第4節 ザ・ケルン・コンサート
「この音楽に名前はあるのか?」ジェイは訊いた。
ケミドフは小首を傾げてから言った。「キース・ジャレットの『ケルン、一九七五年一月二四日パートⅠ』という曲です」
店内ではずっと、キース・ジャレットの『ザ・ケルン・コンサート』が控えめな音量で流れていた。
『ケルン、一九七五年一月二四日パートⅡC』が終わり、ちょうどアルバムの冒頭にプレイバックしたところだった。
「ぼくはこの店でかかる音楽が好きなんです。音楽を聴きに立ち寄ると言ってもいいでしょう」わずかに残っていたコーヒーを飲み下し、ケミドフは言った。「キース・ジャレットという人は、まぎれもない天才でした。基本的に音楽は、あらかじめ決められた音を、決められたタイミングで鳴らすようにしてつくりあげます。プログラムを実行するようなイメージですね。ところが、キース・ジャレットは異なる方法論を可能にする力をもっていました。彼はテーマをなにも掲げずに、完全に即興で音楽を生み出すことができたのです」
弾むように話し始めたケミドフが語ることを、四人はほとんど理解できなかった。鼓膜を震わすピアノの音と、ケミドフの声の間を意識が往来し、揺れ動いた。
どれだけ注意深く意識の隅を光で照らしてみても、四人が受け取るべきメッセージのようなものは、なにひとつとして見あたらなかった。
「完全に即興で音楽を奏でると、大抵その形を保つことができず、聴くに
ケミドフは言葉を区切り、コーヒーカップに目線を落とした。カップの中が空になっていることを思い出して、少しだけ残念そうに目を細めてから話を続けた。
「いま流れている音楽も、完全な即興によるものです。まるで、無から有を取り出したような、魔法の音楽です」
「よくわからないな」ジェイは無感動に言った。「音楽というものも、君の言うことも。唯一はっきりとしているのは、やたらと複雑な名前の持ち主の音楽だということだけだ。君――ケミドフも、クレメンザも、そうとう複雑な名前だが」
ケミドフがなにかを訊こうとしたのを察して、アイが言った。「わたしはアイ」
ほかの三人がそれぞれ名乗るのを順に聞くと、ケミドフの顔に驚きの色が浮かんだ。
「ずいぶんとシンプルな名前なんですね」ケミドフは身を乗り出して言った。「地上の――エフの名前は、だいたいそんな感じなんですか?」
「ああ、三音以上の名前なんて聞いたことないぜ」エルはさも当然という風に言った。「名前なんてなんでもいいしな。ある程度の識別がつけば」
ケミドフは目の前で両手を組み、その上に顎をのせてつぶやいた。「発音の由来はこの国の言葉ではなさそうですね。一部、国のアルファベットと合致するものもありますが――」
「ちなみに、エフには国なんてないよ」ティーは残りのビールを一息に飲み干して言った。「そんなものがあったのは、大戦の前の話」
ケミドフがなにか言いかけたとき、轟音が鳴り響き、店内に振動が走った。
長いこと姿を消していた店員がバックヤードから走ってきて、店の外に飛び出してあたりを見渡し、すぐに戻ってきた。
「テロです。すぐそこのブロックで、なにかが爆発しました」
「会計をお願いします」ケミドフが立ち上がり、店を出るように目線で四人を促した。
※ ※ ※
五人が通りに出ると、一ブロックほど先でコンクリート造のビルにむかって、グレネードランチャーを打ちこむ数人の男が見えた。
くすんだ灰色の外壁と、それから窓を突き破り、
テロリストたちは周囲の目をはばかることなく、伝統的な儀式を執り行うように淡々としていた。
ぱっとしない帽子をかぶり、色付きの眼鏡をかけ、マスクをし、ひどくぼやけた印象のありふれた服装をしている。
「早く行きましょう」ケミドフは口元を隠して言った。「じきに保安官がやってきます。そうすると、非常に厄介なことになります」
口を開こうとしたエルを遮り、ケミドフは言った。「外で喋るときは口元を隠してください」
エルはタートルネックのニットを口元まで引き上げて言った「どういうことだよ?」
「あなたたちには身分がない。なぜここにいるのか説明がつきません。そしてもし地上からきたなんてことが知れれば、いったいどうなるかわかりません」ケミドフは早口でまくし立てた。「国は地上世界を公に完全否定しているのです。ろくでもないことになるのは間違いありません」
目線で進む先を示し、ケミドフは
羽織ったエクワックス・レベル7のジッパーを上まで閉めて、口元を覆ってからジェイは言った。「どこに行くんだ?」
「一度、病院に行きましょう」肩を揺らして歩きながら、ケミドフは言った。「情報が洩れる心配のない、信用できる場所です。それに、確かめたいことがあるんです」
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