第7節 かまいたち⑥、あるいはミミクリー②
両手で頭を抑えこみ、その場にうずくまる、かまいたち――赤黒い骨と、脱ぎ散らかしたヒトの外観を構成するモノ――毛髪、皮膚、肉片、爪、歯――などを、ジェイ、アイ、クレメンザの三人は見下ろした。骨はこっぴどく叱られた子どものように身体を小さく丸め、微かに震えていた。
「かつて、大戦があった」出し抜けに老人は言った。「凄惨をきわめた大戦だった。国家間の局所的な戦火は次第に世界を二分し、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアなどの西洋連合と、ロシア、チュウゴク、インド、サウジアラビアなどの非西洋連合との、地球全土を巻きこんだ全面戦争に発展した。きみはよく知っているだろう?」
老人はクレメンザを見据えて、顎をしゃくった。クレメンザは微動だにせず、表情一つ変化がなかった。大雨の日にも変わらずに佇む、墓石のように。
「地球を二分した戦争は、その構造を大きく変化させて、気が遠くなるほど長く続いた。大戦の
老人はそこまで喋ると、ゆっくりと息を吸いこみ、静かに天井を見上げた。研究室の白く強い照明に目を細め、軽く首を回してから、再び口を開いた。
「大戦の構図が変わっても、人間が行っていることはほとんど変わらなかった。しかし、地球連邦と宇宙連邦に分離したかのように見せかけて、地上と宇宙で連携をとり、世界の覇権を狙う国があった」老人は首をすくめた。「そう、この国だ。この国はいったい、なにをしたと思う?」
老人はだれにともなく問いかけ、ひとしきり時間をかけて三人の顔を見渡した。老人の目にどんな感情が宿っているのか、ジェイにはわからなかった。
「その研究は、大戦がはじまる、はるか昔から行われていた。あらゆる倫理観をかなぐり捨てて、非人道的な人体実験も行われた。その結果生まれたのが人型戦略兵器ミミクリー――そう、かまいたちだ」老人はそう言うと、依然、床に伏せたままの骨を手のひらで指し示した。
アイはクレメンザをむいて訊いた。「このことを知っていたの?」
「知っていました」さらに問いただそうとしたアイを制して、クレメンザは続けた。「私からそう聞かされて、はいそうですか、と、信じられる話でもないでしょう」
「限りない野望と欲望、それを支える爆発的な技術発展があっても、確率論的にはあり得ないような、偶然に偶然が折り重なって、ミミクリー――かまいたちは生み出された。ミミクリーは戦略兵器として、期待以上の猛威を振るった。かまいたちは、対象人物の
老人は笑った。両手を広げて笑った。その笑みは狂気からくるものなのか、歓喜なのか、あるいは絶望なのか、ジェイは判断しかねた。感じたことはただ一つ、強く濃い、様々な要素がない交ぜになった、暗い笑顔だということだけだった。
研究室に沈黙が満ちた。老人は両腕を広げたまま動きを静止させ、斜め上を見上げている。ジェイも、アイも、クレメンザも、その場で立ち尽くした。
再び老人が動き出すのをジェイは待ったが、なかなかそのときは訪れなかった。骨は相変わらず地面に這いつくばっていて、先ほどよりも身体の震えが大きくなり、呼吸が早く浅くなっているようだった。
風切り音のような、骨の呼吸音だけが妙に響いた。その音を聴いていると、ある一つの答えがジェイの脳裏に浮かんだ。木から林檎が落ちるところを目撃し、万有引力の法則を発見したように。
「おまえもミミクリーなんだろ?」平板な声でジェイは言った。「そして僕は、おまえを知っている。いや、おまえを探していた」
アイは首を捻るように、無言でジェイを見た。クレメンザはまっすぐに老人を見つめていた。老人は中空に掲げた両腕をぶらりと下げ、ジェイを見た。
「遅かったじゃないか」はじめてジェイたちと遭遇したときとおなじように、老人は言った。「たどり着くまでに、ずいぶんと時間がかかったな」
言い終えると、老人の表面が溶け出したように――着ていた医療用の作業服も含め――なめらかで艶やかな、鏡面上の形態に変貌した。それを見て、アイは口に両手をあてて色を失った。ジェイとクレメンザは身じろぎ一つせず、その人型の異形を眺めた。
鏡面上の物体は再び人間の姿に近づき、色彩を帯びてきた。徐々に浮かび上がる人物を見て、アイが叫んだ。
「どうして!」
現れたのは、熊のような体躯、豊かな口髭、茶色がかった瞳、毛深い両手、見慣れた白衣姿――白い照明に照らされた、ヴォドフライヴィチだった。
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