第8節 ヴォドフライヴィチ②

 はるか昔、男が誕生して最初に感じたのは、眩しさだった。研究室の照明はいやに白く――戦略研究所の照明のように――目をあけられるようになるまで、それなりに時間を要した。


 薄く目を開けてみると、鈍器で頭を殴られたような頭痛が走った。光に反応した両目から、大粒の涙がこぼれ落ちた感覚があった。身体は拘束されているようで、動かすことができなかった。


「無理に目をひらかないほうがいい」野太い声が横から聞こえた。「目が慣れるまで、じっと耐えるんだ」


 男は言われたとおりにすることにして、そのかん、思考を巡らせた。


 自分に与えられた力も、なにを目的としてつくられたのかも、最初から明瞭に理解していた。そういうパラメータを付与して開発されたからだ。生まれたそのときから、長い歳月をかけてこれから自分が辿る、おおまかな行く末が予見できた。


 ぞっとしない気分だったが、だからといって男にできることは、なにひとつとして見当たらなかった。


 再び薄く目をあけて、涙が出ないことを慎重に確認してから、男はしっかりとまぶたをひらいた。相変わらず突き刺すような照明が眩しかったが、頭痛は起こらなかった。


 あたりをぐるりと見渡した。医療用ベッドにベルトで固定された自分の身体――身体つきからして、性別はどうやら男のようだとこのとき理解した――自分を取り囲む白衣の集団。その中の一人の男が前に歩み出た。


「自分がだれだかわかるかい?」無理に目を開かないほうがいいと、先ほど忠告した男の声だった。


「わからない」


「なぜ生まれたかは、わかるかい?」


「ああ」


「それを教えてもらえるかな?」男は興奮を抑えるように言った。


「暗殺のために生み出された。自分には、すぐれた擬態能力がある」


「完璧だよ、きみは」男は思わず笑みを堪えきれずに俯き、少しだけ身体を震わせた。「きみの名前は、ヴォドフライヴィチ――黒幕を意味する言葉だ。そう、きみはこの世界の、ありとあらゆる黒幕になるんだ」


 ヴォドフライヴィチと名付けられた男は、自分に話しかける男を眺めた。ダークブラウンの縮れ毛、豊かな口髭、毛むくじゃらの両手――熊のような大男だった。


    ※  ※  ※


 ヴォドフライヴィチは暗殺の要諦をすぐに掴んだ。まず、適当な人物に擬態して対象者に近づき、虹彩こうさいデータをスキャンする。次に、自らにインポートした、膨大な量にのぼる記憶データの解像度をチェックする。


 常日頃から接している人物や、思い返す頻度が高い人物の解像度は高く、そうでない人物の解像度は低い。解像度を示すパラメータを確認し、対象者に近づくために適切な人物に擬態して、ことに臨んだ。


 この時代、人々はすでに地上を捨てて、営みの拠点を地下へと移行していた。依然続いている大戦の影響で、地下国家間の往来は厳しく制限され、そうやすやすと他国に侵入することはできなかった。しかし、ミミクリーの擬態能力をもってすれば、セキュリティーの突破も不可能ではなかった。


 実際に人を殺すときは、もっぱら刃物を用いた。刃物は自らの身体から、簡単に成形することができた。太ももから取り出すようにつくり出し、使い終わると太ももにしまうように身体に戻した。現場に証拠を残さないという点と、人間よりも優れた身体能力を有するミミクリーにとって、この刃物は暗殺に適していた。


 暗殺中心の生活に慣れたころ、ヴォドフライヴィチは熊のような大男に呼び出された。呼び出された部屋は、自分が生み出されて初めて目をあけた、あの部屋だった。


「見ろ、きみに次ぐ成功だ」大男は興奮を隠しもせずに、無数の唾を飛ばして言った。


 医療用のベッドに座る女性を、ヴォドフライヴィチは見た。豊かな金髪、緑色の瞳、高い鼻、小さな口――綺麗な女性だと思った。


 彼女はヴェーディマという名前を与えられた。魔女という意味だった。その日からヴォドフライヴィチは彼女と共に、あるいは二手にわかれて暗殺にあたるようになった。


 熊のような大男は、できるだけヴォドフライヴィチとヴェーディマが一緒にいるように手をまわした。それには理由があった。ミミクリー――二人には、生殖機能が搭載されていたのだ。ミミクリーが残した子孫は、その擬態能力を受け継ぐことができた。


 あらたなミミクリーの製造は思うように運ばなかった。品質管理に大きな問題があり、数々の失敗作が生み出されては廃棄された。そのたびに、熊のような大男は失望をあらわにした。失敗に至る要因は、なかなか特定することができなかった。


 そんな中、今後の安定的なミミクリーの運用において、ヴォドフライヴィチとヴェーディマに搭載された生殖機能に期待の目がむけられるようになった。ミミクリーはすでに、その効果性の高さを証明していた。


 そんな状況とは関係なく、ヴォドフライヴィチはヴェーディマと共に過ごす時間を、好ましく思っていた。あらかじめ決められた目的のために過ごす日常の中で、彼女と過ごす時間は、ある種の彩りのようになっていった。ときにはたわいもない雑談を交わし、おたがいに暗殺に関する愚痴のようなこともこぼすようになった。


 やがて、二人の間に子どもが生まれた。可愛い女の子だった。ちょうどその時期、ヴォドフライヴィチに奇妙な指示がくだされた。自国の要人を対象とした、暗殺指令だった。

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