第3節 キャバレー
ティーは手際よくウイスキーの水割りを二つ作り、ジェイと目を合わせて乾杯した。そっと触れあったふたつのグラス・タンブラーから、
「どうしてあたしを指名してくれたの?」ティーは小首をかしげた。
「人から聞いたんだ、ターコイズブルーのドレスが鮮やかな、君がとてもいいって」
「それは嬉しいわね」ティーは笑った。「こういうお店はよくくるの?」
「いや、ほとんど初めて」ジェイはグラスを一口舐める。「お手柔らかに頼む」
浅瀬で跳ねるように、ティーはジェイの肩を叩く。「なにそれ」
ひとしきり笑ってから、ジェイは言った。「いいな、そのターコイズブルーのドレス」
「ありがとう」
「君はターコイズブルーのドレスしか着ないって聞いたんだけど」
「そうね」
「それはいつから?」
「
「それは――」いつから盛り場で働いているのか訊こうとしたが、無意味だと気がつき、ジェイは質問を変えた。「ほかにもそういう子はいる? 特定のドレスしか着ない子」
「どうだろう、聞いたことはないかな」
「なんで君はターコイズブルーのドレスしか着ないんだ?」
「あたしによく似合うから」ティーはそう言い、腰に両手のこぶしをあてて、胸を張った。
ジェイはティーをまじまじと見た。豊かな黒髪、みずみずしい黒い
「それにターコイズの石言葉を知っている?」ティーは訊いた。
ジェイは知らないと首を振った。
「成功、そして繁栄」ティーは得意げに微笑んだ。「あたしはこの夜の街で成功を手に入れて、家族を繁栄させたいの」
「家族がいるのか?」
「あら、気になる?」ティーは白い歯を見せて笑った。「あたしは独身よ」
「じゃあ家族っていうと、両親とか兄弟?」
「そうよ」ティーは頷いた。「仕事がない母親と、働けない弟がいるの。エフの市街地の外れに」
「奇遇だな」ジェイはウィスキーの水割りをゆっくりと飲みくだし、深く息を吐いてから言った。「僕もエフの市街地の外れに住んでいる。市街地から西に逸れた郊外、鉄塔が立ち並ぶあたりの少しはずれに」
かまいたちがあった前日に、ターコイズブルーのドレスを着た女が目撃された、あの鉄塔のあたりに住んでいると、ジェイは偽った。
「ほんとうに?」ティーは目を見開いた。「あたしの実家、あの鉄塔のあたりよ」
ジェイは鼓動が高まるのを感じた。「驚いたな。実家にはたまに帰っているのか?」
「全然帰っていないわ」ティーはため息をついた。「仕送りをしてるだけ」
※ ※ ※
キャストと客が踊る、ゴーゴータイムが何度かあった。そのたびにジェイは椅子に座ったまま、自分の上で踊るティーをぼんやりと眺めて過ごした。
ジェイはウイスキーの水割りを八杯飲んで、会計を済ませた。それからボーイにティーをペイバー――つまり、店外に連れ出すことを告げた。
ボーイと手短に価格交渉をして、両開きの重たい扉を開き、ティーを連れて店を出た。それなりに高くついたが、必要経費だとジェイは割り切った。
外はひどく冷えこんでいて、雪が舞っていた。
ジェイはメルトンのダッフルコートのトグルを閉めて、両手をポケットに突っこんだ。その腕にティーは自分の腕を絡ませる。
切りつけるような風が吹く、盛り場の通りを抜けて、ジェイが予約を入れたホテルに二人で入った。途中で酒屋に寄り、ウイスキーのボトルを一本買って。
ホテルは古く、その造りは質素だった。窓際に置いてある、備えつけの丸テーブルにウイスキーの瓶とグラスを並べて、ジェイとティーはあらためて乾杯した。
「どうしてあたしをペイバーしようと思ったの?」ティーはグラスに入った琥珀色の液体を揺らしながら尋ねる。
「魅力的だからだよ」ジェイはティーの目を見据えて言った。「君はとても、あでやかだ」
「独特な口説き方をするのね、お兄さん」
それから二人はしばらくウイスキーをストレートで飲んだ。おもむろにティーは言った。「お兄さんはどうして盛場にきたの?」
「いろいろあって」
「なに? いろいろって」ティーは優しく言った。
「弟が死んだんだ」
「それは気の毒に」ティーは目を細める。「まだ若かったんでしょう?」
「ああ」ジェイは頷く。「二十一歳だった」
「お兄さんは?」
「二十八歳」
「あら、あたしと同い年」ティーは目を見開く。「お兄さん、若く見えるわ」
「もう、人生のほとんど半分も生きてしまった」
ジェイは笑い、ティーも笑った。
「同い年で、育った場所も近くて、これまでに会わなかったのが不思議だな」ジェイはしみじみと言い、今なら訊けると思った。「いつから盛り場にきたんだ?」
「十八歳のとき。もう十年も経つのね」
「実は、前に一度だけ盛り場にきたことがあるんだ」
「そうなんだ」
「四年前の十二月十五日。君に会いに」鉄塔でかまいたちがあった日をジェイは持ち出し、かまをかけた。
「あたしに?」
「そう。知り合いから、君がとてもいいって聞いたときの話しだ」
「ごめん、あたしと会ったことがあるってこと?」
「いや、ないよ」ジェイは首を横に振る。「残念ながら、そのとき君は店にいなかったんだ」
「そうだったんだ」ティーは言った。「その日は何曜日だった?」
ジェイは一拍置いて、考えるふりをした。「金曜日だったと思う」
「十二月の金曜日なら店にいるはずだけど、外に出てたのかしら。ごめんね、せっかく会いにきてくれたのに」
ジェイは微笑み、首を横に振る。
「でも、思い出して会いにきてくれてありがとう」
※ ※ ※
明け方の三時過ぎ。ジェイとティーはスプリングが硬いベッドの上で、まどろんでいた。体勢を変えるたびに、軋んだ音が鳴った。
いよいよ二人が眠りに落ちようとしたそのとき、ベッドサイドテーブルの上に置いた、ジェイのスマートデバイスが不吉に震えた。
ジェイは身体を起こしてスマートデバイスを取りあげた。目をこすり、画面を覗きこむとアイからの電話だった。
電話の声は
「そちらは?」
「質問しているのは私だ」
「一理ある」ジェイはファティーグパンツを穿きながら言う。「ではあらためて答えよう。回答は、あなたが偽りなく名乗るのであれば質問に答える、だ」
「いまいち事態がわかっていないようだな」
「それは当然だろう。僕は今まさに眠ろうとしていたところだし、寝ぼけかけた頭で思い返しても、あなたのように
「私に生意気な口をきかないほうがいい」
「忠告をありがとう」床に無造作に転がっていた、厚手のスウェット・シャツをジェイは頭からかぶる。「それで、いったいなんなんだ? 要件は」
「アイを預かっている」電話の男は一呼吸おいて言った。「私はアイのパトロンをしていた者だ」
「おわった話だろ?」
「その過去を清算しようという話だ」
「なるほど」
「今から言うホテルにこい。わかったか?」
「構わない」ため息混じりにジェイは言った。「ずいぶんと、みっともない話のように思えるが」
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