を、うらびれた灰色のがビルディングと、痩せた街路樹が点々と続く。建物の大部分を覆う鏡のようなガラスは、薄暗く広大な地下空間を映すように、どれもが曇っていた。


 乗り捨てられてから、ずいぶんと長い時間が経ったのであろう車が、何台か路肩に置いてあった。打ち捨てられた、煙草の吸殻のように。


 その車――ホバーカーは、あきらかに四人が見たことのない形状をしていた。


「タイヤがついていない」ジェイはつぶやいた。


「見たこともない形ね」アイは足を止めて言った。


 その車は弾丸のような形をしていた。ノーズは長く前に突き出し、先端が脚のように二股に別れている。


 車だということは直感的に理解できたが、強靭な圧力により削り出されたような鉄の塊が、動く姿を誰も想像することができなかった。


 そのとき、三人の前を痩せこけた一匹のねずみか横切った。


「なんだ、いまのは」エルは飛び退き、鋭く声をあげた。


 ティーは自分の身体に両腕を回して言った。「動いてた……」


 四人は顔を見合わせ、動きを静止させた。視界に捉えた動物――鼠について、誰も答えを持ち合わせていなかった。鼠に限らず、自分たち以外の動物を見るのは初めてのことだった。


 再び四人は無言で歩きだした。長い時間、誰も口を開かなかった。次第に人の気配があたりに満ちてきて、まばらではあるものの、道行く人の姿が目に付くようになった。


 目の前で道路を横断する、男の姿が四人の目にとまった。


 くすんだ茶色の縮れ毛、肘のあたりの色がフェードしたネイビーのスウィングトップ、ところどころ油のような染みが付着したカーキのチノ・パンツ、くたびれたグレーのランニングシューズ――


 男の風貌は、四人が見慣れた中年の男、そのものだった。


 目の前を行く男のあとに、なんとなく続くようにして四人は歩いた。


 足を引きずるように男の足取りは重たかったが、なにかしらの目的があって通りを進んでいる風だった。


 しばらく通りを直進すると、男は左側の建物の戸をくぐった。四人は足を止めて、その建物を見た。食堂のようだった。


 ジェイはヒップポケットからスマートデバイスを取り出し、時刻を確認した。十三時を少し過ぎたところだった。


 相変わらずスマートデバイスは圏外で、表示された時刻が正しいものなのか判断はつかなかったが、空腹具合からいってそのくらいの時間だとジェイは思った。


 木製の食堂のドアを開け、四人はその食堂に入った。


 L字型の大きなカウンター席があり、いくつものテーブル席が並んでいた。


 外から想像するよりもずいぶんと広い印象だったが、客はネイビーのスウィングトップを着た男と、癖がある金髪の男の二人がカウンターに座っているだけだった。


 店員が案内しにこないので、四人は黙ってテーブル席に座った。少し待つと、不愛想な女の店員が注文をとりにやってきた。


 ジェイは白身魚のソテー、アイはトマトソースのニョッキ、ティーはライスコロッケ、エルはハンバーグ、おまけにそれぞれビールを頼んだ。


「この店の壁を眺めていると、君が働いていたキャバレーを思い出すな」ジェイはティーに言った。


 店内の壁は濃い赤で、めまいがするようにジェイは感じた。


「ずいぶんと前のことみたい」


    ※  ※  ※


 出てきた料理はどれもひどいものだった。


 白身魚のソテーは干ばつがあったように乾燥していて、ニョッキは出来損ないの粘土のようで、ライスコロッケはフォークを突き立てた瞬間に崩れ落ち、ハンバーグは粉っぽかった。


 ろくでもない料理をビールで喉に流しこんだ。瓶で出てたビールだけが救いだった。


 四人は席を立ち、会計を済ませようとした。先頭を歩くエルがクレジットカードを取り出した。不愛想な女の店員は端末を操作して、それからエルはタッチ決済を行った。


 やや間があって、女は言った。「このカードは使えません」


「もう一度やってくれ」


 つい先ほどの動きを繰り返して女は言った。「使えません」


「このカードは使えるかな?」ジェイがカードを差し出しながら言った。


 三度みたび同じ光景が繰り返されてから女は言った。「これも駄目です」


「現金で頼む」エルは数枚の紙幣を取り出した。


「なんですか? これは」不愛想な女目を細めて言った。


「なにって、現金だろ」エルは苛立たし気に言った。「わからないのか?」


「こんなお金、見たことありませんよ」


「なんの騒ぎた?」奥から頬一面に髭を生やした男が出てきて威圧的に言った。


「ぼくが払いますよ」


 四人は後ろを振りむいた。そこには、カウンター席に座っていた客の一人――癖がある金髪の男が立っていた。


 男は有無を言わさず、クレジットカードを押し出した。女は無言で端末を操作した。すぐに決済が完了した。


「出ましょう」癖毛の男は木製の扉を開き、四人に言った。

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