第5節 マフィア

 ジェイはデスクチェアに腰をかけて、目の前に座る、ドンと呼ばれたスリーピース・スーツの男を眺めた。


 顔つきからして、ドンは四十代半ばくらいだとジェイは思った。黒髪を綺麗に七三にポマードで撫でつけ、口髭をたくわえ、いかにも尊大そうな表情をしている。


 ネイビーのソリッド・タイの結び目は大きく、ディンプルが仰々ぎょうぎょうしい。スーツはチャコールグレーにシャドーストライプがあしらわれていて、なかなか悪くない生地にジェイには見えた。


 左手首にはクラシックな三針時計が革ベルトで巻かれ、靴はよく磨かれた黒いプレーン・トゥの革靴だった。


 背丈はおそらくジェイより低く、身体つきも自分より華奢にジェイには見えた。


 ドンの背後にある、カーテンが開かれた窓から、ぼやけた朝焼けが部屋に射し込んでいる。窓の向こうに、窮屈そうなベランダが広がっていることをジェイは認めた。


「電話したのは私だ」


「でしょうね」


「軽口を叩くのをやめろ」ドンは金無垢のガスライターの蓋を指ではね上げ、冷ややかな音を響かせた。「主導権は私にある」


「でしょうね」ジェイは頷く。「それで、いったい望みはなんなんです?」


 ドンは煙草を口にくわえ、ガスライターで火をつけた。深く息を吸い、濃い紫煙を吐き出し、その動作を停止した。


 次の瞬間、ドンは右手に持っていた金無垢のガスライターを、ジェイにむかって鋭く投げつけた。ガスライターはジェイの胸にあたった。


 厚手のスウェットシャツの上からでも衝撃は強く、骨と金属の塊がぶつかる、鈍い音が鳴った。ジェイは男から目をそらさず、デスクチェアに座ったままだった。


「繰り返しになるが、主導権は私にある」ドンは再び煙草をくわえ、深く息を吸い込んで、紫煙を宙に泳がせた。「まあ、まずは話をきいてくれ」


「どうぞ」


「私のファミリーは由緒正しいマフィアでね、歴史があるんだ。さかり場をつくったのは、実は私の曾祖父なんだ」ドンは両手を広げて言った。「戦前に東南アジアと呼ばれていた熱帯の国から、そのシステムを持ちこんだんだ。なにもかもが灰燼かいじんに帰してしばらくが経った、戦後の動乱期にな」


 ドンがそこまで言ったとき、壁際で直立していたスーツの男が、デスクに置かれた灰皿を持ち、ドンのそばに寄った。


 まだ煙草は長かったが、ドンは差し出された灰皿で煙草の火を消した。


「それが今じゃどうだ。歴史も文化もないギャングどもが、この盛り場でうろちょろするようになった。多少大目に見てやってたのをいいことに、今となっては女絡みのビジネスの大部分は奴らがシェアをもっていってしまった。我がファミリーも、売色ばいしょくビジネスは、このホテルでの細々とした稼業くらいになってしまった」


 ジェイは相槌を打つ。


「売色ビジネスのシェアを取り戻したいんだよ、私は。そこでアイだ」男はこめかみに指をあてた。「まずはたま――そう、女を集めなければならない。誰が集めるのがいい? 女が女を集めるのがいいに決まっている。警戒されにくからな。アイは人の懐に入るのがうまいし、ギャングが女を仲介するときのやり口も熟知している。なんせ、自分が商品だったんだからな。まさに適任だ」


 ドンはするりと煙草を抜き取り、再び口にくわえた。


 その動作を見るや壁際のスーツの男が、地面に転がったままになっていた金無垢のライターを素早く拾い上げ、ドンに手渡した。


 ドンは金無垢のライターを受け取ると、再び蓋を指ではじいて煙草に火をつけた。張り詰めた開閉音が響く。


 紫煙を吐き出してから、ドンは言った。「女絡みのビジネスの中核を、アイに担わせるつもりだったんだ。あいつは器量がいい。あいつが働いていた店のオーナーから、アイが再び店にきたと連絡をもらったときには、心躍ったよ。これで立て直しを進められるって」


「ひとつ聞いてもいいですか?」


「いいとも」


「なんで僕に連絡したんですか? アイが必要なだけなのに」


「再び盛り場にきた経緯をアイに訊いたんだ。私に引き戻される可能性があるのにきたのはなぜかと。そしたら、おまえの名前があがったんだよ」


 ドンは人差し指と親指でつまんだ煙草を、口にくわえ、深く息を吸い、それから吐いた。


 ドンは続けた。「おまえはスーツのセールスをやってるそうじゃないか。エフ市街のマフィアから聞いたことがあったんだよ。マフィア相手にも臆することがない、したたかなスーツのセールスがいるって。おまえだろ?」


「それはどうでしょうか。スーツのセールスはやっていますが」


「マフィアから値切られようが、びた一文まけないみたいじゃないか?」


「たしかに値引きはしない主義なので、もしかしたら僕かもしれませんね」ジェイは曖昧に首をかしげた。


「そんなおまえだ。突然アイが消えたら、居場所を突き止めて、結局やってくるだろ? だからだよ。面倒事は先に片付けようってことだ」


「なるほど」ジェイは頷く。「それで、要望はなんなんです?」


「アイはこれから私たちファミリーと一緒にビジネスをする。了承してくれるな?」


「断ると言ったら?」


「まだ理解できてないようだな」ドンの眉間に皺がよる。「主導権は私にあ――」


 男が言い終える前に、ジェイはポケットから軍用の懐中電灯を取り出し、ドンの目にむけてスイッチを入れた。


 光量にして一二〇〇ルーメン――強烈な光を不意に浴びたドンは目を閉じ、顔を手で覆う。


 壁際で直立していたスーツの男と、もう一人のベストの男が、ジェイを取り押さえようと駆け寄る。


 その間をすり抜けるようにしてジェイはドンにむかって突進し、椅子に座るドンの肩に手をかけて、飛び越えた。


 勢いそのまま奥の窓にタクティカル・ペンを突き立て、窓ガラスを破った。ガラスの破片が朝日に煌めく。


 飛び散る破片をダッフルコートで防ぎながら、ジェイは窓から部屋を出た。


 ジェイはベランダに出ると、部屋と部屋の仕切り板を蹴り破って突き進み、驚くべきスピードで元いた部屋から遠ざかった。


 ジェイは一番奥の部屋に到達すると同時に、軍用の懐中電灯にくくりつけた紐――パラコードをほどき、壁面をはしる雨どいに、もやい結びで手早く縛り付けた。


 分厚いダッフルコートを脱ぎ、その上からパラコードを握りしめ、ジェイはベランダから飛び降りた。


 振り子の要領で下の階のベランダに着地すると同時に、握ったパラコードを力強く引っ張った。


 パラコードが結び付けられた雨どいは壁から引きちぎられて、破壊された。これで奴らはベランダから、同じ要領で下の階におりることはできないとジェイは思う。


 ジェイは窓ガラスにタクティカル・ペンを突き立て、ガラスを破って部屋に侵入した。その時、上の階から怒声が響いたが、ジェイにははっきりと聞こえなかった。


 窓ガラスを割って入った部屋には、惑溺わくでき最中さなかにいた男と、商売中の女がいた。硬直する二人をしり目にジェイは部屋のドアを開けて廊下に出た。


 そのまま非常階段を駆けおりて、古びたホテルの裏に繁茂はんもする、鬱蒼うっそうとした林にジェイは身を消した。

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