第4節 パトロン

 ティーはすっかりと目を覚まし、ベッドから起きあがっていた。


「やっかいなことになった」軍払い下げのダッフルコートを羽織りながら、ジェイは言った。「さかり場から抜け出した知人が、昔のしがらみで因縁をつけられてるらしい」


 ティーは心配そうにジェイの目を見る。「だいじょうぶ?」


「情報が少なすぎて、なんとも言えないな」ジェイの正直な心境だった。「なあ、パトロンってどんな人種が多いんだ? 盛り場で働く女を、個人的に手元に置いておけるような人物」


「十中八九、マフィアだと思う」


「なるほど」ジェイは苦笑する。「そうなると、なかなか面倒くさいことになったな」


「これからどうするの?」


「呼び出されたから行ってくるよ。パトロンのところに」ジェイはそう言い、少し考える。「なあ、マフィアと敵対関係にある組織はないのか? 天敵とまではいかなくても」


 ティーは顎に手をあてる。「ギャングかしら?」


「両者の違いは?」


「おおまかに言って、マフィアはプロフェッショナルで大規模、ギャングはアマチュアで小規模って感じかしら」


「それぞれの生業なりわいは?」


「マフィアは麻薬や銃火器の流通、あとは賭場の胴元。ギャングは女衒ぜげんや盛り場の店のケツモチ――、つまり、女がからむ仕事がほとんどね。もちろん例外はあるけれど」


「女衒っていうと、ギャングは女を店に斡旋しているのか?」


「そうね。斡旋なんて生易なまやさしいものじゃないけど」


「なあ、ギャングの知り合いはいないか? 万が一のときの選択肢をもっておきたい」


 ティーは俯く。「おすすめはできないけど……。ギャングと関わり合いをもつのは」


「構わない。万が一のお守りみたいなものさ」


 ジェイはティーからギャングの連絡先を聞き、スマートデバイスに保存した。


「あたしを斡旋した、ジーって男。金髪で、鼻と顎が尖っていて細身。背丈はお兄さんと同じくらい大きい。もし連絡することになったら、あたしの名前を出せば話は早いと思う」


「いろいろとありがとう」ジェイは頭をさげる。「たぶんチェックアウトの時間までには戻れないだろうから、ジョイナー・フィーもこみで支払いを済ませておく」


「待って」部屋を出ようとするジェイをティーは引き留めた。「これを持って行って」


 銃器メーカーが製造した護身用の筆記用具――タクティカル・ペンを、ティーは手渡した。


 タクティカル・ペンは不吉な種類の重厚さを備えていて、ジェイの手のひらの上で部屋の薄暗いライトに照らされ、鈍く光った。


「また店にきてね」


    ※  ※  ※


 ジェイは部屋を出ると、くたびれたエレベーターに乗りこみ、一階のボタンを押した。エレベーターパネルのランプは切れていて、おまけにエレベーターの動きはのろまだった。


 このホテルにチェックインしたとき、エレベーターが作動しているのか不安になったことを思い出して、ジェイの腹の底に可笑おかしさがこみあげてきた。エレベーターの中は煙草の匂いが染みついていた。


 一階に着くと、ジェイはカウンターのベルを鳴らした。フロント・デスクは無人だった。四回ベルを鳴らしたところで、太った男が奥の部屋から、のっそりと出てきた。


「女を連れこんでいる。ジョイナー・フィーを支払う」


「駄目だよ、お兄さん」太った男は、あくびをしながら言った。「事前に申告してもらわないと。事後申告は高くつくよ」


「時間が惜しいから早くしてくれ」


 ジェイは相場よりも高いジョイナー・フィーを支払い、うらびれたホテルを後にした。


 電話の男に指定されたホテルにむかう前に、ティーが働く店に立ち寄った。


 木製の重厚な押し扉を開けて中に入ると、明け方に近い時間だからか、店は寂寥感せきりょうかんに満ちていた。


「いかがなさいましたか?」ティーをペイバー――外に連れ出したときに交渉したボーイが、怪訝そうな表情を浮かべてやってきた。


「折り入ってお願いがある」ジェイは出し抜けに、ボーイの手に紙幣を数枚握らせた。「四年前の十二月十五日に、ティーが出勤していたか教えてほしい」


 かまいたちがあった鉄塔で、ターコイズブルーのドレスを着た女が目撃された日だ。


 ボーイは紙幣をヒップポケットに突っ込むと、無感情に言った。「少々お待ちください」


 店の奥に引っ込んだボーイは、十分後に戻ってきた。「出勤していました」


 鉄塔で目撃されたターコイズブルーのドレスを着た女は、ティーとは別人だった。その言葉を確認し、ジェイは頭をさげて店を出た。


 それから閑散とした通りに出て、路上に停まっていたタクシーの窓を何回か叩いて、ドライバーを起こした。電話の男に指定されたホテルに、ジェイはむかった。


    ※  ※  ※


 電話の男に指定されたホテルのかなり手前で、ジェイはタクシーから降ろされた。ドライバーはそのホテルに近づきたがらなかった。


 仕方がないので、ジェイはホテルまで歩いた。その雑居ビルのような古びた建物は、外観からはホテルだとはわからなかった。


 外壁はぱっとしない、鼠色ねずみいろのコンクリート造で、もともとそういう模様であったかのように、細かくクラックが入っている。


 コンクリートの角は削れ落ち、どこか丸みを帯びたシルエットは、ぼやけた外壁の色と相まり、その建物の存在感を曖昧なものにしている。


 建物の周りには、数人の男たちが蛍光灯に群がる羽虫のように、たむろしていた。


 スーツの上に、チェスターコートを羽織った男、メルトンのステンカラーコートに、ボルサリーノ・ハットをかぶった男。はたまた、マオカラースーツの上に、ダウンジャケットを羽織った男。


 その誰もが、容赦のない視線をジェイに浴びせた。ジェイは正面を見やり、顎を引き、背筋を伸ばしてホテルの入り口にまっすぐ歩いた。男たちとすれ違ったとき、煙草ではない種類の煙の臭いがジェイの鼻腔びこうをついた。


 ジェイは短い階段を上がり、ホテルの中に入った。ホテルというよりも、雑居ビルに入居する会社の受付といった雰囲気だった。


「アイの件で呼び出された」フロント・デスクに座る、うつろな目の男にジェイは言った。


 男は立ち上がり、ついてくるようにと無言で指を動かした。


 男に続いてジェイは隣の部屋に入る。隣の部屋にはソファが置いてあり、待合室のようになっていた。


 ソファの前はガラス張りの雛壇ひなだんが設置されていた。


 雛壇には十名くらいの女が、シースルーのキャミソール一枚という恰好で、ずらりと立ち並んでいた。女たちは部屋に入ったジェイを見ると、一様に誘惑の秋波しゅうはを送った。


 ジェイは表情を変えずに、静かにソファに座った。部屋に案内した男は、いつの間にか消えていた。


 しばらく待つと、雛壇の左隣の扉が開き、スーツ姿の男が現れた。


「こい」スーツの男は低い声で、はっきりと言った。


 ジェイは立ち上がり扉に歩いた。扉のむこうにはエレベーターがあった。雛壇の女たちはジェイが客ではないことを悟り、その顔に怒りを滲ませた。


「五〇五号室だ」スーツの男は言った。


 ジェイは頷き、エレベーターに乗りこみ五階のボタンを押した。エレベーターの中はひどく汚く、不衛生なゴミが散乱していて生臭かった。


 エレベーターはすぐに五階に到着した。ちょうどすぐ右斜め前の部屋が五〇五号室だった。


 そのドアは紫煙を吹きかけたように、くすんだ茶色だった。どこかの部屋から、女の嬌声きょうせいが漏れ聞こえた。


 ドアチャイムを鳴らすと、少しの間があってドアが開いた。


 部屋は広く、一番奥の備え付けのアーム・チェアに男が一人、座っていた。ほかには、ドアを開けたワイシャツにベストを着た男が一人と、壁際で直立するスーツ姿の男が一人。


 奥に座る、スリーピース・スーツを着た男の前にジェイは進んだ。壁際で直立していた男が、デスクチェアを差し出した。


「ドン、お連れしました」ジェイの背後からドアを開けた男が言った。


「座れ」スリーピース・スーツの男は顎をしゃくった。

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